Lyustyleの教育ちゃんねる

6月12日 ナンバー44

自分で動く

算数。
プリントを私のところに持って来させる。
持ってきた後の事まで指示しておかないと、プリントを出した後はてんやわんやの大騒ぎになってしまう。

今日は指示を出していなかったので、あっちでおしゃべりこっちでダンスが始まったが、「僕計算やってるよー」との声。
Yuくんが「計算カード」を出して始めているではないか。
他の子も気づいて席につき計算し始めた。

くにゃくにゃパラダイス 1

以前「こんなことしたよ」と言うことでたんけんの絵を描かせた。
感じた事は、どの子も「ちまちま」した絵を描くと言うことだ。
特に女の子はかなりガチガチのお人形さんに固まっていて、自由な気持ちで楽しく描いていくことができないように思われた。
「鼻をかきたくないよー」と言う女の子もいるのだ。


何とかして我を忘れたようなのびのびした絵を描かせたいと思った。

色々と理屈を考えずに自然に腕が動き、いつの間にか画用紙からはみ出してしまった,そんな絵を描かせたいと思った。


今週「こんな絵をかいたよ」をするにあたって色々と考えた。

「楽しかったことをかきましょう」といっても描けるものではない。

使う色数が少ない、体の動きが描けず気をつけ姿が多い、小さくて表情が表れない、などの実態を…少しは使う色数が多くなった,少しは体をくにゃくにゃに描けた,少しは表情が出たなどに高めるためにはどんな題材が良いか。


強烈に楽しい体験、汗が出るほど体を動かせる体験、きれいだなと感じさせられる体験、そういう体験をさせて絵を描かせると良いのではないか。ではどうすればいいか。


前日の帰りの車の中であれこれ思いを巡らせているときに思いついた。


フラフープをさせよう。


あれはいつも体育でやっている。フラフープを私が持ってくると飛び上がって喜ぶくらい好きだ。みんなかなり上手くなっている時期でもある。

フラフープなら体をくにゃくにゃかなり激しく動かさないといけないし、手も顔もその表情を体感できそうだ。


レゲエの音楽をかけてやってみよう。楽しい気分この上ないだろう。

おまけに、外でやろう。空の青さ、芝生の緑でたくさんの色が使えるだろう。いっそのこと絵に描く自分には好きな服を着せて良いことにしよう。


題材の名も子どもにズバリとつきささるものが良い。「くにゃくにゃパラダイス」と言うのはすぐに決まった。


こうして木曜の図工の時間を迎えた。

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6月9日 ナンバー43

祝 皇太子殿下 ご成婚!

30年に1度あるかないかと言う大変な日です。日本は今頃大騒ぎでしょう。

日本にいて一緒にお祝いできないのが残念ですが、今日は子どもたちにお話をしてこちらからお祝いをしました。

子どもたちの「読む」力、一段と伸びる

近頃、子どもたちがぐんぐん読めるようになってきている。
家での音読がかなり奏功しているように思われる。
うまくすらすら読めるのでこちらもどんどん読ませる。


新しい単元「おはようって いい気持ち」など、色々と方法を変えて10回は読ませた。

数多く声に出して読むすることだ。

読む 書く 聞く 話す

国語の時間には、この4つの活動を1時間の中に取り入れるよう留意している。


上述のごとく「読む」は、どんどん力がついている。

「書く」については、字形指導,視写等でこれもぐんぐん上手になってきている。

「話す」については、国語以外での様々な活動を含めて、友達の前で話をすることがずいぶん好きになりつつある。

問題は「聞く」ことである。

入学以来、これだけはほとんど伸びていない。


いや、先生の話はずいぶん聞けるようになっている。(そのように話している)

ここで言うのは、お互いの話を聞きあう、ということである。

自分で動く

「先生、筆箱はどうするんですか。」
しまうんですよ。
「下敷きはどうするんですか。」
しまうんですよ。みんなしまうの。
「ノートは?」
それもしまうの。
「教科書は?」


何でもかんでも聞かないとできなかった子どもたちが、だんだん自分で判断して動くようになってきた。


何も言わなくても次の時間の準備をして遊びに行く。

起立がかかるまで、ノートに字の練習をしている。…etc


こういうことをしばらく発見しつつ、この通信上に記録していこう。

ブロック操作の名人

足し算ブロックを使ってさせている。


式を見てさっとブログを動かして答えを見つけられるようになりなさいと言っている。


「ブロック使い」の名人を育てたいと思っている。

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今朝の読売新聞に、学校の校務運営システムに在宅で繋がる、いわゆるテレワークのことが書かれていました。

