Lyustyleの教育ちゃんねる

いつも忘れ物をする子どもとたまにしか忘れない子どもとはしっかり分けて指導する。

このことはしっかり自分に言い聞かせていたヨーコですが,どうもはっきりしません。
 

「あれ・・この子昨日も忘れてなかったかしら。」

「あれ・・今日はじめて・・?これまで忘れ物をしたことなかったっけ・・」
 

記憶だけでははっきりしません。
 

そこで,ヨーコは「忘れ物カード」をつくることにしました。

忘れたら,何を忘れたのかを書いてもってこさせるのです。これで記録が残るので,たくさん忘れる子どもとあまり忘れない子どもとが一目瞭然。
 

「リョータ君,もう5回目よ!」

「ゆきちゃんは初めてわすれたのね。」

すぐにわかります。
 

ヨーコは,うまくやった,と自信満々。主任のマキに報告に行きました。
 

「マキ先生!私,あれからだれがどれだけ忘れたかわかるように忘れ物カードつくったんです。」

「へえ。」

「ほら。こうしたら,たくさん忘れたことあまり忘れてない子がすぐにわかるんですよ。あまり忘れない子を叱ることもなくなりました。」

「いい,工夫をしたわね。」
 

マキにほめられて,ヨーコはうれしそうです。

しかし・・・
※この記事は,下記に移転しました。
忘れ物カードを使って,忘れ物を減らそう!

yoshi

 


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「聞いてくださいよ!マキ先生」
 

お昼休み,ヨーコがぷーっとふくれてマキの教室にやってきた。
 

「どうしたの?ふぐみたいになって」

「うちのクラス,忘れ物が全然減らないんですよ。毎時間,「教科書忘れました」「ノート忘れました」ってずらっと私の前にならぶんですから。」

「ふふ。大変ね。」

「もう。笑い事じゃないですよ。それでね,実は困ってることがあって・・」
 

忘れ物が多い以上に困ってることって何だろうとマキは思い,ヨーコの方に向き直る。
 

「実は,授業の前に忘れ物をした子が並ぶんですけど,最初は「今度から忘れないようにね」と言って帰すんです。でもそれが5人くらいになってくるとだんだん腹が立ってくるんです。」

「ふんふん。」

「それで8人目くらいになると,同じもの忘れてるのについおこっちゃうんですよ。腹が立って。」

「それは考え物ね。指導は公平でなくちゃ。」

「わかってるんですよ。それでもこう・・・・重なってくるとだんだん腹がたって・・どうしたらいいんでしょう?」
 

ヨーコの悩みは,よくわかる。
私も若いころは同じことで悩んだっけ。
 

「ヨーコ先生。その悩みには実は,もう一つ問題があるのよ。気づいてる?」

「なんですか?」



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昼休み。

主任のマキが教室で子供たちの日記を見ていると、3年2組のヨーコのクラスの子どもたちがやって来ました。
 

「あら、リョータ君、ユキちゃんも。どうしたの?」

「先生、ヨーコ先生が変なんです」

「変?」

「なんかぁ、なにやってもぉ、ほめるの・・・」

「いいことじゃないの。みんなもほめられて嬉しいでしょう?」

「ちがうの!マキせんせ。」

ユキが腕をぶんぶん回しながら言います。

「あのね。ノートにね。書いたらね。ほめるの。」

「?」


「・・・あの、ノートに黒板の字を写してるだけなのに、上手ねぇとか、えらいねぇなんです。」

お姉さんっぽいユリがフォローします。


「そうなの?それは困ったねえ。あんまりうれしくないね・・・」

マキ先生にはちょっと思い当たることがありました。


・・・


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この記事は,Lyustyleの教育チャンネルに移動しました。 2018-7-8

 

