授業を見て学ぶ機会は沢山あります。
研究授業、自主授業研究など。

その中で、「お!すごいな。子どもが一人残らず集中している」と思える授業に出会います。

そんな授業を行う先生は、決まって子どもの発表やつぶやきを、一生懸命に聞いています。
決して、自分の立てた授業の流れに沿わせるように子どもの言葉を改変しようと思って聞いているのではなく、子どものいうことそのものを受け止めているのです。

そこから、授業の組み立てをし直すので、リアルタイムに授業案が変わって行きます。当然指導案の通りには行きません。

でも、そういう授業は生きています。子どもたちはその授業の中で活かされていますので、安心して授業に没入できるのでしょう。

学んだことを言葉にした途端、子どもが自分のこと思い通りのことを言ってくれなかった教師から苦い顔をされることを繰り返されると、子どもは教師の思うようにしようとするようになるか、勉強しているふりをするようになるか、もっと直接的には、ざわざわし始めるかです。
とても、主体的で対話的な深い学びどころではありません。

立てた計画はあくまでも仮説ですから、その検証を使命とする授業でなければ、その場でどんどん変えていけばいいのです。

でも、これはこれで、修行が必要です。
今、この時にある、ピンポイントでの子どもの姿を丸ごと受け止める微視的な見方は、授業全体を俯瞰し、目標の達成まで引っ張っていく巨視的な見方と常につながっていなければなりません。

そして、それは次々に更新されていくのです。

まさに神業。

しかし、若い頃から修行すればその二つの起点はリアルタイムにリンクできるようになります。

そのための第一歩は、子どもの言葉を丸ごと受け止めることではないでしょうか。

まず、微視的に受け止める力を身につける。最初はそこに振り回されたり、瞑想したりすることもありますが、恐れないでどんどんリアルタイムに流れを変えて欲しいと思います。

10年もすると、リンクできるようになりますので。

近頃はあまり見なくなってきましたけど、以前はよく黒板にラミネートした資料を張っている授業を見ました。

せっかく作った資料だから、大事にしたい、見栄えよくしたいという気持ちからだと思います。

でも、これやられると、教室の前面、端っこの席の子どもは資料の表面が光って見えないんですよ。
子どもは何も言わずに黙っているから、先生は気づかないんですよね。

もし、ラミネートした資料を黒板に貼っている先生がおられたらどうぞ指摘してあげてください。
もしくは、端っこから見えるかどうな確認して見てください。

 授業の終わりにまとめをしますね。
子どもがこの授業でわかったこと、できるようになったことを自分なりに振り返らせて終わります。

落語でいうなら「下げ」と言ったところでしょう。トントンと終わって「お後がよろしいようで」とやらなければなりません。

ところが、これまでの緊張が一気に解けてしまうようなまとめをしてしまう時があります。
子どもがすでによく学んでいるのに、また同じことをまとめで1つ1つ確認してしまうときです。

すでにわかっていることをいちからなぞられる。ひとえに、教師に自信がないからです。

しかし、もうわかった子どもにとっては、同じことをなぞられるよりも、本当にできるかどうか試したがったり、自分なりにまとめたかったりします。

受け身がちな子どもは、それでお客さんになってしまいます。集中など一気に消え、先生の話が終わるのをひたすら待ちます。

満足するのは先生だけ。子どもの気持ちはもうどこかに行ってしまってます。

落語の下げのように、おわりはトントンと気持ちよくおわりたいものですよね。


10月19日 №82
me
 10月というと,「春」です。朝顔を巻く時期なのです。
 日本では,おなじみの風情のある花であるあさがおですが,オーストラリアでは,どんどん繁殖して植生を脅かすあまり好まれない植物でした。
 ですから,朝顔の種をまくときには,結構注意しましたね。


