運動場や体育館での体育の後、「はい。おしまい」とやると、子どもは「わーっ!」と走って帰りませんか?
そのままにしていると、校舎の間に入って狭くなってきた時に押し合いへし合いが始まり、こけてケガをします。

また、靴箱あたりでも我先に靴を履き替えて校舎内に入ろうとしますので、靴箱が荒れますし、そこでこけてケガをする子どもが出ます。

まだ我先に、の気持ちが続いていますので、スピードを緩めません。ワーワー言いながら階段を上がっていき、足音と叫び声とで、大変な喧騒になります。

どうしてこうなるのでしょうか。

昨日、緊張を解く話をしましたが、急に緊張が解かれると子どもたちはその反動でパッと動き出します。
だから、急に子供達を手放してはいけないのです。

一度教師の手に届く範囲の中で緊張を解かせる。
運動の終わりの静かなエクササイズをして、心と体を落ち着かせてから、「終わりますから静かにお帰り」とさっと静かな声で指示します。
そうしたら初動でパッと散開することはありません。

その後見守っておかないとだんだん早歩きになり、最後は走り出しますので、この都度声かけを。

次のようなことを考えています。


「足をペッタン」なんて、1時間中できるわけじゃないです。
私が1時間中足を床につけておけなんて言われたら、どうにかなってしまいます。腰が痛くなって席についていられません。

一時間中足を床につけて姿勢を正しくさせておく、というのは何かの修行のようなものです。
学ぶ場で行われることではないと思います。

時折、必要なシーンできちんと姿勢を正す指示を出すことが大事であって、学びの場では、むしろリラックスさせたいものです。

当然だらっとさせるという意味ではありませんよ。いらない力を抜かせるということです。

足をぺたんとつけたままでは、そこに気持ちが行って、学ぶどころではありません。

緊張した脳では、考えをめぐらすことができないでしょう。

授業の要所で規律をただし緊張させたら、力を抜かせることも積極的にやりましょう。

往往にして、学校では緊張させっぱなしにする傾向があります。

だから、授業が終わった後、その反動で走って教室から飛び出て、ぶつかって怪我をするのです。


よく考えていることです。
子どもをいかに緊張から力を抜かせるか。
放っておくと,力が入りっぱなしになってしまうので,注意が必要だと思っています。
適切に緊張を抜くチャンスを作ってあげたいなと思っています。

時折笑いを入れることも重要。

研究授業などの協議会で、司会者が任された仕事をできないことがよくあります。

司会者に任されるのは、会を司ることです。司会が参加者の意見を引き出し、つなげ、なんらかの成果を導き出すことです。
そのためには、田原総一朗さんのように、どんどん関連意見や対立意見の人につなげ引き回していかなければなりません。、

でも、よく見られるのは、「何か質問はありませんか」「関連して何かありませんか」「それではお答えください」「ほかにはありませんか」「すでに意見も出されていますので、質問意見合わせてどうぞ」「もうありませんか。」「それでは講師の方のお話を聞きましょう」

これでは、それぞれが集まってめいめいに好きなことをしゃべっているのと何も変わりません。

司会は、出された意見をまとめ、分類し、深め、まとめる仕事をしなければならないのです。

これを学ぶには、うまい司会をみるしかない。でも現場にはそのような司会ができる人がどんどん減っています。

そこで、一つだけ、参考になればと思ってお伝えしたいことがあります。

それは、質問がでたら、それをなんらかのカテゴリーにいれるということです。

「今、目標に基づくてだてであったかどうかということについて質問が出されました。」のように。出された意見や質問を「目標に基づくてだて」というカテゴリーに一旦入れるのです。

そうして、目の前に広げた紙にそのカテゴリをまるで囲って書いておきます。

その上で「関連する意見があればどうぞ」といえば、司会は、そのカテゴリに従って会を進めていることが明確になります。エッジが立ったのです。

司会の仕方を改善するには、まず、これからして見てください。

協議に移る頃にはいくつかのカテゴリが出ているはずですので、司会がその中から重要だと考えるカテゴリを柱にします。司会が決めていいのです。司っているのは司会ですし、それを任されているのだからです。

「それではこれから◯◯について意見を求めます。」とやれば、少なくともそのことについての成果が得られます。

私は、20代のある日、そのような司会を見て瞠目し、それから自分で会議を引き回すことができるようになりました。

朝の健康観察は、できるだけ気持ちよく始めたいなあと思っています。

子どもが朝からふにゃふにゃしていると、つい喝を入れたくなります。
実際、若い頃は「もっと元気よく返事せんか」と大きな声で喝を入れていました。

しかし、その感覚は様々なことをそぎ落としてしまっています。
せめて「なんで元気がないのかな」と思うくらいの感覚は残してないとダメだなということに気づいたのは、教師になってからもう10年も経ってからのことでした。

