Lyustyleの教育ちゃんねる

 いよいよ新年度が始まります。
 保護者には、学級通信で私のプロフィールを紹介するといです。

 保護者は、「ねえ、どんな先生なの?」と帰って来た子どもに聞くので、先にこちらからアピールしておきます。

 できればユーモアたっぷりに書いた方が、後から話題になったりして受けが良かった印象があります。

 内容としては、

名前と読み方

 名前にまつわる由来などがあればもっといいです。覚えてもらえます。
 この市に二人しかいないとか
 歴史上の人物の末裔であるとか(嘘とはっきり分かるように書くのもよし)

年齢

 いくつくらいの先生なのかは結構きになるものですので、先に教えます。
 開いてくれる先生なんだなーという印象を持ってもらうことができます。

これまでの担任歴

 何年ほどの経験なのか、この学年を何度くらい持ったことがあるのか。
 初めて担任する学年でも堂々と書きます。
 私たちは、教員免許を持っている以上、どの学年でも担任できるのです。

 新任でも自信を持って「担任経験はありません!しかし、この子どもたちは、私にとって最初の教え子さんたちです」と書いたらいいです。
 新任かどうかを気にする人はいますが、どうせわかるのです。むしろ、若々しさと前向きなイメージを出しておくと安心してもらえるでしょう。
 教師人生で一度しか書けないことです。

学んできたこと 専門

 これは教師の専門職としてのアピールです。算数の教科を研究してきたとか、学級集団づくりについて学んでいるとか。新任なら、大学なり養成所なりでのテーマを書くといいでしょう。
 私は、専門家なのだという意識を新たにすることもできます。
 専門家として学び続けているからこそ、人に教えると言うことができるのですから。

この子たちとのかかわり

 これまで、委員会活動やクラブ等を通して何らかのかかわりがあれば、その印象を書きます。

 自分の子どものことを前から知ってくれている人が担任になったということは保護者にとって安心のポイントになります。

好きな言葉とか、取り組んでいるとととか、夢とか

 親しみを持ってもらう意味で、調味料的

に。 


 だいたいこんなところでしょうか。
 相手にまず「知ってもらう」。そのためのアピールです。
 「きっと、どんな担任が心配されてるだろうな。安心してもらいたいな。」
 そんな気持ちで書くといいと思います。

 さあ、新学期。
 忙しいですが、子どもの前では元気いっぱいに、みずみずしくいきましょう!

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 昨年4月にリリースした私の本「私のシドニー派遣教員日記」は,なんと付録だけで全体の量の20%もあります。


 いったい何が付録になっているのかというと,詳細な図画工作の授業の実践記録をそのまま収めているのです。

 はじめは本文に入れる予定で書き進めていましたが、あまりに膨大になってしまい、こんなのだれも読まないだろうと思って一度はばっさりと削除しました。

 しかし、中にはニーズもあるかもしれません。
 そう思って、「付録」として本編以外で入れることにしました。

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 内容は、3年生の図画工作の何単元分かの指導記録です。
 オーストラリアの子どものクラスと日本の子どものクラスとが、いっしょに学ぶ図画工作科の授業。

 当時、日本人学校に現地の子どもの学級があるというのは、世界の日本人学校の中でも珍しい形態でした。
 そこで、図工の授業を受け持った私は、海外の子どもの造形教育に関心があったこともあり、わくわくして最初の授業を行います。
 そこでとんでもない事態になり、それから半年以上、少しでもこの子たちによい表現をさせようとじたばたするのでした。

 その記録が全部掲載されています。

 当時、日本に向けてのレポートとして書いたもので、臨場感豊かにその時の状況が伝わってくると思
います。

  どうぞ読んでいただけると幸いです。  
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少し間が空いていますが、現在、「学級通信に残す一年生との付き合い方」の連載をしています。

一年生担任の時に残した手書きによる学級通信をデジタルにお越し直して掲載しているものです。

前年度の途中から、私は手書きに切り替えました。

1993年当時、私は既にパソコンのワープロソフトでがんがん文章を書いていました。

特にデジタルによるデータベースの構築を目指していましたので、日記から、レポートから、通信から、何でも一つのデータベースファイルに細湾して、検索可能な状態にしていました。