朝顔フィーバー

 毎日、「今日は出るか」「明日は出るか」と芽が出るのを待ち望んでいる子供たち。


 今日10月13日はまたまた何人かの子どもの芽が出ていた。


 2学期からはグループの活動をさせているが、今は朝の会でグループの子どもたち全員が水をやったらグループに1つパズルのブロックをやることにしている。
 これを黒板に貼り、全部の班のブロックをうまくつなげれば朝顔がきれいに咲いている絵ができあがる。
 全員の芽が出たら、例の「みんなで大きなかぶを引き抜こう」のための「かぶ」を1つやろうと思っている。

 ※今日10月18日現在、ほとんどの子どもの芽が出ました。あと2人です。もう出るでしょう。もし種に原因があってはいけないので、この2人には種をもう1つずつあげました。

月曜日のSJSタイムは…

 毎週1口テーマで作文を行うことにした。

 題はこちらで与えるのだが、どうしても書きたいことがあったらそれを書いても良い。


 一昨日10月12日のテーマは「あさがおのたねまき」であった。

 毎週1つずつ小さな作文ができていくが、国語の時間でもできるだけ文を書く機会を作っていきたい。


 漢字を覚えることを大変楽しんでいるこの時期でもある。少しでも漢字を使って文を書く生きた機会を作りたい。
 そのために、おうちで簡単な日記などを書くのもいいだろう。日記を書いている子どもがいたら励ましの言葉を書いてあげたいと思っているので、ぜひ学校へ持たせていただきたい。


 学校からの作文がたまったら、作文帳を持って帰らせる。できれば励ましの言葉でも書いていただければ子供も喜ぶだろう。

●たくさんの材料をありがとうございます

 先週、材料集めをしていることを通信に書きました。大変多くの材料が集まりました。

 これらは皆、装飾委員会が集めており、材料ごとに分類して工作や生活科の学習などに使われます。どうもありがとうございました。


 なお、これからも何か材料になりそうなものがございましたら、どうか持たせていただきますようお願いいたします。

ひき算-2②

 大変重要なふんばりどころなので、できればゆっくり時間をかけて授業をしたい。


 今日(10月13日のことで1週間前ですね)で3時間目になるが、まだ黒板前に集めて「お買い物」と言う場面をもとにじっくりと繰り下がりの引き算の理解を図っているところ。


 今日は計算の練習もさせた。二問させて持って来させる。ほとんどの子どもは10持ってきて引くことが理解できていると思われる。


 しかし、つまずきも見られる。


 今の段階で見られるつまずきとしては


  • 実際の生活に即して考えさせると、「13 − 9」では「13ドルが10ドルと3ドルだ。10ドルで買って、そのお釣りの1ドルと財布に残っている3ドルとで合わせて4ドルだ。」と言うことがわかるのに、一般的な形式になると頭をひねっている。
  • 逆に、形式だけを覚えようとするあまり、筋道を立てて考えられない。例えば13 − 9で、10 − 9の1と残っている3とをなぜたすのか説明できない。


 じっくりと丁寧に進めていける時代でした。
 下の本では,1年生以外の学年での授業実践を掲載しています。
 特に3年生の図画工作科の授業記録は,付録だけで全体の2割!

   私のシドニー派遣教員日記: 人生に8つの色をつける

10月13日 №81

はねる


筆順リレー

 5つの班対抗で、筆順リレーをやった。1画描いてはチョークをバトンがわりに次の人に渡し、次の人がまた一画書き加えていく。早く上手にかけた班が勝ちである。

 子どもたちは結構楽しんだ。「火」と言う事の最後の画を払わずに止める子どもが多い。後はよくできていた。

 「山」の最後の角が下に飛び出て書いた子供がいて議論になった。教科書で調べさせたら、活字では少し出ていることがわかった。出ていなければいけない、と言う事は無いのだとおさえた。