しかし気づいてからも、子どもがふにゃふにゃしていると、「どうしたのかな?」よりも叱りたくなる気持ちの方が優ってしまうことがよくありました。

私自身のメンタルの問題です。
心の容れ物を大きくしなければなりませんでした。

デジタル日記で1日の振り返りをするようになってからです。子どものことを俯瞰して見られるようになったのは。

週記を、書くようになってからは、みるみる自分の容れ物が大きくなって行くのを感じました。

あの時あの子がこんなことをしたのは、こうだったからじゃないのか?と冷静に振り返ってみることを続けていると、それが自然にその場で行えるようになって行くのです。

子どものことをついしかりがちな人は、振り返り日記など、日次レビュー週次レビューをして見られることをお勧めします。

そのような記録を続けていると、ひとかたまりの成長記録ができます。

下の2冊は、上のようにしてした結果できた私の成長記録です。

また、今執筆している一年生学級通信の記事もそのような、私の自己訓練から生まれたものです。

よろしければご一読ください。

日本人学校の経験が,今の私をどのようにつくっているのか。当時のたくさんの記録と,膨大なジタバタ経験から述べました。
日本人学校への派遣前夜から,海外引越を経て,3年間にわたる生活について。 当時のパソコン通信などのIT事情 メモや手帳などで記録をすることの良さ などについて書いています。

一年生くらいの子どもによく見られますが、わざと叱られるようなことをする子はいませんか?

わたしも過去受け持ったことがあります。
何度叱っても聞かなくて、同じことを繰り返すんですよね。
若い頃は結構悩みました。

その頃、本を読んでおけばよかったのに、と思います。

「こうすれば怒ってもらえる」

何度言っても同じことを繰り返し、その度に叱られる子供は、こういうことをしたら叱すってもらえる=関わってもらえるという負の学習をしている可能性があります。

小さい子供におおいですが、中学年頃まで続くこともあります。

「親と子のアドラー心理学‘では

「いたずらをする、暴言を吐く、などそれらの子供の目標は、そうすることにょって大人を動かすことにあります〜ここで大人がやってはいけないのは、注目を与えることです。〜叱られチャリ叩かれチャリすることは、子供にとって不快なことであるはずなのに、親から無視されるよりは叱られても、叩かれても、そすいて注目を得ることの方が重要なのです」

とあります。

しかることによって望む結果を得ることができた子供はそれを繰り返してしまいます。
だから、不適切な行動以外の、当たり前のことができたときに注目してほしい、とあります。

しかし、注目を与えないということは、学級生活の中では難しいことですよね。
放置していたらどこかへ言ってしまうかもしれないし、他の子どもも「自分もやっていいんだ」といってやり始めてしまうこともあるし。

しかし、教師の方に子どもが怒ってもらいたがって繰り返しているのだという理解があると、余裕ができるものです。

たとえば、一言注意して周りの子にもいけないことをしているのだということを知らせた上で、「お勉強を続けましょう、そのうちもどってくるから」と言って勉強を続けるということが、あまり感情に波風を立てずにできるようになります。

つかず離れつの距離感といいますか。
そういうの、大事ですよね。

日本人学校の経験が,今の私をどのようにつくっているのか。当時のたくさんの記録と,膨大なジタバタ経験から述べました。
日本人学校への派遣前夜から,海外引越を経て,3年間にわたる生活について。 当時のパソコン通信などのIT事情 メモや手帳などで記録をすることの良さ などについて書いています。

授業を見て学ぶ機会は沢山あります。
研究授業、自主授業研究など。

その中で、「お!すごいな。子どもが一人残らず集中している」と思える授業に出会います。

そんな授業を行う先生は、決まって子どもの発表やつぶやきを、一生懸命に聞いています。
決して、自分の立てた授業の流れに沿わせるように子どもの言葉を改変しようと思って聞いているのではなく、子どものいうことそのものを受け止めているのです。

そこから、授業の組み立てをし直すので、リアルタイムに授業案が変わって行きます。当然指導案の通りには行きません。

でも、そういう授業は生きています。子どもたちはその授業の中で活かされていますので、安心して授業に没入できるのでしょう。

学んだことを言葉にした途端、子どもが自分のこと思い通りのことを言ってくれなかった教師から苦い顔をされることを繰り返されると、子どもは教師の思うようにしようとするようになるか、勉強しているふりをするようになるか、もっと直接的には、ざわざわし始めるかです。
とても、主体的で対話的な深い学びどころではありません。

