現在,「1年生学級通信」のシリーズを投稿しています。
すでに12記事投稿しました
この年の通信は140号くらいあるので,どれを投稿したらいいのか検討しながら投稿しています。
今から20数年前,私がまだ33歳の時の学級通信です。
その年,私は初めて1年生を受け持たせてもらいました。
私たちの頃は,若い男性はなかなか1年生を持たせてもらえませんでした。しっかり修行を積んで,教師としての実量をつけてからでないと,もたせてもらえなかったのです。
1年生を担任するということは,それほど重要なことだったのです。
現に,私は,初めて1年担任をしたその年,子どものおじいさまという方からお手紙をいただいたことがあります。むかし校長先生をされていたという,その方からの手紙には,はっきりと「1年生担任を任せれたということは,それだけの技量を持った教師とみなされたということですね。本当におめでとうござまいます。」と書かれていました。
そういう時代でしたから,私もようやく認めてもらえたのだと素直に喜びました。そして,その感動と責任感から,ほぼ毎日子どもたちの様子を通信し続けたのでした。
この通信には,1年生という発達段階にある人たちがどのような存在であるのかを日々学び,そしてどのように育てていったらいいのか,ということについて考え続け,真摯に取り組んだあとがつづられています。
初めて1年生担任をされる方の参考になればと思って,手がきの通信を,少しずつ入力して投稿しています。
ところで,この通信はほとんど「常体」で書かれています。
保護者を読み手として書かれてはいますが,自分の教育実践の記録としての通信でもあったので,保護者への連絡としての箇所以外は,すべて「常体」です。
教育実践記録としての学級通信。
若い教師の方は,あまり見たことがないかもしれません。
おたよりが「当然のサービス」になってしまった現代において,それは保護者への連絡や周知のために行うものです。
ところが,過去,学級通信がまだ「当然のサービス」ではなかった時代には,今のブログのように書きたいから書く,という学級通信の文化があったのです。
日付を見られて不思議に思うかもしれません。
同じ日付の通信が何枚もあるのです。そのことに示されるように、一回一枚と決めて書いて入るわけでもありません。私は8枚書いたことがあります。
この年は、入学前に子どものことをあれこれ想像しながらすでに4枚書き、入学式で配りました。
そんなに書いてどうするのだ、いったいなんでそんなに書くのだ、と思われそうですが、そこでは,教育実践が語られていたのです。
「ごんぎつね授業全記録」のような学級通信もありました。
子どもが描いた毎日の絵手紙の余白にさまざまなことを書き込んだ通信もありました。
新聞のように,レイアウトに凝りまくった通信もありました。
連絡だけではなかったのです。さまざまな学級通信の形がありました。
まさに「学級通信文化」とでも呼べるような文化があったのです。
私も1983年に教師になったときから,そのような通信を書いてきました。
ところどころ,現物のコピーを挿入しています。
ワープロでの通信が多い中,手書きの通信もなかなかよいものだと思っていただけるのではないでしょうか。
記事の投稿は,ようやく5月中旬に差し掛かったところです。
これから,この年の1年間の通信を,投稿していきます。
記事の投稿は,ようやく5月中旬に差し掛かったところです。
これから,この年の1年間の通信を,投稿していきます。
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