大阪市教委が2014年に校務運営システム導入とともに始めたことです。
それまでは、通知表や指導要録など、外に持ち出せないために在宅で仕事できず、遅くまで残らねばなりませんでした。

また、子育て中の教師は、遅くまで学校に残れないので、休日出勤を余儀なくされていました。
しかし、家で運営システムにアクセスできることで、退勤を早められるようになだだということです。午後6時には家に帰れるようになった例が掲載されています。


さて、「よかったよかった」と言いたいところですが、実はそうではありません。これは、生活の仕方が改善されただけであって、仕事量の多さが緩和れるわけではないからです。

午後5時以降はプライベートではありませんか。アクセスできるようになったとは行っても、結局仕事はしなければならないんです。赤ちゃんを抱いて。
「よかったよかった」というためには、早く帰れた上で家でも仕事をしなくて済むことが大事なんです。

なぜ?

 それは、教師は人を教育する仕事だからです。人を教育する人は自分を磨き続ける人でなければなりません。5時以降は、そのための時間に使えなければならないのです。
家族との大事な時間をきちんととった上で残る可処分時間で、十分な知的な活動を行う時間が必要なのです。研究、読書、対話、鑑賞。

これらのことが土台になり、私たちは深い教養を持って子どもたちの指導に当たることができるようになります。
寝るまで明日の準備や事務仕事では、教師は自分の成長ができません。

だから、私たちには、午後5時までに全てを終えられる環境が必要なんです。


午後の授業は外注にして、教師は事務や研究に午後を使えるだけで日本に教育は変わります。

人を増やして空き時間を作るだけでも変わります。


そういうことをしなくてはダメです。

アクセスできるようになったということは、家でも仕事をせよと行っているのと同じですから。


とはいえ、まずはここからですけどね。
その点で、テレワークはゴールではなく、第一歩。
まだ、これさえ実現できないところもあるんだから。まずはここから。


鳥取県教委は、校務運営システムを導入した時に「教員の業務は学校で全て終わらせるのが本来の姿だ」としてテレワークを見送ったそうです。

これは逆に素晴らしい。
午後5時で全ての業務を終わらせるために、県としてなんとかする、という覚悟の姿です。(・・・であってほしい。そうでなければ、実体のない単なる筋論で、「業務を改善して早く帰れ。でも仕事は全部終わらせてから帰れ」と行っているに等しいからです」

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6月7日 ナンバー41

ノート

近頃授業中に次のような子どもたちの声を聞くことが多い。


○「先生!もう、ノートをこんなに使ったよ!」


自分の、この2ヶ月の学習の後しみじみとかみしめているのだ。


○「えー!もったいないよ。」


算数は、右側が何マスも余っていても次のことをやるときには必ず下の行から始めさせる。その時の言葉である。


「ノートは空いているところにどこにでも書いて良いのではない。」ということを今からしっかりと教えていきたい。


子どもを見ていると驚くのだが、上の学年へ行っても放っておけばとんでもないところから書き始める。
「順番にページめくって」とか
「1番上から」
とかいった大人の常識が彼らには約束事としてなかなか受け入れられない。
だからこそちゃんと教えておきたい。



算数のノートは横10マスである。


「1 +1 = 2」で5マスだから、右にもう一つ書けるわけだ。だから1番下まで書いた子どもは、今度はページを変えずに同じページの右側の開いたところに書こうとする。


その結果このページの第1行目は次のようになる。


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これは避けたいので、次のページに,と言うことになる。


「▼」のところにたてに赤線をひかせてから1ページにぎっしりと書かせる実践もあるが、2桁になるとできないし、①などと問題番号をつけさせるとマスが足りなくて使えない。


それより空白を作りながら,あえて次の行へと進ませて言ったほうが、後々ノートの使い方の習熟へつながる。第一見やすい。



しかし、「もったいない」と言う子どもの感覚には感心し、驚いた。


「後から、前のページをめくってみて空いている場所は邪魔にならない程度に字の練習に使ってごらん」と言う意味のことを言っておいた。

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かっぱ

かっぱ かっぱらった

かっぱ らっぱ かっぱらった

とってちってた


ご存知、谷川俊太郎さんの「ことばあそびうた」から。


促音「っ」の学習をしたので、子供たちに教えた。「っ」の嵐のような歌である。


一生懸命にお家の方に教えようとした子もいるだろう。

まず暗唱させて、できるようになってから朝学習の時間なりを使って視写させてみようと思う


ところで今度、下のようなプリントを作った。そのうちにおうちの方と一緒にやってもらおう。(先に学校でやるが…)

