Lyustyleの教育ちゃんねる

<承前>

bbq


なんと、見事に全員が正しい「か」が書けなかった!!
うふふ。こちらの思うツボ。


「本当は知ってるのに!知ってるのに!」

くやしそうな子どもたち。


くやしさは取り除いてあげたかったので、

「いいんだよ。それでも充分『か』の字に似ているよ。読めるよ。」と言ったら、火に油を注いじゃったみたい。


「まぁ、とにかく見といてごらん。」と言って次のように書きました。(下図左)


ka


子どもたちのは上の右の方のようになっていたんですよ。


これはとても大切なことだと思っています。
なぜ?


だって「か」の字は「加」と言う漢字からできたでしょう?


ひらがなと言う文字文化は、その成立と切り離せないですもの。「正しい形」を学ぶと言うのは、こういう事と関係があるんですよね。



実は、たった1人「まだ知らないよ。」と言う子がいました。今まで「か」の字を書くと言う経験をしてきてなかったからです。私が書くのを見て、うれしそうに「わかった」と言いました。

私は、その子を前に出して黒板(ちゃんと縦横の線が入っています)に書かせました。
T美さんです。

書けたのです。


大いにほめました。


他の子どもたちは大騒ぎで、「わかった!自分たちにも書ける!」と言うので、また持って来させました。


そうすると…!!


できていたのはHアキくんとAヒトくんのたった2人!


なんと、「知ってる!」と言っていた子どもたちがほとんど書けなくて、今まで知らなかったT美さんがかけたのです。


大逆転です。


皆、この3人の字を見に走っていきました。


tadasi

今度は、全員書けました。


「みんな「『知ってる!』と思っていたからちゃんと先生の教えたことが見えなかったの。でもT美さんは知らなかったから一生懸命先生の教える字を見てて、なんと、このクラスで1番初めに書けるようになったの。」


「HアキくんとAヒトくんは『知ってると思ってたけどやっぱり知らなかった。ちゃんと見よう。』と思って一生懸命見てたから次に書けるようになったの。」


「『知ってる!』と思っているといつまでたっても本当のことはわからないの。『知ってると思ってたけど、やっぱり知らなかった。』と思うことから勉強は始まるんだね。あとの字も本当にできるように勉強しようね。」


「は~い」


…といっても、全く通じないのが1年生なり。

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jugyou


 現在,「1年生学級通信」のシリーズを投稿しています。
 すでに12記事投稿しました
 この年の通信は140号くらいあるので,どれを投稿したらいいのか検討しながら投稿しています。

 今から20数年前,私がまだ33歳の時の学級通信です。

 その年,私は初めて1年生を受け持たせてもらいました。 
 私たちの頃は,若い男性はなかなか1年生を持たせてもらえませんでした。しっかり修行を積んで,教師としての実量をつけてからでないと,もたせてもらえなかったのです。
 1年生を担任するということは,それほど重要なことだったのです。

 現に,私は,初めて1年担任をしたその年,子どものおじいさまという方からお手紙をいただいたことがあります。むかし校長先生をされていたという,その方からの手紙には,はっきりと「1年生担任を任せれたということは,それだけの技量を持った教師とみなされたということですね。本当におめでとうござまいます。」と書かれていました。

 そういう時代でしたから,私もようやく認めてもらえたのだと素直に喜びました。そして,その感動と責任感から,ほぼ毎日子どもたちの様子を通信し続けたのでした。

 この通信には,1年生という発達段階にある人たちがどのような存在であるのかを日々学び,そしてどのように育てていったらいいのか,ということについて考え続け,真摯に取り組んだあとがつづられています。
 初めて1年生担任をされる方の参考になればと思って,手がきの通信を,少しずつ入力して投稿しています。

 ところで,この通信はほとんど「常体」で書かれています。

 保護者を読み手として書かれてはいますが,自分の教育実践の記録としての通信でもあったので,保護者への連絡としての箇所以外は,すべて「常体」です。

 教育実践記録としての学級通信。

 若い教師の方は,あまり見たことがないかもしれません。
 おたよりが「当然のサービス」になってしまった現代において,それは保護者への連絡や周知のために行うものです。