朝顔の種まき

 チューリップは今年は咲かないだろう。

 教室前の花壇にも一昨年植えた球根の花が咲いている。鉢に植えたのはあきらめた。


 それで、その鉢の四隅に朝顔の種をまいた。

 「おしっこが出るまで水をあげるんだよ。」と言って水をやらせている。


 月曜、私のと,M里さん、K二君の朝顔の芽が出ていた。

 火曜日にはT博くん、Kすけ君のが出てきた。

 子どもたちが大変うらやましがる。


 チューリップと違ってすぐに芽が出て成長も早いので,子どもたちは意欲を持って育て続けるだろう。

 観察日記をつけさせよう。

朝顔の種まき(子どもの作文から)

K助

 十日にあさがおのたねをまきました。10月11日の夕方,M里さんのあさがおがさいていました。せんせいはあさがおがおおきかったです。ぼくは、すごいなとおもいました。
 ぼくは、あした さくかもしれないなとおもいました。M里さんとせんせいはいいなと思いました。

T郎

 ぼくたちのあさがを月ようびにまきました。M里さんのがふたつでていました。せんせいのがいっこでてました。
 ぼくのはでていなかったです。ぼくはあしたはぜったいにでてるかもしれません。ぼくはたのしみです。

G太

 ぼくは、あさがおのたねをまきました。おおきなあさがおになあれ、といいました。
 M里さんはかえりのときめがでました。
 ぼくは、いつでるか、とおもいます。かようびかなとおもいました。そしてあさがおのどろっぷをいれました。

 あさがおのたねまきはたのしかったです。またやりたいとおもいます。

ひきざんー2

 「13 − 9」など、繰り下がりのある計算に入った。計算の仕方を教える事は簡単。誰でもできる。

 「ほら、13から10とってきてその10から9ひいて1でしょう。1と3で4と,こうやるのよ」

 しかし、「なるほど」とわからせる事は難しい。


 「まいにちの学習」月曜日分の三つ目めの買い物の問題を見たら、その子がわかっているかいないかよくわかった。


「10ドル札から買ってお釣りを貰います」と書いてあれば一応安心だった。

 ところが書いてあっても実際に黒板の前でお財布とお金を貼って買い物の真似をさせるとできない、と言うことがあった。


 計算と実際の場面とか結びつかない。


 今、それを結びつけて「本当にわかった」と言えるようにしよう、と懸命。


 ※今日(13日)も、また、お買い物の場面で考えさせました。この辺、繰り返しやって、次第に「やり方」として残っていくようにさせたいと思っています。


 今日チェックしましたら、9割がた…と言うところでしょうか。わかっているが、やり方に結びつかない子が数名…。繰り返し繰り返しがんばるぞー!

9月20日 №75
me

子どもたちはバス通学ですから,時間が来たら,どんな楽しいことをしていようが,切り上げて子どもたちをバスに連れて行かなければなりません。
何かのイベントの時には,何でもそこそこに,子どもたちを体育館に連れて行きます。
バスに間に合うということが第一義的な目標なのです。


今日も大変な子供たち

 金曜日のメニュー。

 朝来てすぐに着替え。

 8時30分椅子を持って運動場へ 見学席に椅子を並べてから入場行進の練習。

 それから開会式。校長先生の話、国旗掲揚、優勝杯返還などの間、ひたすら立っている。

 プログラム1番ラジオ体操で体を動かした後、休憩。

 2時間目は応援の練習と閉会式の入場練習。


 みっちり鍛えられた2時間。最後の20分は「あと何分…」とそればかり気にしていた。


 しかし、それだけでは終わらない。今週いっぱいは昼休みには応援練習とリレーの練習が待っている。


 お弁当をものすごい勢いで食べさせ、リレーの子、お弁当応援の子と分かれて練習へ。練習が終わったら飛んで帰って帰りの用意をし,バスに急ぐ。

 なんとまぁ、大変な1日だったろうか。

 しかし来週は昼休みの応援練習がなくなるので少しは楽になる。

1年生にとっては少~し大変な運動会前の2週間。本校の子はみんなそうやって大きくなりました。最後の1週間、頑張りましょう。

エール交換…?