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「□っ □」はたくさんあるので、色々とお話ししながら探していただくわけであるが、「っ」が頭に来ているものも中に入れている。「そんな字はないんだ」ということに気づかせるため。第一発音できない。


「っ」が最後に来ているものは、声ならあるだろう。「あっ」とか「めっ」など。


これ、終わったらぜひ手を叩きながら一緒に読んでいただきたい。

「ねっ」「こ」ではなく「ね」「っ」「こ」。


みっつの字でできている言葉だ、とい意識づけるため。

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操作を通して…

うちの子が、先週「お父さん、ぼく,足し算できるよ」と言って「5 +3 = 8」とか「2 +3 = 5」などと言っていた。


「なんで知ってるのさ?」
と聞くと
「『ようちえん』にのっとう(「のっている」の博多弁)と言う。


「偉いなぁ。ところで、2 +3っで一体どんなこと?」と聞いた。

「よくわかんないよ。」



就学前の子どもの知っている「足し算」はここどまりであろう。
数字の扱いはできているが、数そのものを扱えているわけではない。また、生活の中の事象に置き換えて説明できるわけではない。


そのようなことができるようになり、「数の概念」をより確かにしていくのが1年生の算数である。


例えば2 +3 = 5であるが、答えを出すだけなら、指を使って幼稚園の子でもできる。

意味が言えないといけない。


「1 +2」とか「4 +3」などと見せられてぱっと答えが出てくる子が何人かいるが、ここは、じっくりとブロックを操作させながらやる。
数を扱えるようにするため。


焦らない。

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「そ」まで指導

先週で、「そ」まで指導し終えた。ここまでで、全員が正しい形で、そして「はね」「とめ」「はらい」などを正確に書ける字は次の通り。


「き」「く」「こ」「さ」「せ」。


これらに,一つ共通点がある。

それは「はらい」が含まれていないということだ。


「はね」「とめ」は容易だが、「はらい」は書きながら徐々に力を抜いていくと言う高度な筋肉の働きが要求されるため、できない子どもが多い。


書かせてみると、自分ははらっているつもりなのに、力を抜いたと思えば運筆もストップしているので「とめ」のように見えるのである。

前にも書いたように、これはすぐにできると言うものではないので、ひたすら練習である。

これができるようになった時、全員の子どもがすべてのひらがなを正しい字形で書けるようになっていると思う。


「い」は「はらい」はないが、右側が長くなる子供がいる。同じく「はらい」はないが、形がまだおかしいものには


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がある。

正しい字形と美しい字

字形が正しければ美しい字になっていくもんだと思う。


ここで言う「字形」とは、「とめ」「はね」「はらい」、それから、点画の長短や方向を正しくすることを行っている。


字形には、2年以降、点画を交わらせる位置に気をつけることや、漢字の組み立て方に気をつけて書くことなど年を追って出てくることになるが、この1年における「とめ」「はね」「はらい」を丁寧に書くことができておれば、「整えて書く」ことが身に付きやすいように思われる。


例えば「そ」の字。一画一画をちゃんと折り、終筆の「とめ」ができることが必要だ。


ただそれができていても「*(下に図示)」のように中心からずれる子がいる。

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しかし、そのことはその都度教えはするが、あまりうるさくは言わない方がいいかもしれない。


このように「整えて書く」と言うことは、「か」のように、左と右に書くと言うようにすぐにできやすいものとは別に、手の運動能力や感覚によるものがある。


それらは「とめ」「はね」「はらい」などを大切に書いている、ということでよしとしたい。美しさは

後からついてくる。


後はプリント、書き方の時間等での指導で行っていく。



●さて字形を整えて書くということを意識したひらがなプリントを作ってみました。

今日の宿題プリントがそれです。

「●」は始筆や「折れ」の位置、「○」は「はらい」を示しております。

子どもさんの様子を見られてのご意見をお待ちしております。

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指示が通らない


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月曜(10日)は、ことのほか,指示が通らない日であった。やはり2日の休み明けと言うのはそんなものか…!?