この、1990年代初頭のデータベースつくりの詳細は、拙著「25年前からのパソコン通信に詳述していますのでごらんください。

それほど、デジタルによる生産にこだわっていたのに、なぜこの年の学級通信は手書きだったのでしょうか。

それは、大量に学級通信を書きたくなったからです。
手書きの方が、どこでもいつでもガシガシ大量に書けるのです。

まだ、モバイルなんてその後10年待たなければ実現されない時代。

なんとか98ノートというノート型パソコンの走りのようなもので書いて来たのでしたが、次々と目の前で起こる様々な事柄をリアルタイムでどんどんキャプチャして行くには無理がありました。

出来事を即座に捉えて書いていかなければ、そのまま脳内で消えてしまいます。

たくさんのことを記録するには、文化人類学者のフィールドワークにおける野帳のように、私は、原稿用の紙を持ち歩き、その場で書くしか方法がありませんでした。

おかげで、今でも当時の出来事が目の前で起こっているかのような臨場感が、この学級通信には保存されて余す。

今回、それをデジタルに起こして本にするのはとんでもない労力を要することになりましたが。

それにしてもなぜそこまでして私は、大量の記録によって目の前の出来事を捉えようとしたのでしょうか。


それは、私が学級通信というものを単なる連絡やお知らせではなく、実践記録、実践レポートだと思ってきたからです。

いやそれまでにも、私はそのように思ってワープロで書いていました。

授業の記録なども「この授業はこんな狙いでこのようにしたら、A君がこのように発言し、Bさんはノートにこう書いていた、この点は良かったが、ここは改善しなくてはならん」などと言うことを書いてきていたのです。


しかし、私は前年度の途中、「向山洋一実物資料集」を読んでしまいました。

TOSSの代表、向山氏の若き頃の実践記録です。

そこで目にしたのは、これはとても学級通信であるとは思えないものでした。


実践レポートとしかいいようがない、それも半端ない量のレポートが、学級通信として続々出されていたのです。

70年代の教師たちはこのようであったのです。


これに打ちのめされました。

格が違います。桁も違います。
なんとか追いつきたいと思いました。


挑戦魂に火がつきます。

そこで、前年度途中から、私は学級通信を手書きで書くようになったのです。

手書きでなければ、向山氏ほどの分量と質のレポートかかけないからでした。



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「自力で解きなさい」と言って5分の時間を取ったとき、全くわからない子どもは何をしていればいいのでしょうか。
 
私たちは、よく今から5分間は一人でじっくり考えて解きなさい、というような指示をだすことがあります。

これは子どもに考える時間を与えるという大事な指示ではありますが、文字通り額面通りだと、それで困ってしまう子どもがでてきます。

まったくわからない子どもです。

学級の中には、そんな子どももいるのです。
その子どもたちは、5分間どうしたらいのでしょうか。
 
 
佐藤学氏は容赦なく「それは拷問だ」と言っています。
 
教師の思いからすればそんなに言われたら身も蓋もないところですが、ある面、その通りでもあります。
 
 
考えろと言われても考える土台ができていない以上、5分間じっとしているしかありません。

5分経ったらそれがわかるかと言われてもその保証はありません。
 
 
そんなとき、「どうしてもわからければお友達にきいていいよ」という言葉を一言添えてあげるだけで、多くのことが解決します。

わかるようになろうという主体的な態度
5分間を無駄にせず、わかるために学ぶ時間に変えること
わからなかったら聞けばいいのだという、わかるための手段を学ぶこと
わからない子どもが友達にはたらきかけることで、つながりができること
わかる子どもがわからない子どもに教えることをとおして学びなおしができること。
「ありがとう」という言葉を生み出せること。
 
 
単に、学力が上がるということだけでなく、その向こうの友達との結びつきまでつながっていきます。
 
時には、「5分間は自力で頑張る」ということへの忍耐を経験させることにも何らかの価値はあるかもしれませんが、それはテストのときくらいでいいのではないでしょうか。

わかるための勉強時間ですから、そのための主体的な行動をとり、その結果上にあるような価値まで引き出せるのなら、それは大きな価値のあることです。
私はそう思うのですが・・・。

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 2018年1月26日の西日本新聞朝刊に、「小中免許同時取得ダメ?~福教大が養成課程改革」という記事が1面トップに出ていました。

 「小学校重視、学生は不満も」というサブタイトルがあります。
 どちらの免許も取れると思っていた学生が、それができないと分かって困っていたり、課程を変えたいと相談したりする事例が起こっているとのことです。
 「学生には十分周知されておらず」と記事にはあります
 しかし学校は前年度に高校を100校以上回って説明してきたのだそうです。
 それを「言葉を濁した」と記者は書いています。
 福教大のやり方を好ましくないものと感じ取らせるような印象です。
 
