Lyustyleの教育ちゃんねる

2015年04月

子どもたちに何かお話をしてあげようというと、大喜びでリクエストされるのが怖い話。

その時に、まともに怖い話をするときまってトラウマになる子どもが出て、夜寝られなかったとか、トイレに行けなかったとかいろいろと言われるので、そこをうまいことやらなければなりません。
最後に「うそだよ〜ん」というのはお約束です。

でも、夜中の教室はこわいですよ。
真っ暗な窓からなにかがのぞいていそうで。

私がまだ若い頃、明日の授業参観のための背面黒板の掲示ができていなくて、夜遅くまで残って子どもたちの絵を貼っていた時のことです。

後ろのランドセル棚の上にのぼって、画鋲と画用紙をうまく操りながら一枚一枚貼っていました。

時刻は23時30分。外は真っ暗。こちらはこうこうと電気が付いているのだから、4Fとはいえ外からは丸見え。というか、そんな時間に教室をのぞく人がいるなんてことはほとんどないだろう。
「じゃ、だれがのぞくんだよう」と心のなかの私がへたれた声をだしています。
そんな時間に、教室で絵を貼っていることのほうがよっぽどこわい。

そんなガクガクブルブルの時に、「ばさっ!」とやたらを大きな音がしました。
「おぅっ!!」
びっくりして後ろを振り返ります。
何もいません。

しかし、私はなにかに見つめられているのがよくわかるのです。
(何・・・何だ? 私はこの歳にして(25歳)、生まれて初めて心霊体験をしてしまうのか?いやだ。これまで私は霊を見るなんていう経験はない。私にはそんな能力はない。だからこれからもぜひ霊が見える人でありたくない!)
なんてことを思いながら、いったい私を見つめているのはだれか、と息をひそめました。

すると、私を見つめているものの正体がわかりました。
その瞬間、わたしは「ぎゃっ!」と叫んで棚から転げ落ちそうになりました。

私を見つめていたのは本だったのです。
ばさっという音とともに床に落ちた本の表紙・・・。
その本の表紙に両目の部分だけ大写しにされた顔。
「恐怖の心霊写真集」という、子どもが持ち込んだ本の表紙に印刷された、「窓に大きく移った霊の顔」という写真でした。

表紙の写真とはいえ、まともに霊と顔を合わせてしまったのです。

もう耐えられません。
まだ画用紙貼りが半分ものこっていたのに、私は速攻で荷物をまとめて後ろを見ずに階段を駆け下りました。本をそのままにして。

驚くべき事に、職員室にはまだ一人の同僚が残っていました。
同僚は私がどたどたと職員室に入ってきたのでびっくりしていましたが、私の話で二人で大笑いしました。

この話は、これまで結構子どもたちにしてきました。
こわいけど、あまりこわくない話だと思うんですが、それでもやはり子どもたちにとってはこわかったみたいですね。
だから、ここ10年位はしていません。

教師を30年もしているとこんな話がいっぱいありますよ。

でも、なぜ風でも地震でもないのに、たくさん本がある中でよりにもよって「恐怖の心霊写真集」が床に落ちたのか、それはなぞです。


 
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Evernote先生の第10話をアップしました。

【お話】Evernote先生 江波野徹の一日〜第10話 会議 | 知的生活ネットワーク







手帳やメモの一元化なんていうのは、がしがしうごきまわる教師には無理。
そうでなくて、あれに書いたりこれに書いたりなど、メモを多元化を前提として、その出口を一元化する。すなわちEvernoteに。

というようなことを書いています。

Evernoteが登場する前は、私みたいなメモを一元化できない人間は、そのメモをどこに集約するのか、まいにち四苦八苦していたものです。


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始業式で思い出す事がいくつかありますが、そのひとつに「あかちゃんだっこ」があります。

昨日の記事でかいた子どもたちが4年生になる日の始業式。
3年生の仲間とも、そして担任である私ともお別れする日です。
その日の朝は、旧担任として、朝の教室に入ります。
そこで「3年生は楽しかったね。4年生になっても元気でね」とみんなにわかれを述べました。
「さあ、今から始業式があるよ。そのあと、学級編制があるからこれでおわかれだ。みんなろうかにならぼうね」と言って歩き出した時です。