dance_colored

 応援練習の時、「エール」と言う言葉が英語にあるのかどうか気になってウェブスター先生にお聞きしたところ、「エールはビールのことだ。」と言う返事。


 「ではオーストラリアではこのような相手の健闘を讃えるようなことを何と言うのですか」と怪しげな英語のような言葉で聞くと、「Gleeting to other team?Respect? We say hail.」と言う返事。


 「ヘイル」と発音されました。例のヘイル(以前降って車をぼこぼこにする被害をもたらしたソフトボール大の超巨大な雹のことをヘイルと言っており,私たちはヘイルという言葉を聞くと縮みあがった)と同じ発音ですが、意味は違うのだそうです。


 「Heil Emperor!」などのようなに使うのだそうです。

 「それじゃあハイル・ヒットラーと同じですかね?」と聞くとまさにその通りとのこと。大昔は「こんにちは」の代わりに「ヘイル,◯◯さん」と言っていたそうで、「Hello」はここからきたのではないかと言っていらっしゃいました。


 われわれが「エール」と言っているの英語ではヘイルなのだ、ということがわかりました。


 それでは英語のヘイルがなぜ日本では「エール」になったのか、という疑問が残りました


 体育のT先生にお話ししたところ、興味を持たれ「調べてみよう」と言うことになりました。


 まず外来語辞典で調べてみましたらなんとあっさり解決。「エール」は「Yell」である、とあるではありませんか。「エール」は「ヘイル」ではなかったのです。「Yell」だったのです。


 ところが、これで終わらなかった。


 ウェブスター先生にお聞きしたら「そうです。叫ぶことです。しかし健闘をたたえると言う時に使う言葉ではありませんよ。叱る時に声を張り上げるが、ああいう叫び方です。」

ロペス先生も出てきて「そうそう」と…。


 とすると、エールは本来、相手をたたえるのではなく、相手に罵声を浴びせることなのか?

日本でエールと言っているのは間違いで,「エール交換」では「罵声の浴びせない」になってしまうのか?

「ヘイル交換」と言わなければならないのか?


 この疑問はその日の夕方には解けました。


 T先生がガーリー先生にお話しされたところ、Yellの意味はオーストラリアでは「罵声」のニュアンスだが、アメリカでは「声援」と言う意味になるのだと教えてもらったと言うことです。


 イギリス英語とアメリカ英語の違いでした。


 これで解決。我々が「エール」と言っているのはアメリカ英語だったのです。


 「こんな、当たり前のことを長々と…」とお思いになっていらっしゃる方、すみません。知らなかったもので…。

9月16日 No.74

me
学習も運動会の練習もとても充実した毎日の中,お墓に水を上げるようなちょっとホッとするようなことも・・・・


運動会の練習⑤

 ようやく、ダンスの指導が一通り終わった。雨続きで外ですることがなかなかできなかったので「全員で大きな円を作る」という箇所が練習できずに冷や汗ものであったが、なんとか今日することができた。一同「ほっ」と一安心。子どもたちも先が見えて自信を持ったことだろう。

 スキップも多くの子どもができるようになってきた。


 しかし、4拍子のリズムが取れない子どもはまだたくさんいる。4ステップで前に出て、4ステップで同じ場所に戻ってくると言うことができない。友達より前に行こうとするあまり、ものすごい形相で進み、そのまま戻って来れなくなってしまう。

 5ステップ、6ステップ、しまいには走って戻っている。


 これはおそらく運動会当日まで持ち越しだろう。その辺,割り引いて見ていただきたい。

毎日ダンスばかりだが、今週である程度ケリをつけていかないと最終週である来週がきつい。

小さいねこ

 グッドタイミングで、レイさんの家のねこに4匹の子ねこが産まれたそうな。一体どんな名前がつけられるかクラスの子どもみんなの関心になっている。


 ところで昨日の授業のことである。

 車にひかれそうになって助かった猫の挿絵を黒板に書き、その時の子猫の気持ちを考えてまわりに書かせた。「びっくりしたなぁ」「怖かったよ」などの意見が多い中で、M里さんの「どうしたのかな」と言うのが異色で、話題になった。


