僕は担任を持っていないので、日々の授業実践ノートはかけない。つまり実践家としてのブログにはならない。
かといって、昔はこうだったと、過去の自分の成果にすがって、高所からご高説を垂れるような記事は書きたくない。
第一線から退くと勢いそのような記事を書いてしまいそうなので注意しておかなければならない。
でも、過去の実践を書くことで若い先生ちとってなんらなのお役に立てるかもしれないので、そういった価値を持った記事は書いていっても良いだろうと思う。

ここで、一つの指針を得た。
過去の実践から、お役に立てそうなものを選んで掲載するブログだ。
または、参観させていただいた授業や、本などで紹介されていて良さそうなものなどもいいなと思う。
 

次に、考えるのは、教師は学び続けるということ。
第一線を退いたとはいえ、私は教師であることに変わりはないので、退職するまでは職能を高めるための学びは続けていかなければならない。
ここで学びの記録を掲載していくということが考えられる。
学ぶということの良さは、それによってつながりが生まれるということだから、ここに私の学びを記録しておくことでなんらかのつながりが生まれ、学び合いが始まるかもしれない。そうしたらさらに学びが深まったり広がったりするだろう。

二つ目の指針は、
学びの記録をするブログということだ。

次に考えたのは、世の中の考えに口を出したいことがよくあるな、ということだ。
つまり、テレビや本、会話などの中で、コウスルベキダというような話を見たり聞いたり読んだりするにつけ、いや、それは子供の発達から見ると良くないなどと言いたくなることがある。
そういうことを書いてみたらどうだろう。

例えば、小さな子どもが顔から直接手や足が出るお化けみたいな人間を描いている、といって嘆いている親がいたとする。
いや、それでいいんじゃないかと。
むしろそれが正常な心理発達の姿であって、それを心から褒め、全力で応援するのが親の仕事なんだと。
そんな子どもに、まだまだ顔と手足しか認知できない発達段階の子どもに、やれ首がないとか、胴体はどうしたとからお化けみたいだ、などということを言って「正常な」絵を描かせたいと思うことは、子どもの発達をねじ曲げる行為であって、何が何か分からないまま親が喜ぶようなことをしようという縮こまった子どもを育てることになってしまう。
そんなことを口出ししたいとおもうのだ。
そして、もしかしたらその口出しが 「 へえー」とか、「 目から鱗でした」などということにもなるかもしれない。

ということで、
指針3は、「 あれ?ちょっと違うぞ」というようなことには、子どもの心理発達や教育上の考えから、口出しをするブログということにしよう。

さらに色々と考える。
 
教師は現場で実際の子どもとともに必死になってその成長のために取り組んでいる。
実物の子どもを目にしたとき、費用対効果など、考えてはいられない。どんなに経済的に分が悪かろうが、お構いなしに全力であたり、それゆえにそういうことを理解してもらえない様々な方面からの攻撃の前に倒れてしまうことがある。
また、新聞や議会など、モットコウスベキダという正しい理念から出てくるさまざまな難題に対処していかねばならない。
例えば、授業数をもっと増やせ、など。
「正しい理念」の人たちは、量を増やせば学力が上がると思っているので、増やした分の研究をする時間をこれ以上持てない教師の事などお構いなしだ。それでも教師は、なんとかやっていく。でも、絶対時間は少なくなるので、授業の質は間違いなく落ちる。
これまでの日本はノーベル賞を輩出する教育をしてきたが、今後質の落ちた授業を繰り返す中でそのような水準を維持できるかどうかはわからない。
今はすでに、じっくり考えさせ、何度も心ゆくまでやり直させ、その結果子どもの腑に落ちる、ような学びは学校では行えなくなっている。

そんな、教育の世界の事情などはどこかに需要はないだろうか、というようなことを考えるのである。

そこで第4の指針。
教師と教育の世界をもっと知ってもらうブログ

だいたいこんなことを考えた。

まとめ

  • 過去の実践から、お役に立てそうなものを選んで掲載するブログ
  • 学びの記録をするブログ
  • 子どもの心理発達や教育上の考えから、口出しをするブログ
  •  教師と教育の世界をもっと知ってもらうブログ
 
今後、このブログはこの4つの視点からカテゴリーを作って書いていけたらと思っています。

長く続けたいなあと思います。