 ところが,過去,学級通信がまだ「当然のサービス」ではなかった時代には,今のブログのように書きたいから書く,という学級通信の文化があったのです。

 日付を見られて不思議に思うかもしれません。
 同じ日付の通信が何枚もあるのです。そのことに示されるように、一回一枚と決めて書いて入るわけでもありません。私は8枚書いたことがあります。
 この年は、入学前に子どものことをあれこれ想像しながらすでに4枚書き、入学式で配りました。

 そんなに書いてどうするのだ、いったいなんでそんなに書くのだ、と思われそうですが、そこでは,教育実践が語られていたのです。

 「ごんぎつね授業全記録」のような学級通信もありました。
 子どもが描いた毎日の絵手紙の余白にさまざまなことを書き込んだ通信もありました。
 新聞のように,レイアウトに凝りまくった通信もありました。
 連絡だけではなかったのです。さまざまな学級通信の形がありました。

 まさに「学級通信文化」とでも呼べるような文化があったのです。

 私も1983年に教師になったときから,そのような通信を書いてきました。

 ところどころ,現物のコピーを挿入しています。
 ワープロでの通信が多い中,手書きの通信もなかなかよいものだと思っていただけるのではないでしょうか。

 記事の投稿は,ようやく5月中旬に差し掛かったところです。
 これから,この年の1年間の通信を,投稿していきます。

 
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 若い先生が1年生の描いた絵をもってきて,「アドバイスの仕方がわかりません」と言って悩んでいます。
 
 
 教室に入って見ると・・

 あらあら・・素敵な柄じゃありませんか。
 先生と信頼関係に裏打ちされた,リラックスした,お話の一杯つまったいい絵だと思いました。
 全然アドバイスなどいらない,すでに完成された絵です。

 この前のお休みの時,家族と行った公園でバーベキューをした絵。
 よこの台には,野菜が載っています。今から焼くんでしょう。

 よくみると,白い三角に黒い四角がかかれたものが6つならんでいます。

 もう,好奇心がにょきにょき出てきて,これ,「おにぎり?」と聞いたら,
 「焼きおにぎり」
 なんだって。

 へえ!
 「じゃ,このおにぎりの横の青いのはお魚だね。これから焼くんだ。」
 といったら,
 「これはね,さめのあかちゃん。つれたの。」
 っていうから,もうびっくり。

 アドバイスなどいりません。
 描いた絵をもとにお話して,そこにかくされたたくさんの「秘密」を引き出してやればいいんです。

 子どもはそれを「絵」なんて思っちゃいません。
 砂場で遊んでいるように,ただ色と形をこね回して遊んでいるのです。

ボールあそび


 そうやって,

 楽しかった,とか,
 びーっくりした,とか,
 うわ!大きかった!とか,
 おいしかった~とか,

 そんなことをくちゃくちゃ言いながら,砂場で砂と戯れているように,腕と頭と心を動かしているんです。

 それを,教師は「絵」だと思ってしまう。

 白いところがいっぱいあって,「ちゃんと全部塗ってない。完成してない。絵としてしあがってない!」と思う。

 色は線からはみ出してるし,人は気をつけしたり万歳してるだけだし,顔はなにかのお人形みたいだ。色は青一色べたっと塗っているだけで,ピンクとか水色とかと混ぜ合わせるともっときれいになるのに・・・
 なんとかしてもっと見栄えの良い「絵」らしくしてあげなくちゃ。

 それでアドバイス,という言葉が出るのです。

 でも,子どもにとっては余計なお世話です。
 せっかく楽しく描いたものをなんで頼みもしないのにアドバイスされなきゃならないの?
 アドバイスって,こちらから頼んでしてもらうもんでしょ?
 してもらいたくもないのにされるアドバイスなんて,余計なお世話。

 でもそれが続くと,子どもは従うようになります。
 「先生がこれでいいって言った。だから完成。」
 「白いところに色ぬらないとできたとはいえん,と言われた。でも空と地面の間って,空気でしょ。色なんかついてないから何色塗っていいかわからない・・しかたない。黄色でもぬっとこう」

 まあ,そのようなわけで,「情操を豊かにする」という教科目標からどんどん離れていくわけですね。

 アドバイスなどなし。
 「できました」と言って先生の前にずらっと行列ができるようなこともなし。
 先生は,机を回って,子どもの絵から秘密を解読していけばいいのです。
 子どもはその絵を元に楽しくお話をしてくれます。
 びっくりするようなことが隠されています。
 それを先生が読み取ってくれた時,子どもはその絵を描いたかいがあったのです。
 そして,またさらにお話をしてくれます。