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「では,めあてを書くからみんなも書いてね」
 

ヨーコは黒板の方を向くと,めあてを書き始めました。

書き上げるのに2分。その間,子どもたちはノートに一生懸命めあてを書いていましたが,ヨーコの書くめあての言葉の先を見越して書いてしまった子が何人もいます。

そういった子どもは,もぞもぞし始めます。
 

やがて,となりの子に話しかける子。

落ちた消しゴムを拾いにいく子。

そういう緊張が崩れてきた状況を見計らって,鉛筆を削りに行く子もいます。
 

子どもたちはだんだんざわざわしはじめます。
 

「みんな 静かに!たって歩いちゃダメでしょ!」

ヨーコは子どもたちの方を向いて注意しましたが,また黒板の方を向いて書き始めると,ざわざわざわ・・・・・
 

・・・職員室で
 

「マキ先生,黒板に字を書いている間に,どうしても子どもたちがざわざわし始めるんです。先生はどうされてますか?」

中休み,ヨーコは,主任のマキに聞いてみました。
 

「そうね。私たちって、電子黒板でもない限り、必ず自分で黒板に字を書かないといけないから、どうしても子どもに背中を向ける時間ができます。」

「はい」
 

「だから、問題はいかにしてその時間を短くするかってことよね。」

マキは、ヨーコの方を向き,話し始めます。

続けて背中を向ける時間を短くすること

「ひとつは,連続して背中を向けている時間を短くするっていう方法があるわね。」

「はい?」

「めあてを書き始めたら,最初の「,」や,言葉の区切りでいったん子どもの方を向くの。そうして,みんながノートに書き始めているかどうかチェックする。」

「あ,なるほど・・・」
 

「ひとつのことを書く間に何回かに分けて子どもたちをみるようにすると,連蔵して背中を向けている時間が短くなるので,子どもたちの集中はくずれにくくなるわよ。」

「そうか!さっそくやってみます!」
 

たしかに,その方法なら,何度も子どもたちの方を向くので,席を立ち始めたり,隣の子に話しかけたりすることはなくなるでしょう。

「穴埋め」にして集中させる

「ふたつめは,めあてにしても問題にしても,わざと空白をつくって書いておく,という方法があるわよ。」

ヨーコにはどういうことだかわかりません。
 

「空白にしておくと,その分書かなくていいから早く書き終えられるでしょ?そうして,いち早く子どもの方を見て,教室を回り始めるの。穴埋めは自分でしなさいということね。」

「ああ,そうか!」
 

そうしたら,子どもは空白部分に何と書いたらいいのか,私の話を思い出したり,前後の言葉の関係から推し量ったりしながら完成させることができます。その間子どもの集中は続くのです。
 

「そうして黒板に戻って,空白分を埋めて板書が完成ってわけ。どう?子どもたちからはやったーって声があがって気持ちをさっと束ねられるわよ。」

ヨーコはしきりに感心しています。

背中を向けていても,背中に目を持っていると子どもに知らせること。

「でもね。もっと大事なことがあるのよ。」

「何でしょうか?」
 

「それはね。背中を向けていても、子どもたちが先生から見てもらっているっていう安心感を持たせることなのよ。背中で見るってことね。」

「背中で見る・・・?」
 

ヨーコは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてきょとんとしています。
 

「背中を向けていても、子どもが何をしているかわかるという先生もいるわ。」

「本当に?」
 

「子どもとの信頼関係といってもいいかもしれないわね。心で繋がってるから、背中を向けていても子どもたちは安心していられるのよ」
 

ヨーコは目をぱちくりさせていたが,にこっとしてマキに礼を言うと教室に上がって行きました。

ヨーコの日誌

子どもになるべく背中を向けないで、黒板に字を書く技術を身につけないといけないけれど、同じくらい頑張って、背中を向けていても子どもたちが私から見守られていると思えるくらい信頼関係を築きたい。

そして、私も背中に目をつけます。

 


「うわー先生,背中にめがある」 

yokoeye
いや,いや,これはちょっとちがいますよね。
 

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「子どもは「子ども」でいることが『成長」の基盤」なのに、教師や大人は子どもに気づかずして背伸びや虚勢をさせているのではないか」

教師人生を終えようとしている先生からの,ある研修会での提言から。総合教育技術2016-4

育ち急ぎ

私は以前から,今の子どもは「育ち急ぎ」をしていると思ってきました。

大人が使うものを使い、大人が話す言葉を話し、大人が着る着物を着、大人が行くところへ行く。そして、大人が考えるようなことを考えています。
 

子どもにはその時代なりの発達の課題があります。5歳なら5歳なりの、10歳なら10歳なりの,その時必要な発達上の課題を十分な時間をかけて解決していかなければ、心が育たないまま、体だけ大人になってしまいます。

はねる


 

よくメディアで言われている。「現在の若い大人たちの中に、子ども時代の思考から抜け出ていないのではないかと思われるような行動や思考をする人たちがいる」ということも,もしかしたらこの育ち急ぎということがあるのかもしれません。
 

余談ですが,うちの長男は,ずいぶん早くつかまり立ちを始めたためか,立ってもよろよろしており,コケるときには頭からばたんといっていたので目が離せませんでした。
次男はいつまでもはいはいしていたためか,立つようになってからは力強く立てていて,こけるときにも上手にお尻からぺたんとすわりこむように倒れていましたので安心でした。
その成長段階にあった成長の課題をじっくりと解決しながら育つ,という意味で分かりやすい例かと思います。