立てた計画はあくまでも仮説ですから、その検証を使命とする授業でなければ、その場でどんどん変えていけばいいのです。

でも、これはこれで、修行が必要です。
今、この時にある、ピンポイントでの子どもの姿を丸ごと受け止める微視的な見方は、授業全体を俯瞰し、目標の達成まで引っ張っていく巨視的な見方と常につながっていなければなりません。

そして、それは次々に更新されていくのです。

まさに神業。

しかし、若い頃から修行すればその二つの起点はリアルタイムにリンクできるようになります。

そのための第一歩は、子どもの言葉を丸ごと受け止めることではないでしょうか。

まず、微視的に受け止める力を身につける。最初はそこに振り回されたり、瞑想したりすることもありますが、恐れないでどんどんリアルタイムに流れを変えて欲しいと思います。

10年もすると、リンクできるようになりますので。

近頃はあまり見なくなってきましたけど、以前はよく黒板にラミネートした資料を張っている授業を見ました。

せっかく作った資料だから、大事にしたい、見栄えよくしたいという気持ちからだと思います。

でも、これやられると、教室の前面、端っこの席の子どもは資料の表面が光って見えないんですよ。
子どもは何も言わずに黙っているから、先生は気づかないんですよね。

もし、ラミネートした資料を黒板に貼っている先生がおられたらどうぞ指摘してあげてください。
もしくは、端っこから見えるかどうな確認して見てください。

 授業の終わりにまとめをしますね。
子どもがこの授業でわかったこと、できるようになったことを自分なりに振り返らせて終わります。

落語でいうなら「下げ」と言ったところでしょう。トントンと終わって「お後がよろしいようで」とやらなければなりません。

ところが、これまでの緊張が一気に解けてしまうようなまとめをしてしまう時があります。
子どもがすでによく学んでいるのに、また同じことをまとめで1つ1つ確認してしまうときです。

すでにわかっていることをいちからなぞられる。ひとえに、教師に自信がないからです。

しかし、もうわかった子どもにとっては、同じことをなぞられるよりも、本当にできるかどうか試したがったり、自分なりにまとめたかったりします。

受け身がちな子どもは、それでお客さんになってしまいます。集中など一気に消え、先生の話が終わるのをひたすら待ちます。

満足するのは先生だけ。子どもの気持ちはもうどこかに行ってしまってます。

落語の下げのように、おわりはトントンと気持ちよくおわりたいものですよね。


10月19日 №82
me
 10月というと,「春」です。朝顔を巻く時期なのです。
 日本では,おなじみの風情のある花であるあさがおですが,オーストラリアでは,どんどん繁殖して植生を脅かすあまり好まれない植物でした。
 ですから,朝顔の種をまくときには,結構注意しましたね。


朝顔フィーバー

 毎日、「今日は出るか」「明日は出るか」と芽が出るのを待ち望んでいる子供たち。


 今日10月13日はまたまた何人かの子どもの芽が出ていた。


 2学期からはグループの活動をさせているが、今は朝の会でグループの子どもたち全員が水をやったらグループに1つパズルのブロックをやることにしている。
 これを黒板に貼り、全部の班のブロックをうまくつなげれば朝顔がきれいに咲いている絵ができあがる。
 全員の芽が出たら、例の「みんなで大きなかぶを引き抜こう」のための「かぶ」を1つやろうと思っている。

 ※今日10月18日現在、ほとんどの子どもの芽が出ました。あと2人です。もう出るでしょう。もし種に原因があってはいけないので、この2人には種をもう1つずつあげました。

月曜日のSJSタイムは…

 毎週1口テーマで作文を行うことにした。

 題はこちらで与えるのだが、どうしても書きたいことがあったらそれを書いても良い。


 一昨日10月12日のテーマは「あさがおのたねまき」であった。

 毎週1つずつ小さな作文ができていくが、国語の時間でもできるだけ文を書く機会を作っていきたい。


 漢字を覚えることを大変楽しんでいるこの時期でもある。少しでも漢字を使って文を書く生きた機会を作りたい。
 そのために、おうちで簡単な日記などを書くのもいいだろう。日記を書いている子どもがいたら励ましの言葉を書いてあげたいと思っているので、ぜひ学校へ持たせていただきたい。