 そのうえで,「はあ。満足した。たのしかった~」と達成感を感じたら,その絵はそれで完成です。
 先生との楽しい会話の中で,さらにもっとこうしよう!と思ったらまた書き続けるでしょう。
 終わりか,まだやるのかは,教師が決めるのではなく,子どもが決めるのです。

 その自己決定は,教師とのお話の力です。
 
 白いところを含めて子どもの表現です。
 決して未完成なのではありません。
 堂々と,貼ってあげましょう。


 ・・・というようなことを若い先生にお話しました。
 少しすっきりしたみたい。
 そのあとは,楽しく子どもたちと絵についてお話をされていました。

 こういう表現を繰り返していくことで,子どもは達成感を感じ,「もっとこうしたい」という気持ちが生まれ,技能を高める欲求へと結びつき,その技能を使うことでみにつけていく。
 そうやって,自然に「絵」の技能を高めながら情操が豊かになっていきます。
 
 だから,お話をしましょう。
 
  
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「か」の字知ってる! ①

毎日毎日「知ってる!知ってる!」と、それはそれはどの教科でもすごい騒ぎ。

「そうかい。そうかい。」とうなずいて見せるわけです。

さて水曜日で一応「あいうえお」までの指導を終わりました。正しい筆順と字形を,面白い歌を歌いながら覚えさせました。

IMG_1770



歌を歌いながら、これらの誤りに気づかせ、、正しい字形に気をつけさせようとしました。

「い」は全員かけます。「う」では、払えない子が3人います。これは手の運動機能の問題もあり、すぐにはできるようにならないでしょうから、急がせないようにします。

「え」は
IMG_1774

となる子が3人。
IMG_1775

となる子が2人。

これもあんまり言うと嫌になりますので、気長にやります。

「あ」「お」は、意外とできます。難しいと思ったのですが。

さて、このようにしてきていよいよ「か行」と言う事なのですが、子どもたちのほとんどが、もうすでに「知ってる!」

ひらがなをこれ以上習うことに飽きている様子でした。

「今日は「か」の字を・・・」
「もう知ってます!」
「そんなことないでしょ。まだ知らないでしょ。」
「知ってるよー!」

さて、この場面をどうするか…。

①「知っていますか。そうですか…」と言ってすぐすぐ引き返す。

②「うるせ~い。知っていようが知っていまいが知ったこっちゃねぇ!だまって教科書を開けぇーい!」と怒鳴り上げる。

・・・

などと言う情けない手はとれません。

「知ってるよ!」と言うのを、自信を傷つけることなく、「やっぱり知らなかった。ちゃんと勉強してみたいな。」と意欲を持たせなくちゃならない。

「知ってるのにわざわざ勉強なんてしたくね~や。」という気になっているのでなかなか難しい。

「やっぱり知らなかったんだ。」と言う事実を知らせるしかないなぁと思いました。


「それじゃあ、ノートに書いてきてごらんよ。」と言いました。


感心感心。みんなちゃんと「かきくけこ」と書いてくるではありませんか。

しかし、ものの見事に全員字形が違う。


「おお!似ている!でも違う。」


自分こそは絶対書ける!と自信満々に持ってきた子全員が、私から「すごい!「か」の字に似ているね!」と言われて、ぶ然とした表情で帰ってきます。

(続く。)

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◯入学当初、机にかじりつき、おずおずと自分の居場所を広げていった子どもたち。


図書室に連れて行ったり音楽室に連れて行ったり、生活科で学校探検したりする中でだんだん行動範囲が広がり、それとともに一人ひとりが自分らしい顔で動き始めた。


一人ひとりの子どもをとらえるというのは本当に難しいもので、とらえたと思った時には既にどこかに行ってしまっているとはよく言われることだが、そのとっかかりが見えてきた。