 よく読んでみると、「小学校教育のスペシャリストを育てる」ためのカリキュラム改革であり、「多く免許を取ればいいというわけではない。小学校教員の即戦力を育てる改革に変えた」と宮内健二副学長は言っています。
 この改革のために重視したのは、小学校現場からの声。
 「教科の知識よりも、クラスをまとめる力、地域や保護者との連携力を持つ先生」が現場から求められているということです。
 つまり、あれもこれもととれる免許をたくさん取ってくるよりも、小学校一本に絞って「腹をくくって」学んだ先生を送ってくれという現場からの要請だといえます。
 
 これはその通りだと思います。
 私も高校まで免許を持っていますが、中学校免許も高校免許も使ったことがありません。
 異校種交流の制度があり、中学校や小学校間で人事異動ができるようにすることで、小中連携を高めようとしているのですが、私個人は、小学校一本に絞ってきています。異校種に行く気持ちはありません。
 今後も中学校の免許を使うことはないでしょう。
 だから、わざわざ中学免許までとっておく必要はありませんでした。
 
 とはいえ、それは今のように教師が少なく売り手市場の時代だったらいいのですが、そうでない時代はとにかく取れる免許は取っておいて、まず採用されたいと思うのは当然のこと。
 
 ですから「小学校専門」というこの改革は、今の時代だからこその改革であるというべきかもしれません。
 時代の要請によってはフレキシブルな対応がもとめられると思います。

 ただし、ひとつひっかかるのは、「教科の知識よりも」という言葉。
 新聞には「」書きにされていますが、誰が言ったのかは書かれていません。
 読みようによっては、学校が言ったかのように読めますし、記者の翻訳のようにも読めます。
 だから、だれが言ったのかは問いませんが、現場からの要請に「教科の知識」を重視しないということはないと思います。
 それは、なんの教科であれ、教科のスペシャリストということは、どの校種であっても教師としての存在理由の根幹であると思うからです。
 専門家として学び続ける態度は、「教える」という仕事の精神的な柱であり、子どもを薫陶する力となります。
 本来、「クラスをまとめる力、地域や保護者との連携力を持つ教師」とは、「専門的知識を有し、教えることのプロ」であるからこそ生まれてくるものです。
教科の専門知識を抜いて、それだけを独立して教え、身に着けさせるものではないと考えます。
 
 小学校重視というよりも、小学校の教師のエキスパートとして腹をくくって4年間学ぶための養成課程の改革については、良い方向であると思いますが、ぜひ、なんらかの教科の専門家として自分の根っこをちゃんと持てるようにするという視点を忘れずにいてほしいものだと思います。

 もうひとつ、特別支援教育には力を入れてほしいと思います。
 これはまさに即戦力です。
 どの学級にも発達に課題を抱えた子どもがおり、それへの合理的配慮を提供しなければならないのですから、特別支援教育の専門家を合わせて目指す人には同時に取得できるようにしてもらいたいものです。

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2018年1月、京都府京丹教職員の負担軽減を目的委するために校務支援システムを導入したというニュースが出ました。

 これによると、通信簿や指導要録、出欠情報をPCで管理し、書類作成の事務作業の負担を減らすという考えです。

 同市教委では、すでに2011年からタイムカードを導入しており、勤務時間が長い職員には、学校長が声掛けをして健康を害さないように指導するそうです。

 このような意図で校務支援システムを導入する自治体は増えています。
 働き方改革により何とかしようとしているんです。


 私の住むところでも、同じような状況です。


 教師が長く残って明日の準備をしていたら、学校長に指導されます。いかにも効率が悪い教員であり、もっと段取りをよくしてサクサク仕事を進め早く帰れるように働き方を是正しなさいといわれているかのようです。

こういったことが、現場の教師にとってはとても違和感があることは、市教委はご存知でしょうか。

これを働き方改革と言われると違和感がある・・:なにか、すり替えられているような気持ちになるのです。

 授業の準備をしなければ明日の子供たちが困るから、残って授業の質を高めようとしているのです。それを指導により帰らせられたら、できるはずのプリントや資料ができないままということになります。


 校務運営システムにより書類作成の時間が減るということですが、実際にそこに入力するのは教師です。教師は児童生徒の状況や、出席の状況を放課後に入力するのです。さしてかわりません。

