Lyustyleの教育ちゃんねる

2016年08月

8月1日に,次期指導要領の審議まとめ案がだされました。

英語を小5から教科化 中教審部会が次期指導要領案 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース

「中教審の特別部会は1日、次期学習指導要領の全体像を示す審議まとめ案を公表
小学校5、6年の外国語活動を3年生からに前倒し
高学年では英語の教科に格上げし授業時間を倍増
小中高校の全教科で、自ら考えながら学ぶ新たな学習方法「アクティブ・ラーニング」を取り入れる」
以上のような点が取りざたされています。

「小学校で純増する授業時間の確保や、教育の質の向上と多忙な教員の負担軽減を両立する具体策が課題となる。」
記事には,以上のように書かれていて,よくわかってらっしゃるなという感想です。
学習内容の削減をせず,時間だけが増えることになります。

このあたり,実際はどう考えられているのかなというのが正直な感想です。
授業をするには準備をしなければならないのですが,その時間がどう考量しているのかという率直な疑問がわいてきます。

授業を1時間するのには1時間以上の準備が必要なのですが,勤務時間には教える時間しか考慮されていません。
教師は自宅に持ち帰って(早く帰るように指導がされている)翌日の教材研究をするわけですが,これは深夜に及ぶこともたびたび。というかそれが教師のライフスタイルのようになっています。
翌日,子どもが「わかった!」という顔をしてくれるためにはそうせざるを得ないのです。

その状況の中でさらに時間増。
まるで授業時間が増えれば学力はますだろうといわんばかりです。
教育の質を考慮すべきです。


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授業研究会。
午前で子どもたちを帰して、会場校に移動します。
研究授業を参観した後、その授業をもとに協議会をするのです。

授業校になったら、教頭先生や教務の先生は他校からの参観者を迎える準備で大変です。
協議会場までの案内表示をしたり、協議会場に机を並べたり、運動場を駐車場にするために車を誘導したり。

 授業は、採用数年目の若い先生が行いました。 夏休みからずっと、近隣の学校の、その教科の研究委員の先生たちに指導をしてもらい何度も指導案を書き直して今日の授業日を迎えました。

案を立てるのに苦労するだけではありません。

その授業を実際におこなうことができるように子どもたちをそこまで育てていなければなりません。
また、決めた授業をその日その時間にぴたっと行うことができるように、授業の進度調整もしなければなりません。
教室の環境作りにも気を遣います。
途中で進め方や発問を忘れることがないよう、事前に何度も練習したり、黒板に書く内容や位置などを覚えたりもします。 .

これらさまざまなことに気を遣いつつ、授業者は自分の健康にも気を配りつつ授業当日を迎えます。

何十人もの先生たちが教室に入ってじっと自分の授業を見ている、という独特の雰囲気の中、授業の案どおりにすすめていきます。

時にはイレギュラーがあって、思うように進められないこともありますが、そこを必死にリカバリーしながら授業を終えます。

子どもたちに「よくがんばったね!」とほめて帰した後、まな板の上の鯉になりに、協議会場に向かい、そこで質問責めにあうのです。 ・ ・

chalks
photo credit: ♥ Jaye

こうした研究授業。 明治時代の頃から行われていたそうです。明治時代以来の日本の教育の文化でした。
アメリカの学者が世界の教師の教授法を検討したところ、日本の授業者の授業が一番理想に近かった。
その理想というのは、教師が教えるのではなく、子供が自ら考えて解決して答えを見つけ出す授業です。日本の教師の指導法がいちばんこれに近かったというのです。 .
その理由を調べたところ「日本では研究授業なるものを行っている。これがよい授業を生む秘密だ」と結論し、本にまとめたところ世界中でベストセラーになり、現在、研究授業が世界中で行われるようになってきたとのこと。
しかし、当の日本では、忙しいことを理由にだんだんおこなわれなくなっていること・・・そのようなことを聞いてきました。
上の文章は、以前の自分のエントリー「研究授業か授業研究か」から抜き出したものです。]

世界から認められた文化である研究授業。

私たち教師は、若い頃からこれを何度も繰り返して授業力向上につとめてきました。
やればやるだけ、自分の授業力向上に役立ちます。

研究授業当日までの道のりは確かにいばらの道ですが、これを越えたときのうれしさ、充足感は格別です。
そして、確実に自分の身になっていきます。(身にしよう、と思っていたらですが) .

研究授業はやったもの勝ちなところがあり、私も過去27年間の授業者生活の中で1年間一度も指導案を書いて研究授業を行わなかったのは1年間だけでした。

教務主任であったときにも毎年手を挙げて研究授業をさせてもらいました。

大変ではありますが、それだけオイシイのです。 .

若い先生方には、ぜひ、自分から研究授業の授業者に手を挙げてもらえればと思います。 Class room photo credit: Leo-setä
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