さて本題に戻ります。その育ち急ぎを助けている最大の環境は親です。

育て急ぎ

大人は、逆に子どもを育て急ぎしていはいないでしょうか。
 

早く大きくなって欲しい,早く育って欲しい、という思うあまりに、大人の格好をさせ、大人の行くところに連れて行き、大人の考えをそのまま子どもに伝え、大人のものを持たせる。
 

深夜に郊外の本屋に5歳くらいの女の子を連れてきて,平気で立ち読みをしている若い夫婦の話を以前書いたことがあります。
子どもは本屋の通路を走って回っていますが,おかまいなしです。
まるで,5歳の子どもではなく,自分たちの友達の一人と感じているかのようです。
成長ホルモンが分泌されて脳がどんどん発達していくこの深夜の時間帯,家で静かな環境でしっかり寝せて育ててあげないといけないのに。


こうして、子どもに発達のための十分な時間を持たせてあげることなく一足飛びに大人の社会へ出入りさせてしまっているのではないかというような状況を時々見ることがあります。


若い教師であったころ,ある保護者からこんなことを教えていただいたことがあります。
 

「子どもは幼く育てるのがいいのですよ」


おそらく,その時その時の成長段階に合わせて,急ぐことなくじっくりと育てなさいということだったと思います。


この言葉を聞いてから30数年,私の中で大事にしてきた言葉です。

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採用2年目の若い先生 キリシマヨーコ先生のお話です。
ヨーコ先生は,里山小学校の3年生を担任しています。
元気で子どもたちが大好きな先生ですが,学ぶことはたくさんあります。
そんなヨーコ先生が,少しずつ成長していくお話です。

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このページは,下記に移動しました。


ちゃんとできている子どもにも目を向けよう
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このたび,本を書きました。
AmazonのKDPを利用しての出版です。
 

25年前からのパソコン通信


在外日本人学校への派遣や海外での生活
当時のメモ,手帳による記録の仕方
パソコン通信などについて書いています。

私が日本人学校に派遣されたのはもう25年も前のことになります。
帰国するときに,3年間の学びを1冊の本にまとめました。
それから20数年たった今,海外で生活をすることについての経験や,3年間記録を撮り続けたことの良さなどは,今でも通用するのではないかと思い,まとめようと思いました。

帰国の時にまとめた本から,生活編だけを切り取ったものです。
それでもかなりの分量があります。
Kindleによる読書をした場合の換算がAmazonに出ていましたが,265ページほどで,新書による書籍の少し厚い本くらいの量になりました。

以下でも紹介していただいています。

  『25年前からのパソコン通信』(Lyustyle) – Honkure

なぜ本を書こうと思ったのか

以前に出した本から20数年も経っての出版。
今更,なぜ本にしようとしたのかということについてお話します。

簡単に言えば,本記事のタイトルが主な理由です。
教師は,みんな本を書くべきだと,ずっと思ってきたのです。
年間1000時間ほどの授業実践をしながら,さまざまな経験を積み重ねてきた教師です。
その積み重ねが公になり,教師たちのデータベースとして蓄積されれば,それは教育界にとって大きな前進となると思ってきたからです。

もちろんデータベースのひとつとなるためには,Tossランドに寄稿したり,自分でサイトを作ったりするなどの方法はあります。
しかし,個々の教師が「〇〇ブックス」のように自分をきちんとブランディングして本を出すことで,自分が蓄積してきたさまざまな授業実践が形となって残り,それが他の教師の役に立てるということになるならそれは素晴らしいことではないかと思うのです。
ブログから一歩進んで,それらをまとめて本を作る。
ブログがなくても,これまでの自分の教育実践をまとめてみる。

 論文やレポートなどで教育実践をまとめた経験がある人は多いと思いますが,それとは大きくちがいます。
本を書くということは,自分の責任でちゃんとしたものをつくるということでもあり,書きっぱなしではなくたくさんの人に読んでいただくものをつくり,その価値を世に問うというものでもあります。
 教育論文などは,書くこと自体に価値がある,というようなところがあり,私の場合,それが公にされてみんなが読めるようになるというようなところまではあまり考えずに書いてきました。
 また,募集をする団体もそれを公にするのは上位の数点のみです。
 ですから,論文などは自分の実績として残るのみで,その論文が教師にとって役に立つものなのかどうかは分からないままになってしまっています。

