「だれも学べていないのに教えたというのなら,だれも買っていないのに売ったというのと同じだ」 

今月の総合教育技術の付録についていた「声に出して読みたい教育者の名言50」という冊子から,ジョン・デューイの言葉です。


ぱらぱらとめくっているうちにピンと目に留まりました。


これって,結構起きていることじゃないのかな・・・

教育は,教える教師と学ぶ教師との関係で生まれてきます。私たちは,子どもがうまく学べるように一生懸命に準備をします。そして,発問の一つ一つに磨きをかけて授業に臨むわけです。


ところが年に1000時間ほどある授業時間すべてをそのようにしたいと思ってもなかなかできるものではありません。

時には,カリキュラムを進めることを優先してしまうこともあります。

そう,ちょうど学期末の今のように・・・。


そのとき私たちが言う言葉

「ここ,勉強したよね」
hai
 


確かに今までそのページを勉強していたので,子どもたちは「はーい!」と元気に返事をします。

これで安心。


ところが,子どもが学べたのか?と問うと必ずしもそうではありません。そうですよね。


まさに,実際には学べていないのに,教えたということにして先へ進んでしまっているのです。


何をもって「学んだ」というのか,ということについてはここでは述べませんが,「今日は,本当に子どもたちは学べたのですか?」という問に,直感的,経験的に「はっ・・・教えたつもりだが学べたとは言えない・・・」ということがあるなら,その思いを大事にして次の授業に臨みたいものだと思います。