ひとりの女の子がわたしの前に立ちました。
そして言うのです。
「先生、だっこして」

子どもをだっこするというのはとてもすてきなことですが、今の時代は簡単にだっこなんてできやしません。20年くらい前まではさほど気にせず、よく子どもたちをだっこしていました。しかし、今の時代、特に男性が女の子をだっこするなどということは、妙な詮索をする大人にとっては格好の話題の種となってしまうことがあります。だから、近頃は子どもをだっこするというようなことがしにくいのです。

その時も「もうおねえさんになっているのだから、だっこなんて・・・」とことわろうとしました。
しかし、その女の子の目はせっぱつまっていたのです。
私はことわるのをやめました。
「いいよ」といって、その子をだきあげました。
すると、その子が私の首に手をまわし、さらに足までからだにまきつけて、ぎゅーっとだきつくのです。顔は私の胸におしつけてじっとしています。
まさに、あかちゃんのだっこです。
私は、「ああ、必死にお別れをしようとしているんだな」と思いました。
そして、私も抱き上げた手にぎゅっと力をいれてやりました。

しばらく・・とは言っても、おそらく10秒くらいの時間でしかなかったでしょう。
その女の子は、すっと顔を上げると、自分からぱっと床におりたちました。

そしてさっぱりした顔で「先生、さよなら!」といってろうかにはしっていったんです。

こころゆくまでだっこしてもらって、気持ちがふっきれたのでしょう。切羽詰まった顔はなくなり、不安のない、安心した顔になっていたのを思い出します。

子どもは、ぎゅーっとしてやることで安心して後ろを見ずに飛び立っていけるものです。
どこかでぎゅーっとしてやらなければならない子どももいます。

そんなことを、始業式になると思い出します。

その子も、今は高校2年生になっているのですけれども。


 
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今日が始業式だった小学校は多いのではないでしょうか。
そして担任発表も。

いつもそうでしたが、担任発表でドキドキワクワクするのは子供達だけではありません。
私の名前が呼ばれた後、子供達からはどんな反応があるのか、しーんとなったり泣き出したりしたらどうしようとドキドキしていたものです。

それでも、若いお兄さん先生の頃は、だいたい毎年、わーっ!と歓声が上がっていたものです。

ところが、ある年、異変が起こります。

去年までは確か歓声が上がったのです。
ところがその年、初めてどよめきを耳にすることになりました。
「こわいよぅ」という小さな声も聞こえました。

私はショックを受けました。

まさか、どよめかれるとは。そして、こわいよ・・・といわれるとは・・・。

ちょうど、受け持つ子供達が初めて自分の息子よりも年下になった年でした。
私自身になんらかの雰囲気の変化が生まれたのでしょうか。
自分の息子よりも小さな子たちを担任するという、ある意味尊大な感情があったのかもしれません。君たちのことはもう全部わかってるんだぞ、というような上から目線的な見方が。

次の年には初めて理科専科となり、担任を離れ、それから8年間ずっと専科のまま年齢を重ねました。

もう自分には担任はないだろうな、どよめかれたままになっちゃったな、と諦めていたある年、私は8年ぶりに3年生の担任となりました。
嬉しさのあまり寝られませんでした。

そして迎えた担任発表。
あのどよめきから10年近くたっています。私もさらにおじさんになりました。
子供達から見れば十分に怖いおじさんです。
どよめかれることも静かに受け入れられる年齢になっていました。

しかし、担任発表で私の名前が呼ばれた時、小さな小さな子供たちは、わーっ‼︎と歓声を上げてくれたのでした。

私はその子供達を大切に大切に育て、4年生に送り出しました。

その子たちも、今年高校2年生です。
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おやブログ「知的生活ネットワーク」で、「Evernote先生」を連載(気が向いた時)しているのですが、今回、研究授業にEvernoteを使っている江波野徹先生の話をアップしました。

【お話】Evernote先生 江波野徹の一日〜第9話 研究授業 | 知的生活ネットワーク

教育関係記事は、こちらの方に書くようにしているのですが、Evernote先生だけは、これまでの流れがあるので、「知的生活ネットワーク」の方に書いています。
書いたらこちらで告知します。

教師はEvernoteを使うといいぞ!ということをお話形式で書いている連載ですが、書きためたものがあと4本あります。
それなのに、前回のアップから何ヶ月か開いてしまったのは、残りのお話には子どもがあまり出てこないので、書きたい気持ちが薄れてモチベーションががくんと下がってしまっていたからです。

まあ、新年度になったことだし、心機一転、残りのお話をあげていこうと思っています。

 
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