話し方、書き方、数え方、遊び方、食べ方、並び方…など、生活の中の多くの指導をどう組み立てていくかを具体的に考えていく時期に来たように思う。


先日のアンケート。全部揃った。

●ご協力ありがとうございました。そのうち学級通信上で自己紹介の文を掲載させていただきます。

こいのぼりフェスティバル

明日は「こいのぼりフェスティバル」がある。

例年、参観となっている。


私個人としては初めての授業参観なので国語か何かの授業を見てもらいたいところだが、例年そのようになっているらしいので…。


ただ、授業参観の日でなくても、いつでも教室にいらして結構だと思っている。先日、お一人お見えになった。所用で学校に見えたのだが、時間があるので、との事だった。はじめ,遠くから遠慮がちに見ていらっしゃったので、中に入ってもらった。そして「あ」の字の書き方の指導の場面を見てもらった。


こちらも適度の緊張感があってなかなか良いものだ。張り合いもあった。

結局、昼食指導まで見られてから帰られた。

後日、お手紙をいただいた。

楽しかったと言うことであった。


こいのぼりフェスティバルでは、2年生国際学級とのミックスのグループでひとつのこいのぼりを作る。ただのお祭りでなく、つくる活動が主である。


その活動を通して日本に伝わるこいのぼりを身近に感じてくれたらと願っているわけである。

国際学級の子どもと仲良くなる日でもあり、2年生の子どもを「1年生のお兄さん、お姉さん」として育てる場でもある。

あいうえお

今週で「あいうえお」の全てが正しく書けるようになるはずである。


「う」は,この歌を歌いながら教える。


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きっと喜んで、楽しみながら覚えてくれるのではないかと思っている。

「ひらがな遊びの授業 伊藤信夫」

太郎次郎社でした。


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▶生活科の「学校探検」はお知らせした通り、楽しく行うことができた。


今週は数々の出合ったものたちをどのように学級の友達に表現するか、ということが中心になる。


一人一人、一番知らせたいことがあるだろうから、一人1枚、ポケットカメラでその場面を撮らせようと思っている。

その写真を地図に貼って、教室に掲示しようと思う。(懇談会には間に合わない)


休み時間になると、よくワッペンをつけて探検に行っているので、写真を見てまた行ってみようと言う気になるだろう。


また、牛乳パックで学校を作る活動も考えている。パックをの1つの教室と見立てて窓などをかき、並べて学校を作るわけである。全員が行うわけではないが、牛乳パック、揃えておいていただきたい材料である。(木曜に使う)


他の子は空箱のことを池に見立てて中にメダカを紙で作って入れ、メダカの池を表すかもしれない。
理科室の骸骨、音楽室の楽器を作る子もいるだろう。


教科書には「事務の方のメガネを作ったよ。」などの例があるがなるほど楽しい。「そんなのもありか。」と納得している。


生活科は始まったばかりで、実はやったこともなく、内心おそれおののいていた教科であるが、ふたを開けてみるとなんと夢多き教科であることか。


教科書を眺めているだけで楽しい。


▶算数は、今週、ようやく「10」まで行く。


入学後4週目にしてようやくという感じだが、これまた大事な問題だ。簡単にいくわけにはいかない。


大方の子どもは10までの数くらい読めるし,書けるし,数えられる。

大体「時計のはりが8になるまでに着替えなさい」とか、「5人の人に読みを聞いてもらいなさい。」と、普段の授業の指示の中で数字はバンバン出てくるのである。
もちろんわからなければ使わない。しかし1の2の場合はわからない子がいないので使っている。


しかし読めても書けても数えられても、
「5がどんな数か」
ということは,まだ十分に知らないのである。

5は4の次の数であるとか、
2と3に分けられる数である、とか、
6より1つ少ない数である、とか
5番目の数であるとか、

そういうことを,おはじきや、くまさんやリスさんを使って、じっくりと教えていかないと「5を知っている」ということにはならない。


「数の概念」というやつである。


これをおろそかにして上すべりで行ってしまうと,1年の終わりの2桁の足し算くらいになってわからない子どもが出てくると言われている。


「もう知ってるよ」と言う子供たちに、手を変え品を変え、飽きさせないようにしながら、じっくりとやっていかなければならない場面である。


「ようやく4週間で」と言うより「まだ4週間なのに」と言う方が当たっているかもしれない。


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修行の旅その2

今日も最初の10分間を使って修行の旅を行った。


今日で2回目であるが、こういう時でも「この前言ったようにやりなさい」てはいけない。もう一度ちゃんとやり方を見せてやらなければ,決まってどうやっていいかわからない子どもが出てくる。
したがって、聞いてあげる人は「目と口の形をしっかり見る」ということをもう一度演じながら教えてあげる。