 黒板の前でまずH明くんが指摘し、K二くんがうなずいていた。


 M里さんによると、車が急に止まったのでびっくりした事は皆と一緒だが、自分がひかれそうになったことには気づいていないのだ、と言うことだった。

この意見はいい、いけない、と色々と出てきたが、中には「1人だけ違うからダメだ」と言う過激な論もあった。


 ようやく歩き始めたばかりの赤ん坊の例を出して、「小さい子にはそういうことがあるじゃないか、と言うと他の子どもも納得した。かえって「小さいねこ」らしくていいじゃないかと言う考えも出てきた。


 この単元「小さいねこ」では、ノートに自分の考えを書かせて,書いた後から黒板にその意見を書く、と言うことをさせている。


 子どもたちは考えをぐんぐん書くことができるようになっている。

「手」「犬」

 昨日、「手」と「犬」の漢字をやった。


 「手」は、そのでき方を話すと大変興味深そうにしていた。手を使った言葉を言わせると「手のひら」「手と足」「手を叩く」「手首」などとたくさん出てきたが、「てんと」「てつ」なども出てきた。

「手」を意味として使わず、「て」と言う音で使っているわけだ。漢字には、ひらながと違って一つ一つの字に意味があるのだ、ということを教えないといけない。


 M里さんが「犬作ろう」と言ってMさんを誘って教室の後に行ったので見ていたら、自分が手と足を広げて立って「大」の字を作り、Mさんに手で「犬」の点をつけてもらっていた。


 子どもたちは体で字を作ると言う発想にいたく感心していた。


 すぐにその遊びが広がっていった。

墓に水をやる

 一昨日の昼休み、ふと外を見ると手洗い場の前に人だかり。

 「どうしたのさ」と聞いてみると、「虫の幼虫のお墓。人に知られないように、秘密の場所にお墓を作っているんだ」と言う。


 これだけ人だかりがあるのに秘密も何もないもんだ。面白いな、と思っていた。


 体育が終わって教室に帰る途中、地面が何やら騒々しい。

 見てみると、例のお墓の周りが線でぐるっと囲ってあり、中心部に葉はが二本さしてある。


 「こりゃあ、お墓だ…」


 秘密どころではなかった。


 昨日は、そのお墓にA人くんがじょうろで水をやっていた。

 「お墓に水をやって、芽か何か出るのかね。」と聞くと照れくさそうにしていた。

毎日大変な子供たち

 弁当慌てて食べて、リレーの練習に走っていく選手。選手以外はアセンブリホールに集合。応援練習があるのだ。「急げー」

 終わって帰ってくるとすぐ体操服に着替えて「運動場に行け~!」

 運動場から帰ってくると「着替えた子からここに並べ〜!音楽だ~!」

 音楽から帰ってくると、「楽器を置いたらすぐにアセンブリに行け~!応援練習だ~!」

 応援練習から帰ってくると,「帰りの用意をするんだ~!バスがいっちゃうぞー!」


 毎日、大変な子どもたち。


 今週だけだからね。

 がんばろうね。

9月13日 №73

lala2

いよいよ運動会の練習にも力が入ってきました。普通のムカデリレーを,大陸横断鉄道の名前にしてみたり,大玉運びを,アボリジニーの伝説「ドリームタイム」にしてみたり。

ネーミングの楽しさをたっぷり味わう練習となりました。


運動会の練習4「ドリームタイム」

 これだ。今年の低学年の学年競技(ゲーム)の名前はこれに決まり!