 そういうことはとてももったいない。ぜひ,本にしてみんなが買って読めるようになったらどんなに素晴らしいかと思います。
 
 しかし,これまでは教師が本を出すなどということはとてもできないことでした。雑誌などに寄稿しているうちに編集者の目に留まって執筆依頼が来てみたり,話題になるような教育実践を生み出して有名になって執筆依頼が来たり,など,一部の人だけができることでした。
 
 ところが2012年にアマゾンでKDP(Kindle ダイレクトパブリッシング)がスタートしたことによって,だれでもアマゾンで本を売ることができるようになりました。
 通信環境とワープロさえあれば,だれでも本を出せるのです。
 そういう時代になりました。

 このサービスを利用すれば,教師は教育界の一つの財産を創り出すことができます。出版社の編集者の目に留まるような話題性のある教育実践でなくても,地道に行ってきたことに素晴らしい価値のあるものがたくさんあるはずです。

 そこで2012年にKDPが始まったときからそれを利用して本を出版することに挑戦してきました。
 一度書いた本のリニューアルは結構時間がかかります。構成をどのようにするかということについて深く考える必要があり,この間何度も中断してきましたが,この夏に再開して一気に仕上げました。

 私の場合は中断に次ぐ中断で4年もかかってしまいましたが,ゼロから書き始めていればきっとかなり早くかき上げられていたと思います。
 分量も,KDPで電子書籍として売られている本の多くは私のような分厚いものではなく,そんなにハードルの高いものではありません。数か月もかからずに一冊の本ができると思います。

 ですから,教師のみなさん,はぜひ,ご自分の持っている膨大な教育実践を本にまとめらるということの挑戦されてはいかがでしょうか。
 価値あると思うものを10テーマほど選び,ワープロでまとめれば,あとはガイドに従ってアップロードするだけです。
 これは,自分にとっても振り返りとなり,ご自身の教育に関する知見をさらに豊かにすることになると思います。
 もちろん,収入が生まれますので,公務員としては所属の監督機関に兼業の届けなど必要な許可を得る必要があると思いますので,ご確認ください。
 
 今回,自分で出版をためしてみたかったので,一度書いた本のリニューアルをしました。だから,教育に関する実践の本とはなっていません。
 しかし,これをきっかけに教育関係の本をKDPで出していくつもりです。





 

 
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8月1日に,次期指導要領の審議まとめ案がだされました。

英語を小5から教科化 中教審部会が次期指導要領案 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース

「中教審の特別部会は1日、次期学習指導要領の全体像を示す審議まとめ案を公表
小学校5、6年の外国語活動を3年生からに前倒し
高学年では英語の教科に格上げし授業時間を倍増
小中高校の全教科で、自ら考えながら学ぶ新たな学習方法「アクティブ・ラーニング」を取り入れる」
以上のような点が取りざたされています。

「小学校で純増する授業時間の確保や、教育の質の向上と多忙な教員の負担軽減を両立する具体策が課題となる。」
記事には,以上のように書かれていて,よくわかってらっしゃるなという感想です。
学習内容の削減をせず,時間だけが増えることになります。

このあたり,実際はどう考えられているのかなというのが正直な感想です。
授業をするには準備をしなければならないのですが,その時間がどう考量しているのかという率直な疑問がわいてきます。

授業を1時間するのには1時間以上の準備が必要なのですが,勤務時間には教える時間しか考慮されていません。
教師は自宅に持ち帰って(早く帰るように指導がされている)翌日の教材研究をするわけですが,これは深夜に及ぶこともたびたび。というかそれが教師のライフスタイルのようになっています。
翌日,子どもが「わかった!」という顔をしてくれるためにはそうせざるを得ないのです。

その状況の中でさらに時間増。
まるで授業時間が増えれば学力はますだろうといわんばかりです。
教育の質を考慮すべきです。


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授業研究会。
午前で子どもたちを帰して、会場校に移動します。
研究授業を参観した後、その授業をもとに協議会をするのです。

授業校になったら、教頭先生や教務の先生は他校からの参観者を迎える準備で大変です。
協議会場までの案内表示をしたり、協議会場に机を並べたり、運動場を駐車場にするために車を誘導したり。

 授業は、採用数年目の若い先生が行いました。 夏休みからずっと、近隣の学校の、その教科の研究委員の先生たちに指導をしてもらい何度も指導案を書き直して今日の授業日を迎えました。

案を立てるのに苦労するだけではありません。

その授業を実際におこなうことができるように子どもたちをそこまで育てていなければなりません。
また、決めた授業をその日その時間にぴたっと行うことができるように、授業の進度調整もしなければなりません。
教室の環境作りにも気を遣います。
途中で進め方や発問を忘れることがないよう、事前に何度も練習したり、黒板に書く内容や位置などを覚えたりもします。 .