 学校からの作文がたまったら、作文帳を持って帰らせる。できれば励ましの言葉でも書いていただければ子供も喜ぶだろう。

●たくさんの材料をありがとうございます

 先週、材料集めをしていることを通信に書きました。大変多くの材料が集まりました。

 これらは皆、装飾委員会が集めており、材料ごとに分類して工作や生活科の学習などに使われます。どうもありがとうございました。


 なお、これからも何か材料になりそうなものがございましたら、どうか持たせていただきますようお願いいたします。

ひき算-2②

 大変重要なふんばりどころなので、できればゆっくり時間をかけて授業をしたい。


 今日(10月13日のことで1週間前ですね)で3時間目になるが、まだ黒板前に集めて「お買い物」と言う場面をもとにじっくりと繰り下がりの引き算の理解を図っているところ。


 今日は計算の練習もさせた。二問させて持って来させる。ほとんどの子どもは10持ってきて引くことが理解できていると思われる。


 しかし、つまずきも見られる。


 今の段階で見られるつまずきとしては


  • 実際の生活に即して考えさせると、「13 − 9」では「13ドルが10ドルと3ドルだ。10ドルで買って、そのお釣りの1ドルと財布に残っている3ドルとで合わせて4ドルだ。」と言うことがわかるのに、一般的な形式になると頭をひねっている。
  • 逆に、形式だけを覚えようとするあまり、筋道を立てて考えられない。例えば13 − 9で、10 − 9の1と残っている3とをなぜたすのか説明できない。


 じっくりと丁寧に進めていける時代でした。
 下の本では,1年生以外の学年での授業実践を掲載しています。
 特に3年生の図画工作科の授業記録は,付録だけで全体の2割!

   私のシドニー派遣教員日記: 人生に8つの色をつける

10月13日 №81

はねる


筆順リレー

 5つの班対抗で、筆順リレーをやった。1画描いてはチョークをバトンがわりに次の人に渡し、次の人がまた一画書き加えていく。早く上手にかけた班が勝ちである。

 子どもたちは結構楽しんだ。「火」と言う事の最後の画を払わずに止める子どもが多い。後はよくできていた。

 「山」の最後の角が下に飛び出て書いた子供がいて議論になった。教科書で調べさせたら、活字では少し出ていることがわかった。出ていなければいけない、と言う事は無いのだとおさえた。

朝顔の種まき

 チューリップは今年は咲かないだろう。

 教室前の花壇にも一昨年植えた球根の花が咲いている。鉢に植えたのはあきらめた。


 それで、その鉢の四隅に朝顔の種をまいた。

 「おしっこが出るまで水をあげるんだよ。」と言って水をやらせている。


 月曜、私のと,M里さん、K二君の朝顔の芽が出ていた。

 火曜日にはT博くん、Kすけ君のが出てきた。

 子どもたちが大変うらやましがる。


 チューリップと違ってすぐに芽が出て成長も早いので,子どもたちは意欲を持って育て続けるだろう。

 観察日記をつけさせよう。

朝顔の種まき(子どもの作文から)

K助

 十日にあさがおのたねをまきました。10月11日の夕方,M里さんのあさがおがさいていました。せんせいはあさがおがおおきかったです。ぼくは、すごいなとおもいました。
 ぼくは、あした さくかもしれないなとおもいました。M里さんとせんせいはいいなと思いました。

T郎

 ぼくたちのあさがを月ようびにまきました。M里さんのがふたつでていました。せんせいのがいっこでてました。
 ぼくのはでていなかったです。ぼくはあしたはぜったいにでてるかもしれません。ぼくはたのしみです。

G太

 ぼくは、あさがおのたねをまきました。おおきなあさがおになあれ、といいました。
 M里さんはかえりのときめがでました。
 ぼくは、いつでるか、とおもいます。かようびかなとおもいました。そしてあさがおのどろっぷをいれました。

 あさがおのたねまきはたのしかったです。またやりたいとおもいます。

ひきざんー2

 「13 − 9」など、繰り下がりのある計算に入った。計算の仕方を教える事は簡単。誰でもできる。

 「ほら、13から10とってきてその10から9ひいて1でしょう。1と3で4と,こうやるのよ」

 しかし、「なるほど」とわからせる事は難しい。


 「まいにちの学習」月曜日分の三つ目めの買い物の問題を見たら、その子がわかっているかいないかよくわかった。


「10ドル札から買ってお釣りを貰います」と書いてあれば一応安心だった。

 ところが書いてあっても実際に黒板の前でお財布とお金を貼って買い物の真似をさせるとできない、と言うことがあった。


 計算と実際の場面とか結びつかない。


 今、それを結びつけて「本当にわかった」と言えるようにしよう、と懸命。


 ※今日(13日)も、また、お買い物の場面で考えさせました。この辺、繰り返しやって、次第に「やり方」として残っていくようにさせたいと思っています。


 今日チェックしましたら、9割がた…と言うところでしょうか。わかっているが、やり方に結びつかない子が数名…。繰り返し繰り返しがんばるぞー!

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