2時間目の国語。今日は「あいうえお かきくけこ」を書けるかどうかワークシートを使ってテストをしてみたわけであるが、このワークシートの「どこ」に「何を」書くかと言う指示だけで5分近く要した。


「プリントの一番こちら側…。ここですよ。指で押さえてごらん。
はい,君。先生を見て。わかりますか?ここですよ。
あれ、◯◯君は友達の見ないで先生の見るんですよ。
ここです。ここに「あいうえお かきくけこ」と書くんですよ。
◯◯君、言ってごらん。
ここに何書くの?
あれ、言えない。
手遊びをしていたね。持ってるものをおいて。
ここに、「あいうえお かきくけこ」を書くの。できるかな。
では書いてください。」


「先生。何書くの?」


「わああああああああ・・・・」頭をおさえる私。(←脚色)


今日は、特にすごかった。火曜日には、また元のペースに戻っていることだろう。

「あいうえおかきくけこ」

書かせた後、「か」の事についてだけチェックした。


あの授業によりどれだけの子どもが正しい「か」を書けるようになったか…。


18人中15人である。三人はがんこ者である。「*(前回の記事の参照図 右側)」と書いていた。

ka

読めるからいいとは言え、正しい字形であるとは言えない。

四ツ葉のクローバー

生活科で、「遊びに行っちゃぁいけない場所」の学校探検をした。校庭のすみっこと、まわりである。

ここにはデューティー(注)の教師の目が届かないので遊んじゃぁいけないことになっている。


ところが、驚いた。
入学後1ヵ月の子供たちの遊び範囲は、なんといつの間にかここまではよ広がっていたのだった。


例のバーベキューごっこもここ,土手の裏で行われていたのであった。何やら怪しい儀式のあとか祭壇があるなと思っていたら、それがバーベキューごっこの現場であった。


ひとしきりそこで遊ばせてから、ここには明日から遊びに来てはいけないことを告げた。


クローバーがたくさんある所で四ツ葉さがしをした。結構あるかと思ったがなかなかない。「見つけたら通信に載せててあげるよ。」と言うと必死になって探していたが、とうとうK二君が見つけた。
それも珍しい五ツ葉だった。


クッカバラ(注)が二羽見ていた。



今日は,解説をします。

「デューティ」とか「クッカバラ」など謎の言葉が出てきますね。


「デューティ」とは,「プレイグラウンド・デューティー」のことで,教師に課せられた休み時間の校庭での見守りの事です。


私が初めて1年生を担任したこの学校は,海外日本人学校で,オーストラリアのシドニーにありました。当時すでに裁判社会に突入していたオーストラリアでは,教師が見ていないところで子どもが遊んでいてケガをしたら,学校の責任で裁判をされることがあったので,教師が交代で見守るようになっていたのです。


たまたま私が見守りにあたっていた日,遠くの雲梯で子どもが落ちました。当然助けに行けるような距離ではなかったのですが,「見ていた」という事実があったため,訴えられるのを免れた,という話をあとから聞いたことがあります。



「クッカバラ」というのは,30cmほどもある大きな大きなワライカワセミのことです。

こんなのです。

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庭先によく飛んできて,ものほしにとまり,けらけら泣いていました。


下で紹介している本に,詳しく書いていますので,どうぞご覧ください。

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<承前>

bbq


なんと、見事に全員が正しい「か」が書けなかった!!
うふふ。こちらの思うツボ。


「本当は知ってるのに!知ってるのに!」

くやしそうな子どもたち。


くやしさは取り除いてあげたかったので、

「いいんだよ。それでも充分『か』の字に似ているよ。読めるよ。」と言ったら、火に油を注いじゃったみたい。


「まぁ、とにかく見といてごらん。」と言って次のように書きました。(下図左)


ka


子どもたちのは上の右の方のようになっていたんですよ。


これはとても大切なことだと思っています。
なぜ?


だって「か」の字は「加」と言う漢字からできたでしょう?


ひらがなと言う文字文化は、その成立と切り離せないですもの。「正しい形」を学ぶと言うのは、こういう事と関係があるんですよね。



実は、たった1人「まだ知らないよ。」と言う子がいました。今まで「か」の字を書くと言う経験をしてきてなかったからです。私が書くのを見て、うれしそうに「わかった」と言いました。

私は、その子を前に出して黒板(ちゃんと縦横の線が入っています)に書かせました。
T美さんです。

書けたのです。


大いにほめました。


他の子どもたちは大騒ぎで、「わかった!自分たちにも書ける!」と言うので、また持って来させました。


そうすると…!!