「おともだちかあど」にまた丸がついていない友達を見つけて聞いてもらうように指示。修行の旅が始まった。


あれだけ演じて見せてもまだわからない子どもがいるのでさすがに1年生の指導は奥が深いと感心する。
友達をつかまえては、「聞いてください」ではなくて自分が聞いているのである。つまり、友達をつかまえて読ませているわけである。


TヒロくんとKすけ君が、友達の話を聞いてあげるときに「口と目が見えないよ」と言って教科書を少し下げてあげているのを見た。ちゃんと目や口を見てあげていることがわかる。後で大いにほめた。


R奈さんが、HあきくんとKすけ君から「聞いてくだされ。」と言われていた。「じゃんけんしてね」と言っていた。モテるんだなぁ。ああ、そういう問題じゃないか。


「友達の読み方、いいなぁと思った人いますか?」と問うと、ぱっと手が上がる。

Kすけ君は、G太君の読み方がいいと言った。
G太君に読んでもらった。
なんともこわれてしまいそうにくしゃくしゃになった笑顔で一生懸命に読んだ。
この日、G太君は大活躍で、その後、K二くんからも読み方が良かったと褒められるのである。T朗君がMさんを推薦。とてもはっきりと読めた。

T弘くんはRさんを推薦。大きな声で読めた。


その後、「自分もうまいんですよ!と言う人、手を挙げてください」と言うと、Tひろ君、Kすけ君、K二くんが手を挙げた。一人一人読んでもらった。



2回の授業で、「あさだよ あつまれ あいうえお」を口の形に気をつけて読めるようになった。

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ただ、はっきりと発音すると言うことに力を入れているので「あ・さ・だ・よ・あ・つ・ま・れ」という読み方になっている子どもがいる。今はこれでいいとしたい。


流暢に読むこととはっきり読むと言うことを両立させることがなかなか難しいだろうと思われる。無理をさせない。できる子もいる。


「あいうえお」を「アイエオ」と読む子どももいる。
口の形がまだはっきりとできていない。
この子どもたちは、一文字一文字が読めるが、文になるとつかえている。
だから、「あいうえお」などのように、もう知っているまとまりに来ると安心してついさっと読んでしまい、「アイエオ」となっているようである。


ゆっくり読ませることも大事だ。

「い」の字を書いて持っていらっしゃい〜書くことの指導の始まり

入学する前から多くの子どもがひらがなを大体読めるようになっている。
このクラスの子どもたちについてもアンケート結果から同じことが言える。


書くことについてはこのクラスは全員が大体のひらがなを書ける。自分の名前は全員が書ける。(きゃ、っ、ぷなどを除いて)


では、私がする事は何か。


「ひらがなの書き方知っている!」と思っている子どもを、「あら、やはり知らなかった」というの状態に連れて行ってあげること、すなわち、スタートラインに立たせることである。


うちの子どももそうであるが、今の子どもたちは入学するはるか前から自分の思ってることを文字を使って表したいと言う意欲を持っている。
そして、「『あ』の字はどう書くの?」と聞いて教えてもらったり、見よう見まねで覚えたりしてきている。自然な姿である。


この段階(入学前)ではことさら「書き順が違う」とか「逆さま」だとかは言わなくてもいいと思っている。

なぜなら、子どもたちは,文字を書ける力をつけようと思って文字を覚えていると言うよりは、文字で遊んでいると言う方が当たっている段階だからだ。
書き順が違おうが、字形がおかしかろうが、鏡字であろうが、文字を書いて楽しみ、満足しているのである。


きちんとした字形を教え、書き順を教え、そして文字をつなげて文に、文をつなげて文章にしていくことができるようにしていかねばならないのはこれからである。


だから、「知ってる!」という子どもを「知ってると思ってたけど、ちゃんと覚えよう」とスタートラインに立たせなければならない。

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たんけん!ぼくのがっこう

「ぼく」の学校などとかくと、女子がおこるが,近頃は「ぼく」と言う女性もいるからいいだろう。
先日は,名前のところに「わたしのなまえ」と書いていると、男子が「わたしって書いてある!」と言っておこるので、「人間は結局私と言うようになるからこれでいいのだ」と言った。