これらさまざまなことに気を遣いつつ、授業者は自分の健康にも気を配りつつ授業当日を迎えます。

何十人もの先生たちが教室に入ってじっと自分の授業を見ている、という独特の雰囲気の中、授業の案どおりにすすめていきます。

時にはイレギュラーがあって、思うように進められないこともありますが、そこを必死にリカバリーしながら授業を終えます。

子どもたちに「よくがんばったね!」とほめて帰した後、まな板の上の鯉になりに、協議会場に向かい、そこで質問責めにあうのです。 ・ ・

chalks
photo credit: ♥ Jaye

こうした研究授業。 明治時代の頃から行われていたそうです。明治時代以来の日本の教育の文化でした。
アメリカの学者が世界の教師の教授法を検討したところ、日本の授業者の授業が一番理想に近かった。
その理想というのは、教師が教えるのではなく、子供が自ら考えて解決して答えを見つけ出す授業です。日本の教師の指導法がいちばんこれに近かったというのです。 .
その理由を調べたところ「日本では研究授業なるものを行っている。これがよい授業を生む秘密だ」と結論し、本にまとめたところ世界中でベストセラーになり、現在、研究授業が世界中で行われるようになってきたとのこと。
しかし、当の日本では、忙しいことを理由にだんだんおこなわれなくなっていること・・・そのようなことを聞いてきました。
上の文章は、以前の自分のエントリー「研究授業か授業研究か」から抜き出したものです。]

世界から認められた文化である研究授業。

私たち教師は、若い頃からこれを何度も繰り返して授業力向上につとめてきました。
やればやるだけ、自分の授業力向上に役立ちます。

研究授業当日までの道のりは確かにいばらの道ですが、これを越えたときのうれしさ、充足感は格別です。
そして、確実に自分の身になっていきます。(身にしよう、と思っていたらですが) .

研究授業はやったもの勝ちなところがあり、私も過去27年間の授業者生活の中で1年間一度も指導案を書いて研究授業を行わなかったのは1年間だけでした。

教務主任であったときにも毎年手を挙げて研究授業をさせてもらいました。

大変ではありますが、それだけオイシイのです。 .

若い先生方には、ぜひ、自分から研究授業の授業者に手を挙げてもらえればと思います。 Class room photo credit: Leo-setä
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授業研究や、研究授業の旅に配られる指導案。
授業前に熟読しておいてメモを入れておき、授業中は気づきや改善点、疑問などを書き込んで協議会で生かします。


その指導案、協議会が終わったらファイルに綴じ混んで,そのまま放置していませんか。だとしたらとてももったいないですよ。


メモが書き込まれた指導案は、自分の授業への気づきの宝庫なのです。


私の教育観をもとに、もてる授業技術や教科についての知識、これまでの経験を総動員してできあがった、現時点での私の教育における最高の知的生産物です。

それは、自分の教育観の醸成のために蓄積される価値のあるもので、指導案に書かれた学んだことや気づきのメモを書きぬいてためておくことで、自分の授業力向上に役立つ貴重なデータベースとなり得るものです。


しかし、私がそのことに気づいたのは教師になってからもうずいぶん後のことでした。

ずいぶん長いこと、私は自分の指導案は大事にとっておいても、他の教師の指導案はただファイルに綴じておくだけ。時には年度が変わったり学校を異動したりするときに捨ててしまったことさえあります。


なんて勿体無いことをしてしまったのかなと思います。


中には異校種勤務のときの、今の勤務校では見ることのできない貴重な指導案も含まれています。


それに気づいてからは、私は、指導案を明確に授業力向上データベースのソースであると位置づけ、振り返りによって気づきをや学びを書き出し、蓄積するようにしています。


ただファイルしてとっておくだけでもいいかもしれませんが、振り返ることと、自分のフィルターを通した気づき、学びを取り出して整理しておくことが大事だと考えています。その方が意識に残りやすいし、必要なときに取り出しやすいからです。


幸運なことに今でも残っている昔の指導案などを,ときには眺め直してみて、10数年前の、ときには20年以上も前の自分の書き込んでいる気づきから、今の自分の成長を確かめてみるのもいいなと思っています。

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福岡市美術館では,ゴジラ展が始まりました。見に行かなきゃね。

 

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