ましてや、「期限厳守」などと記された委員会からの調査を気担当教師に任された場合、「早く帰れ」と指導されたら、授業の準備を置いてでも先にそれをしなければならない。

帰るのは早くなるかもしれませんが、そうやって仕事の質を落とすことが働き方改革なのか、ということです。


 校務運営システムの導入は、働き方改革の一つの形にはなっても解決の糸口にはなりえません。


私たちには、「学力向上」という至上命題のもと、授業の質を落とすとすことは認められません、

 長時間労働の根源は、授業時数です。そして、人の不足です。   


 5時までの間に、授業する時間しかない、というところが長時間労働の原因なのです。


 教師は学び、準備しなければなりません。

 教育行政にかかわる上のほうの方々や、いたずらに授業時数を増やしたがる議員さんたちは、「子どもの勉強内容くらい、いちいち研究しなければならないことはなかろう。大人なんだから教科書の内容くらいその場でわかるだろう。教科書を子どもの前で読んで、テストをしておしまい。簡単なことだ」くらいにしか考えていないのかもしれません。

 しかし、ノーベル賞をとらせるための教育は、そんなものではありません。これからの急激な変化に耐えられる子供を育てるための教育は、「教えてテスト」ではだめなのです。
 丁寧に、丁寧に、やらなければならないのです。
 

 また、一般の学校は附属小学校かなにかのように授業だけに集中して教師のリソースを投入できるわけではありません。

 かなりの時間を保護者対応、生徒指導に割いているのです。

 明日の準備は、保護者が帰った夜の9時から、ということが年に何度も何度もあるのです。
 教師がせねばならないこと以外のことがたくさん課せられているという認識の上で働き方改革を行わなければ 絵に描いた餅です。

 結局「人」です。
 時間数を増やしたうえで負担軽減をいうのならば、人の拡充しか解決の道はないのです。
 「研修」でも、「使える資料のアップロード」でもありません。
人です。

 また、働き方改革は、部活動問題の解決だけにスポットがあてられるべきものでもありません。
 教職員の長時間労働といって「部活動」のことしか出てこない記事や報道に、いらだつ小学校教師は多いのです。

 小学校の、「4時まで授業して残り1時間で明日の6時間分の準備」という簡単なだれでもわかるおかしな状況にメスをあててもらうことが必要です。


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1月5日に、第一生命が「大人になったらなりたいもの」アンケートの調査結果を発表しました。
それによると、「学者・博士」が男の子の1位となっており、これは15年ぶりとのことです。

2016年まで3年連続で日本人がノーベル賞を受賞したことで科学への関心が高まったことが大きいのではないかと言われています。


2位は野球選手です。

しばらくサッカー選手が2位でしたが、これを8年ぶりに上回ったそうです。

大谷選手の人気などの話題が野球選手への人気につながったようです。


以後、「医者、警察、刑事、大工」と続きます。

前回18位だった「消防士・救急隊」が7位に、前回33位だった「建築家」が9位と、それぞれおおはばに順位を上げているのは、昨今の社会情勢によるものでしょうか。



さて、子供たちに人気のある「Youtuber」

数年前、ある県で、Youtuberが子供のなりたいものランキングの上位になったと話題になってました。

したいことをして、刺激的な動画をアップロードしてたくさんの視聴を集め、広告料で生きていくスタイルにあこがれたもののようです。


しかし、2017年の春に、視聴回数が10000以下のアカウントは広告掲載ができなくなり、2018年になってさらに、「登録者数が1000人以上、視聴時間4000時間以上」」という制限があらたに加わり、簡単に広告収入を得るというスタイルはハードルが高くなりました。

これは、Youtubeの動画の質の向上ということとともに、子供たちの「らくして稼ぎたい。人気が出るなら手段や内容を選ばない」というような考えをある程度絶ち、生業をもってまじめに暮らしてくことの大切さを振り返らせる意味で大切なことだと思います。


筆者も、もう6年ほどYoutubeに動画を挙げていますが、それは私の動画をだれか必要な人の役にたててもらいたい、そうすればこちらも向こうもうれしい、というそのようなことのためです。

もう1つは、映像をを扱うのが好きで、動画かできたらそれを誰かに見てもらって、それを元にコミュニケーションをしたいということのためです。

Youtubeをそのように生活の質の向上のために使うのはとてもよいことだと考えます。

この回のアンケートの上位にYoutuberが入っていなかったのはよかったと思います。


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佐藤学氏の「教師花伝書」を読んでいたら膝を叩く箇所がありした。

