若い先生が1年生の描いた絵をもってきて,「アドバイスの仕方がわかりません」と言って悩んでいます。
 
 
 教室に入って見ると・・

 あらあら・・素敵な柄じゃありませんか。
 先生と信頼関係に裏打ちされた,リラックスした,お話の一杯つまったいい絵だと思いました。
 全然アドバイスなどいらない,すでに完成された絵です。

 この前のお休みの時,家族と行った公園でバーベキューをした絵。
 よこの台には,野菜が載っています。今から焼くんでしょう。

 よくみると,白い三角に黒い四角がかかれたものが6つならんでいます。

 もう,好奇心がにょきにょき出てきて,これ,「おにぎり?」と聞いたら,
 「焼きおにぎり」
 なんだって。

 へえ!
 「じゃ,このおにぎりの横の青いのはお魚だね。これから焼くんだ。」
 といったら,
 「これはね,さめのあかちゃん。つれたの。」
 っていうから,もうびっくり。

 アドバイスなどいりません。
 描いた絵をもとにお話して,そこにかくされたたくさんの「秘密」を引き出してやればいいんです。

 子どもはそれを「絵」なんて思っちゃいません。
 砂場で遊んでいるように,ただ色と形をこね回して遊んでいるのです。

ボールあそび


 そうやって,

 楽しかった,とか,
 びーっくりした,とか,
 うわ!大きかった!とか,
 おいしかった~とか,

 そんなことをくちゃくちゃ言いながら,砂場で砂と戯れているように,腕と頭と心を動かしているんです。

 それを,教師は「絵」だと思ってしまう。

 白いところがいっぱいあって,「ちゃんと全部塗ってない。完成してない。絵としてしあがってない!」と思う。

 色は線からはみ出してるし,人は気をつけしたり万歳してるだけだし,顔はなにかのお人形みたいだ。色は青一色べたっと塗っているだけで,ピンクとか水色とかと混ぜ合わせるともっときれいになるのに・・・
 なんとかしてもっと見栄えの良い「絵」らしくしてあげなくちゃ。

 それでアドバイス,という言葉が出るのです。

 でも,子どもにとっては余計なお世話です。
 せっかく楽しく描いたものをなんで頼みもしないのにアドバイスされなきゃならないの?
 アドバイスって,こちらから頼んでしてもらうもんでしょ?
 してもらいたくもないのにされるアドバイスなんて,余計なお世話。

 でもそれが続くと,子どもは従うようになります。
 「先生がこれでいいって言った。だから完成。」
 「白いところに色ぬらないとできたとはいえん,と言われた。でも空と地面の間って,空気でしょ。色なんかついてないから何色塗っていいかわからない・・しかたない。黄色でもぬっとこう」

 まあ,そのようなわけで,「情操を豊かにする」という教科目標からどんどん離れていくわけですね。

 アドバイスなどなし。
 「できました」と言って先生の前にずらっと行列ができるようなこともなし。
 先生は,机を回って,子どもの絵から秘密を解読していけばいいのです。
 子どもはその絵を元に楽しくお話をしてくれます。
 びっくりするようなことが隠されています。
 それを先生が読み取ってくれた時,子どもはその絵を描いたかいがあったのです。
 そして,またさらにお話をしてくれます。

 そのうえで,「はあ。満足した。たのしかった~」と達成感を感じたら,その絵はそれで完成です。
 先生との楽しい会話の中で,さらにもっとこうしよう!と思ったらまた書き続けるでしょう。
 終わりか,まだやるのかは,教師が決めるのではなく,子どもが決めるのです。

 その自己決定は,教師とのお話の力です。
 
 白いところを含めて子どもの表現です。
 決して未完成なのではありません。
 堂々と,貼ってあげましょう。


 ・・・というようなことを若い先生にお話しました。
 少しすっきりしたみたい。
 そのあとは,楽しく子どもたちと絵についてお話をされていました。

 こういう表現を繰り返していくことで,子どもは達成感を感じ,「もっとこうしたい」という気持ちが生まれ,技能を高める欲求へと結びつき,その技能を使うことでみにつけていく。
 そうやって,自然に「絵」の技能を高めながら情操が豊かになっていきます。
 
 だから,お話をしましょう。