だからこれでおあいこである。


題名からずれるが、私は「男子だから」「女子だから」と言うのをあまりやらない。


出席をとる時にも「今日は女子から。」「今日は男子から。」とよくやる。もう5, 6年位やっている。「いつも男からばっかりじゃ、女子が受け身になってしまうんじゃ…」と漠然と思ったのが最初だと思う。


放っておくと、「女子は男子の後」と言う観念が身に付いていく。
昨年、3年を担任していた時,体育の時間が終わってから、ある女の子が「私のチームではいつも男子が先、女子が後ろに並んでいて、意見がいいにくいことがあります。私が言っても男子が聞いてくれないので何とか言ってください」と訴えてきたことがある。
こういうことが言えることが大事なのだと思う。

高学年を担任してから「女子からね」などとやると、「男子の方が先だよ!」と言われることがある。どちらもそんなものだと思っているのである。

たんけん!ぼくのがっこう2

とんだ、道草をくってしまった。


生活科で、学校探検をした。
今日はみんなで並んで、いろいろな教室を見て回った。


はじめに「においいをかいできなさい」と言った。


まず、1番近い事務室、電話やコンピューター、多くの種類の山などに驚いていた。


次に保健室。ついこの間、目の検査をしたところだ。

「ここ、知ってる!」とばかりにワッと散らばる。

H君がそこにあった体重計に乗ってみる。
Kさんが目の検査に使った表のスイッチを押し、「電気がついた!」とはしゃぐ。
Sくんが早速目当てを取り、左目を隠して「右」「左」などとやり始める。

H君が薬のびんや応急処置の道具の入った箱に手を伸ばしそうになるので「あっ」と声をかけようと思ったが、やめた。
見てると、伸ばした手を引っ込めた。いけないと思ったのだろう。


校長室では小さな会をやっていた。
いかに校長先生がにこっとして見せても子どもたちはカチンカチンであった。


放送室、職員室、印刷室、図工室。
それぞれのにおいをかいで、次にやってきたのが理科室。


ここほど話題になる部屋は、学校の中でそうないであろう。

においは他の部屋と比べ物にならないほど印象深い。また、いろいろなおもちゃ(ではなく、ビーカーや試験管)がある。
自分たちの机とは桁違いの大きな机。
そしてなんとガスの栓や水道の蛇口までついているから大騒ぎである。


そしてお待ちかねの骸骨。


ちゃんとある。


「これは先生が6歳の時のが骸骨だよ。」
などととんでもないことを、つい言ってしまいたくなる理科室である。

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「先生うその骸骨でしょう。だって糸でつってある。」「
そうだよー。夜になると骸骨おどりをするから糸でつってあるんだ。」
「うそだ~」

ここでちゃんと「うそだよ~」と言っておかないと便所にいけなくなる子がいるので注意しなくてはならない。

「なんだ。やっぱりうそか。ホントだったらどうしようと思った。」
やはり、嘘だと言っていてよかった…。


それから兄ちゃん、姉ちゃんの部屋に行って教室の中までぞろぞろ入り、授業の邪魔を、ではなく、見学をしてきた。


1年生と言うだけで、学校は大概のことを許してくれるので、とても良い。


この後6時間目にはまたグループで回らせた。
4年2組や音楽室に入れてもらった子どもたちもいる。


H君のグループは「うらがわのおそと」に行ったと言う。
「お水が流れてて、水がボワーと出てた」らしい。

「フーカイプール(注 深いプール)」もあったと言う。
「すーごいとこだった」と言うことだ。下水の施設のことである。

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張り切る

今日は体力が回復してから初めての授業であるから、いつになく張り切って学校に行った。
国語などは,昨日の夜教科書の写真を画用紙に書き、息子まで動員して色を塗るなどのはりきるよう。


今日の授業は、「あ」「い」「う」のそれぞれの歌をあの手この手を使ってできるだけ読ませることである。


いつもは教師→子どもの読みの後、男子だけ、女子だけ、立って読む、黒板の前に行って読む、1列だけ読む、1番前の人が読む。立って3回読んだら座る、などの読ませ方をした後、私のところに来させて一人ひとりの読みを確かめる。


今日はほんのちょっぴり面白いことをさせてみたかった。それで先日名刺の交換会をしたことをヒントに音読の修行の旅に出させることにした。

修行の旅とは?