できていたのはHアキくんとAヒトくんのたった2人!


なんと、「知ってる!」と言っていた子どもたちがほとんど書けなくて、今まで知らなかったT美さんがかけたのです。


大逆転です。


皆、この3人の字を見に走っていきました。


tadasi

今度は、全員書けました。


「みんな「『知ってる!』と思っていたからちゃんと先生の教えたことが見えなかったの。でもT美さんは知らなかったから一生懸命先生の教える字を見てて、なんと、このクラスで1番初めに書けるようになったの。」


「HアキくんとAヒトくんは『知ってると思ってたけどやっぱり知らなかった。ちゃんと見よう。』と思って一生懸命見てたから次に書けるようになったの。」


「『知ってる!』と思っているといつまでたっても本当のことはわからないの。『知ってると思ってたけど、やっぱり知らなかった。』と思うことから勉強は始まるんだね。あとの字も本当にできるように勉強しようね。」


「は~い」


…といっても、全く通じないのが1年生なり。

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jugyou


 現在,「1年生学級通信」のシリーズを投稿しています。
 すでに12記事投稿しました
 この年の通信は140号くらいあるので,どれを投稿したらいいのか検討しながら投稿しています。

 今から20数年前,私がまだ33歳の時の学級通信です。

 その年,私は初めて1年生を受け持たせてもらいました。 
 私たちの頃は,若い男性はなかなか1年生を持たせてもらえませんでした。しっかり修行を積んで,教師としての実量をつけてからでないと,もたせてもらえなかったのです。
 1年生を担任するということは,それほど重要なことだったのです。

 現に,私は,初めて1年担任をしたその年,子どものおじいさまという方からお手紙をいただいたことがあります。むかし校長先生をされていたという,その方からの手紙には,はっきりと「1年生担任を任せれたということは,それだけの技量を持った教師とみなされたということですね。本当におめでとうござまいます。」と書かれていました。

 そういう時代でしたから,私もようやく認めてもらえたのだと素直に喜びました。そして,その感動と責任感から,ほぼ毎日子どもたちの様子を通信し続けたのでした。

 この通信には,1年生という発達段階にある人たちがどのような存在であるのかを日々学び,そしてどのように育てていったらいいのか,ということについて考え続け,真摯に取り組んだあとがつづられています。
 初めて1年生担任をされる方の参考になればと思って,手がきの通信を,少しずつ入力して投稿しています。

 ところで,この通信はほとんど「常体」で書かれています。

 保護者を読み手として書かれてはいますが,自分の教育実践の記録としての通信でもあったので,保護者への連絡としての箇所以外は,すべて「常体」です。

 教育実践記録としての学級通信。

 若い教師の方は,あまり見たことがないかもしれません。
 おたよりが「当然のサービス」になってしまった現代において,それは保護者への連絡や周知のために行うものです。

 ところが,過去,学級通信がまだ「当然のサービス」ではなかった時代には,今のブログのように書きたいから書く,という学級通信の文化があったのです。

 日付を見られて不思議に思うかもしれません。
 同じ日付の通信が何枚もあるのです。そのことに示されるように、一回一枚と決めて書いて入るわけでもありません。私は8枚書いたことがあります。
 この年は、入学前に子どものことをあれこれ想像しながらすでに4枚書き、入学式で配りました。

 そんなに書いてどうするのだ、いったいなんでそんなに書くのだ、と思われそうですが、そこでは,教育実践が語られていたのです。

 「ごんぎつね授業全記録」のような学級通信もありました。
 子どもが描いた毎日の絵手紙の余白にさまざまなことを書き込んだ通信もありました。
 新聞のように,レイアウトに凝りまくった通信もありました。
 連絡だけではなかったのです。さまざまな学級通信の形がありました。

 まさに「学級通信文化」とでも呼べるような文化があったのです。

 私も1983年に教師になったときから,そのような通信を書いてきました。

 ところどころ,現物のコピーを挿入しています。
 ワープロでの通信が多い中,手書きの通信もなかなかよいものだと思っていただけるのではないでしょうか。

 記事の投稿は,ようやく5月中旬に差し掛かったところです。
 これから,この年の1年間の通信を,投稿していきます。

 
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 若い先生が1年生の描いた絵をもってきて,「アドバイスの仕方がわかりません」と言って悩んでいます。
 