 一体どういうことをするのかと言うと、子どもたちが4人1組で手をつないでこれを「ブーメラン」とし、レインボースネークを模したジグザグの道を走ってエミューの卵(赤白の大玉)を安全な所に移す。そしてブーメランはまた、戻ってきて次のブーメランにタッチと、こういう競技だ。


 何の事は無い、日本でよく行われている大玉運びと手つなぎリレーを合体させたものであるが、やっている本人たちが「それっ!早くブーメランを作れ!」とか、「エミューの卵を安全な場所に!」などと思ってやっているところが、日本人学校低学年流の大玉運び+手つなぎジグザグレース「ドリームタイム」なのである。


 ネーミングは、昨年の中学部の競技「インディアンパシフィック対ザ・ガン」と言うネーミングに影響を受けている。内容は要するにムカデレースなのだが、それをオーストラリアで行うとこうなるんだよと言ってるような感じがした。ムカデが大陸横断・縦断列車に見えてくるのである。ただのムカデレースをオーストラリアで行う価値はこのネーミングにある!と痛感。


 ちょうどアボリジナル文化発表会のあった後で,子どもたちもブッシュダンスなどに見られるアボリジナル文化に対する関心を持っていたので、この路線で行こう、と低学年の先生と話し合ってきたのである。


 大玉をエミューの卵に見立て、ジグザグに走るコースを、トーテムの1つであるレインボースネークに見立て、走る子どもたちをブーメランに見立て…。

 カンガルーまで登場するんじゃ、これはもう「ドリームタイム」しかない。


 子どもたちはバトンの代わりにタスキを渡す。はじめは,はバトンを「デジュリドゥ」に見立てよう、なんて言っていたのだが、バトンを持たせているとエミューの卵が運べないのでたすきにした。


 目下、このたすきを何に見立てようかと子どもともども楽しんでいる。

国語「小さなねこ」初めての漢字

 初めて漢字が出てきた。

「小」と言う字だ。


 子どもたちは「知ってる!」「読める!」「書ける!」と大騒ぎ。まだ、知らない子たちがそれこそ小さくなっている。知っている子どもの数を調べているみると8人であった。半分近くの子が知っている。


 この時期になると、子どもたちは字への興味からいくつかの漢字が読んだり書いたりできるようになっているようだ。

 自分の名前を漢字で書ける子どももいる。


 さていつものように知っている子どもを立てながら、いかにひきつけるか。知らない子どもたちに自信を失わせることなく指導するか。いつも頭が痛い。


 頭の中をぐるぐる回る思いを追い払いつつ、「小さい」と言う事を教える。


 小学校で習う1006字の漢字の第一歩を、彼らは踏み出した。


me
漢字については,現行指導要領でも20年前と同じ1006字で続いてきましたが,2020年度からの新指導要領からは,20字増えて,1026字となります。都道府県関連の漢字が増えます。

9月9日 No.72

lala2

運動会の練習3

 いよいよ本格的にダンスの指導を始めた。中心となって指導してくれるのは2年のO先生とロペス先生、そして我がウェブスター先生である。


 子どもたちは男子がカンガルー、女子がエミューになって踊る事は昨日お話しした。

 今日は踊りを入れたが、カンガルーもエミユーも動作がとてもかわいらしい。


 大人にとって簡単なことが、子どもにはなかなかできない。

 「前方に1、2、3、4とリズムに乗せて歩いていく」ということから既につまずいている。

 まず、「1」が一斉に出ない。必ず遅れる子どもがいる。


 さらに「4」では足を揃えるのだが、これも難しい。どうしても足を踏み出してしまう子どもがいる。さらに続けて「後方に、6、7、8と進み,8で足を揃える」等に至ってはまだまだ全滅状態。