教師花伝書
「教師は、教える専門家であると同時に、「学びの専門家」でなければならない

「西洋東洋を問わず、古来、教えると言う不遜な仕事を教師が行うことができたのは、教師自身が他の誰よりも読書をし、学んでいたからである。よく学ぶ者のみが教壇に立つことを許されたのである。その大元が隠れているとしたら、これこそ教育の最大の危機と言うべきだろう。」

「教師が本を読まなくなったとよく指摘されるが、それ以上に、教師が美術館やコンサートや市民研究会から姿を消している。多忙な仕事に追われて学校と家庭に閉じこもり、教育の専門家としての教養も市民としての教養も衰退させているのではないだろうか。」72
以上、「教師花伝書」から。

学ぶ者のみが教壇に上がることを許される、というのはまさにその通りであり、古来、教師の薫陶力はそのことによって働いて来たのだと思います。

「先生ってすごいなぁ」という憧れの根本は、教師の学び続ける姿。

しかし、それが今後ますますできなくなっていくことを、教育行政に関わる役人たちはどのように考えているのでしょうか。

学ぶ時間どころか、翌日の準備をする時間さえもないと私は言い続けているのですが、その自明のことをいかにすればわかってくれるのか。
 
いや、わかっているのですきっと。しかし、同調圧力や外部からの圧力に抗しきれずに、そこに蓋をしている。
教育の破綻はすぐそこに来ているのに、目を開くことはしない。

教師の学ぶ時間はますますなくなり、子どもたちへの薫陶力もなくなり、教育は破綻していく。

なんとかそれに抗するために、ほんの少しの時間を使いながら、私は本を読み続けていきます。

こういうことの上に、日本の教育は成り立っているのだということと、それがますます困難になってくるということを、なんとか政策決定の場にいる方にわかってほしいと思います。


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運動場や体育館での体育の後、「はい。おしまい」とやると、子どもは「わーっ!」と走って帰りませんか?
そのままにしていると、校舎の間に入って狭くなってきた時に押し合いへし合いが始まり、こけてケガをします。

また、靴箱あたりでも我先に靴を履き替えて校舎内に入ろうとしますので、靴箱が荒れますし、そこでこけてケガをする子どもが出ます。

まだ我先に、の気持ちが続いていますので、スピードを緩めません。ワーワー言いながら階段を上がっていき、足音と叫び声とで、大変な喧騒になります。

どうしてこうなるのでしょうか。

昨日、緊張を解く話をしましたが、急に緊張が解かれると子どもたちはその反動でパッと動き出します。
だから、急に子供達を手放してはいけないのです。

一度教師の手に届く範囲の中で緊張を解かせる。
運動の終わりの静かなエクササイズをして、心と体を落ち着かせてから、「終わりますから静かにお帰り」とさっと静かな声で指示します。
そうしたら初動でパッと散開することはありません。

その後見守っておかないとだんだん早歩きになり、最後は走り出しますので、この都度声かけを。
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次のようなことを考えています。


「足をペッタン」なんて、1時間中できるわけじゃないです。
私が1時間中足を床につけておけなんて言われたら、どうにかなってしまいます。腰が痛くなって席についていられません。

一時間中足を床につけて姿勢を正しくさせておく、というのは何かの修行のようなものです。
学ぶ場で行われることではないと思います。

時折、必要なシーンできちんと姿勢を正す指示を出すことが大事であって、学びの場では、むしろリラックスさせたいものです。

当然だらっとさせるという意味ではありませんよ。いらない力を抜かせるということです。

足をぺたんとつけたままでは、そこに気持ちが行って、学ぶどころではありません。

緊張した脳では、考えをめぐらすことができないでしょう。

授業の要所で規律をただし緊張させたら、力を抜かせることも積極的にやりましょう。

往往にして、学校では緊張させっぱなしにする傾向があります。

だから、授業が終わった後、その反動で走って教室から飛び出て、ぶつかって怪我をするのです。


よく考えていることです。
子どもをいかに緊張から力を抜かせるか。
放っておくと,力が入りっぱなしになってしまうので,注意が必要だと思っています。
適切に緊張を抜くチャンスを作ってあげたいなと思っています。

時折笑いを入れることも重要。
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