 
 教室に入って見ると・・

 あらあら・・素敵な柄じゃありませんか。
 先生と信頼関係に裏打ちされた,リラックスした,お話の一杯つまったいい絵だと思いました。
 全然アドバイスなどいらない,すでに完成された絵です。

 この前のお休みの時,家族と行った公園でバーベキューをした絵。
 よこの台には,野菜が載っています。今から焼くんでしょう。

 よくみると,白い三角に黒い四角がかかれたものが6つならんでいます。

 もう,好奇心がにょきにょき出てきて,これ,「おにぎり?」と聞いたら,
 「焼きおにぎり」
 なんだって。

 へえ!
 「じゃ,このおにぎりの横の青いのはお魚だね。これから焼くんだ。」
 といったら,
 「これはね,さめのあかちゃん。つれたの。」
 っていうから,もうびっくり。

 アドバイスなどいりません。
 描いた絵をもとにお話して,そこにかくされたたくさんの「秘密」を引き出してやればいいんです。

 子どもはそれを「絵」なんて思っちゃいません。
 砂場で遊んでいるように,ただ色と形をこね回して遊んでいるのです。

ボールあそび


 そうやって,

 楽しかった,とか,
 びーっくりした,とか,
 うわ!大きかった!とか,
 おいしかった~とか,

 そんなことをくちゃくちゃ言いながら,砂場で砂と戯れているように,腕と頭と心を動かしているんです。

 それを,教師は「絵」だと思ってしまう。

 白いところがいっぱいあって,「ちゃんと全部塗ってない。完成してない。絵としてしあがってない!」と思う。

 色は線からはみ出してるし,人は気をつけしたり万歳してるだけだし,顔はなにかのお人形みたいだ。色は青一色べたっと塗っているだけで,ピンクとか水色とかと混ぜ合わせるともっときれいになるのに・・・
 なんとかしてもっと見栄えの良い「絵」らしくしてあげなくちゃ。

 それでアドバイス,という言葉が出るのです。

 でも,子どもにとっては余計なお世話です。
 せっかく楽しく描いたものをなんで頼みもしないのにアドバイスされなきゃならないの?
 アドバイスって,こちらから頼んでしてもらうもんでしょ?
 してもらいたくもないのにされるアドバイスなんて,余計なお世話。

 でもそれが続くと,子どもは従うようになります。
 「先生がこれでいいって言った。だから完成。」
 「白いところに色ぬらないとできたとはいえん,と言われた。でも空と地面の間って,空気でしょ。色なんかついてないから何色塗っていいかわからない・・しかたない。黄色でもぬっとこう」

 まあ,そのようなわけで,「情操を豊かにする」という教科目標からどんどん離れていくわけですね。

 アドバイスなどなし。
 「できました」と言って先生の前にずらっと行列ができるようなこともなし。
 先生は,机を回って,子どもの絵から秘密を解読していけばいいのです。
 子どもはその絵を元に楽しくお話をしてくれます。
 びっくりするようなことが隠されています。
 それを先生が読み取ってくれた時,子どもはその絵を描いたかいがあったのです。
 そして,またさらにお話をしてくれます。

 そのうえで,「はあ。満足した。たのしかった~」と達成感を感じたら,その絵はそれで完成です。
 先生との楽しい会話の中で,さらにもっとこうしよう!と思ったらまた書き続けるでしょう。
 終わりか,まだやるのかは,教師が決めるのではなく,子どもが決めるのです。

 その自己決定は,教師とのお話の力です。
 
 白いところを含めて子どもの表現です。
 決して未完成なのではありません。
 堂々と,貼ってあげましょう。


 ・・・というようなことを若い先生にお話しました。
 少しすっきりしたみたい。
 そのあとは,楽しく子どもたちと絵についてお話をされていました。

 こういう表現を繰り返していくことで,子どもは達成感を感じ,「もっとこうしたい」という気持ちが生まれ,技能を高める欲求へと結びつき,その技能を使うことでみにつけていく。
 そうやって,自然に「絵」の技能を高めながら情操が豊かになっていきます。
 
 だから,お話をしましょう。
 
  
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