佐藤学氏の「教師花伝書」を読んでいたら膝を叩く箇所がありした。

教師花伝書
「教師は、教える専門家であると同時に、「学びの専門家」でなければならない

「西洋東洋を問わず、古来、教えると言う不遜な仕事を教師が行うことができたのは、教師自身が他の誰よりも読書をし、学んでいたからである。よく学ぶ者のみが教壇に立つことを許されたのである。その大元が隠れているとしたら、これこそ教育の最大の危機と言うべきだろう。」

「教師が本を読まなくなったとよく指摘されるが、それ以上に、教師が美術館やコンサートや市民研究会から姿を消している。多忙な仕事に追われて学校と家庭に閉じこもり、教育の専門家としての教養も市民としての教養も衰退させているのではないだろうか。」72
以上、「教師花伝書」から。

学ぶ者のみが教壇に上がることを許される、というのはまさにその通りであり、古来、教師の薫陶力はそのことによって働いて来たのだと思います。

「先生ってすごいなぁ」という憧れの根本は、教師の学び続ける姿。

しかし、それが今後ますますできなくなっていくことを、教育行政に関わる役人たちはどのように考えているのでしょうか。

学ぶ時間どころか、翌日の準備をする時間さえもないと私は言い続けているのですが、その自明のことをいかにすればわかってくれるのか。
 
いや、わかっているのですきっと。しかし、同調圧力や外部からの圧力に抗しきれずに、そこに蓋をしている。
教育の破綻はすぐそこに来ているのに、目を開くことはしない。

教師の学ぶ時間はますますなくなり、子どもたちへの薫陶力もなくなり、教育は破綻していく。

なんとかそれに抗するために、ほんの少しの時間を使いながら、私は本を読み続けていきます。

こういうことの上に、日本の教育は成り立っているのだということと、それがますます困難になってくるということを、なんとか政策決定の場にいる方にわかってほしいと思います。