 どうしても「4」で一息入れてしまい、続けて動作することができないのである。リズム感の良い子はすぐにできることだが、普通はなかなかできないようだ。


 「スキップしながら。」と言う動きが間に入るが、このスキップができない子がかなりいる。数えようと思っても、理屈で数えるとかえってできなくなってしまうことが多い。

 「左足でポンと飛び上がってそのまま左足で降り、すぐに右足を前に出してその足で飛び上がって見出しで降りるのだよ。」といってもできない。

 手をつないで一緒にしてあげてもできない。

 「スキップしなくてもいいからリズムに合わせて両足揃えてぴょんぴょん飛びながら前に進みなさい」と言うといつの間にか知らずにできていたりする。


 家でも1つ見てあげていただきたい。

力を合わせて大きなかぶを引き抜こう

 壁に大きなかぶの形を切り抜いて貼り付けた。

 次に緑色の紙を葉のように切り、壁に貼り付けた。そうしておいて子供たち一人一人にかぶを抜いている格好の自分を描かせて切らせ、葉のまわりに貼らせた。みんなで一斉にかぶを抜いているような感じになった。


 その横に、「力を合わせて大きなかぶを引き抜こう」と書いた紙を貼った。

 みんなで力を合わせてできるようになったことを探させ、1つにつき小さなかぶを1枚,大きな壁に貼り付けることにした。


 とりあえず、「(みんなで力を合わせて草むしりをしたので草がなくなった。」と書いた小さなかぶを1つ用意してやった。このかぶを早く貼れるように頑張ろうと言うことになった。

大きなかぶの音読

 家で毎日音読に励んでいる事だろう。

 「おおきなかぶ」は読んでいるだろうか。教材も一応は読ませていただきたい。


 ところでこのお話の面白いところは「繰り返し」である。

 低学年の題材はこの繰り返しの楽しさのあるものが多い。これは民話などにも言える。

 子どもたち相手に「日本一のきびだんごじゃ。」「1つ下されい。お供しますけん。」「1つはどうなん。半分やる。」と桃太郎の話をしてやると、きじの所では覚えてしまって、語り手と一緒になって自分たちも語る。それはそれはうれしそうに語る。こうやって昔の子どもは昔語りを1つ覚え、2つ覚えしていたのだった。


 このお話も繰り返してあるが、実は少しずつ変化しながら繰り返している。

 「うんとこしょ、どっこいしょ。」は6回出てくるが、この6回は全部中身が違う。つまり、1人ずつ声の出し主が増えているのだ。かぶに対する願いがだんだん強くなっていっていると言っても良い。…とすると、全て同じ読み方ではない。少しずつ盛り上がっていく読み方になっていくはずである。

 音読の良いところはここだ。声に出して読むことで、より内容の理解を深めていくのである。音読は理解するためにするのだ。

 2学期が始まったところも多いことでしょう。

 ほんの数年前までこの時期はまだ夏休みだったのに、学力向上の名の下に、学力向上のための準備の時間として貴重な8月の最終週が授業時間に変わりました。
 時間数さえ増やせば子どもが賢くなるという、いつもの考えです。

 ぼやいても始まらないので、私たちは前に進まなければなりません。
 準備時間を減らされても、タイムカードを投入するから早く帰る意識を持てと言われても、目の前に子どもがいるのですから。

 そこで、まずは、宿題をできるだけ早く目の前から無くしましょう。
 全員の分の宿題を見るのは大変ですが、できれば今週中に返してしまいましょう。
 工作など、いつまでも飾っておくと、せっかくの作品に埃が積もったり、色あせたり、まずい場合は友達が触って壊れてしまったりします。

 延ばしてもせいぜい参観日の展示まで。

 私はなかなか線が引けない人間だったので、まごまごしているうちにとうとう返す時期を逸してしまい、何と2学期いっぱい持っていたことがあります。
 子どもも、そんなもの今更返してもらっても、と困惑していました。
 できるだけみんなに見せてやろう、この作品を活躍させてやろうと思う気持ちが、完全に裏目に出てしまいました。
 ですから、それからは、作品が綺麗なうちに返すようにして来ました。

 恥ずかしい失敗です。

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