修行の旅とは何か???


子どもたち全員に「お友達カード」を持たせる。これは全員のお友達の名前が書いてあると言うだけの優れたカードである。
これと鉛筆、そして教科書を持って教室中を巡り友達を捕まえては、「私の読みを聞いてくだされ」と言って聞いてもらうのである。
聞いてもらった人が「よかろう」と言えば、お友達カードの中のその友達の名前に◯をつけることができる。


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このようにして5人の友達に丸をつけてもらいなさい、と言う指令を出した。


くだらないと思うなかれ。子どもたちはこういうことにすごく燃えるのだ。普段以上の力を出して読む。あちこちで「聞いて下され」という声が響き渡る。


1つ、失敗した。

簡単な歌であるので、すぐに子供たちは暗唱してしまっている。読まずにそらで言っているのだ。これでは字を読んだことにならない。


「う」の歌で修行の旅に出るときに2つ指示を出した。

「聞いてあげる人は、読む人がはっきりとした口の形で読んでいるかどうか口の形をよく見てください。それから字を追って読んでいるかどうか目を見てください。それらが良ければ丸をあげてください。」


もう一つ。これが大事。

「今度はさっき丸をもらわなかった人からもらいましょう」

友達おぼえも兼ねているのである。


これはとても楽しそうに読めた。自然に口の形に気をつけて読むことができていた。


今日も少しやった。


お家の方が聞いてくれたら、子供達は喜ぶだろう。

ほめる

Tさんが、「先生、Aくん。すごいんだよ!口をこんなに開けて読んでるんだよ!」と言うので、手放しでほめる。


「先生は今日、とても嬉しいことがありました。なんでしょう?((散々じらしたあげく)TさんがAくんの読み方がすごいよって先生の所に家に来てくれたことです。先生はTさんが友達の良いところを見つける目を持っていることが、とてもすばらしいと思います」と言った。


それで早速Tさんのように友達の良いところを見つけた人がいるかどうか聞いた。


そうすると、いるのだ。これが。ほとんどが手を挙げるのである。「僕だって!」と言うわけである。


さすが1年生のパワー。

ほめがいがある。

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1年生の子どもたちが,いったいどのくらい文字についての能力をもっているのか,そしてこれまでの成長の中でどのようにそれを獲得してきたのか,ということについて保護者にアンケートをとり,その結果を掲載したものです。

IMG_1736 (編集済み)


1年生言語能力についてのアンケート

アンケートのご協力ありがとうございました


1年生担任初めての私にとって、子供たちがどの程度の言語能力を持って入学してくるかを知っておく事は、とても大切なことでした。


教科書は,文字について読めない,書けないはずとの前提で作ってありますが、テレビや雑誌等からの文字情報の多さの中にあって、入学まで全く読みも書けもしないと言うことは信じがたいことではありました。今回の調査でそれを確かめることができました。


つまり…

ひらがなは、ほぼ読める。

ただし、書くことについては、鏡文字があったり書き順がデタラメであったり、のばす音やつまる音を書けなかったりなど十分では無い。

と言う傾向があることがわかりました。

さてこの上に指導を組み立てるにあたり…

このアンケートの結果は1の2における実態であり、逆にここから「入学までにはひらがなくらいはあらかた読めるようにさせておかねばならない。」と言うように考えられると困ります。


これらの結果は、意図的なひらがな教育によるもの、と言うよりは、豊富な文字情報の中でここまで育ってきた子どもたちの自然の実態であると考えられるからです。


このことを前置きしておきます。



さて子供たちはほぼ読めるから、読み方はすっ飛ばしてぽんぽん読ませたり、書き方の指導のほうに行っちゃうかというとそういう風には考えておりません。


ほとんどの子どもたちがほぼ読めると言う実態を念頭に置きつつ、なお、一つ一つの読み方を大切に教えます。


それは長い伝統を持つひらがなの文化を大事に伝える、ということと、もう一つ『正しい口型で発音する』と言う、1年生で身に付けさせるべき重要な言語事項の内容があるからです。

「あ」の読み方、知ってるよ,だけでなく、正しい光景で発音できてこそ、音読や発表会への力となって育っていくからです。


「書くこと」についても、ただ形がきれいに書けるだけでなく、書き順をしっかり抑えて丁寧に教えていきたいと思います。


楽しく。

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