Lyustyleの教育ちゃんねる

2017年05月

4月20日

おしっこ!!

 授業中、おしっこがしたくなったら、我慢せずにすぐ私のところに行ってくるように言ってある。そうでないと漏らしてしまうことがある。
 休み時間にまずおしっこにちゃんと行かせるように心がけているのだが、それでも45分持たない子も結構いる。


 とにかくよくおしっこに行く。

 たくさんおしっこしてどんどん大きくなれ!!

だって読みたいんだもん!

 国語。
 黒板に「はるのあさ  ひかりのなか はしれ」と1枚に一文字ずつ書いたひらがなカードを貼り,読ませた。


 はじめは、カード1枚ずつ見せて読ませていた。
 一人一人が怪しくてもみんなで読む声は同じ位の大きさで響いている。
 ぱっと読めなかった事は「な」位のものであった。

 驚いた。
 就学前ひらがな教育が意図的にせよ無意図にせよかなり行われていることを感じた。


 次に一人ひとりに当てて読ませた。


 それから、ひらがなカードを先に挙げ文分になるように並べて読ませた。

 これはしつこく手を変え品を変えなんども読ませた。

 男の子だけ。女の子だけ。1説明の子供だけ。1番後ろの子供だけ…。

 立って読む。座って読む。後に行って読む。黒板の前に行って読む。

 最後に立たせて、、3回読んだ子から私のところに来させて読ませた。

 「よろしい」と言われたら席についてまた読む。

 こうして1人15回から20回は読ませた。


「は・る・の・あ・さ…」となる子もいるが、まだ始まったばかり。焦らない。


 Hくんは、
「一列目の人読んでください」といっても(彼は3列目である)
「女の子だけ」といっても(彼は男の子である)
「1番前の子だけ」といっても(彼は2番目である)いつでも読んでいる。


「エイチ君。君の番じゃないんだよ。」と言ったら

「だって、読みたいんだもん。」と答えた。

 入学したばかりの、勉強に対する初々しい意欲。読める喜び。


 1年を担任したことのない私には出会ったことがない子どもの素晴らしい姿である。

 私もまた頑張る。



 生活科。「学校探検」
 「学校にはどんなところがあるかな?」と、いろいろ言わせていた。
 Tくんが「早く行きたいよー。」と実にタイミングよく叫んでくれたため、その後のグループ作り、探検ワッペン作りがスムーズに行った。


 ありがたい。


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本格的なお勉強

4月19日

早く勉強したくてたまらない子どもたちである。
H君などは「先生あと何分したらお勉強ですか?」と迫る。
Iくんは、休み時間になると「お絵かきする」と言っては紙を持っていき、何やら難しい「x」とか「=」(などの記号や数字の入った数式を書いては私の机上に起き、デモンストレーションをしている。


そのようにして待ちに待った最初の授業、1993年1月15日木曜日。国語の授業である。


まず机の上に教科書を出させ、両膝の上に置かせた。皆早く中を見たかってうずうずしている。十分じらしてから元のページを見せた。


「春の朝」とだけ書いてある。これで1時間。


ここでやるのは、絵を見てどんなものがあるか、何をしているのか、どんな様子なのかお話をすること。


まずどんなものがあるのかを見つけさせるために「見つけた遊び」をした。

担任が「見いつけた。見いつけた。」と言う。子どもたちが「何を見つけた。」と答える。担任が「うさぎ!」と言うとぱっとウサギを指差す、と言う具合である。

子どもたちはこの遊びをとても喜んでいるようだった。


その後「〇〇があります」とか「〇〇がいます」など言わせた。


これが彼らにとって初めての国語の授業だった。


ところで終わった後、Kくんが「今日はお勉強しなかったね。まだしないの」と言ったのには参った。

早くノートに書く「本格的な勉強」がしたいのだなと思った。
この意欲を摘まないようにしたいものだと思う。

すごい

「なぜ、今秋なのに「春の朝」なんだろうね」

「先生、今,日本は春だからだよ」

「へえ。日本とオーストラリアは季節が逆なんだね」


1人の女の子が叫んだ。

「先生知ってます!逆なんだよ!オーストラリアが晴れの時日本は雨なの!」

んとね


…知らなかった…。

これもすごい

視力検査の時、検査を受けている子どもと一緒に,待っている子どもが一斉に検査表を見ながら「上」とか「右」とか言うさしている頭を想像してください。

私はこの目で本当に見ました。


検査後、ある女の子が「先生、この辺をさしてくれたらよかったのに。」と言ってきた。

「なぜ?」

「だって私、この辺ならちゃんと覚えてたのに。」

これもすごい。


編集後記

初めての一年生は驚くことがいっぱいです。

毎日,目を皿のようにして,一年生のすごいところを見つめていました。

学級通信が笑い話のお披露目場のようでした。

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Facebook Page を作りました。

教育ちゃんねる

こちらを,さまざまな情報へリンクしあったり,意見の交換を行ったりできる場にしたいと思っています。
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どんなことができるかわかりませんが,何がもとでよい実践が生まれるかわかりません。
当面,次のようなことを考えています。

  • 教育に関するニュースのシェアや,そのことへのコメント
  • テレビ番組やイベントなどの紹介
  • 教師の本棚にぜひ加えたい本の紹介
  • ご自身のブログの紹介
ある程度レールに乗ったら,クローズドにして,より充実した活動ができるようにしたいと思います。
どうぞおいでください。
いっしょに,教育に関するさまざまなことについて語り合いませんか?
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昨日、2020年度から始める新指導要領実施に向けての移行措置として,「外国語活動」の先行実施を2018年度から必須とするという新聞報道がありました。
学校の裁量なしの,必須です。


学習内容に空白が生じないようにするのが目的です。

3.4年は、15コマ英語の時間を作ります。5.6年は、今の35時間に15コマ増やして、50時間にします。


「総合的な学習の時間」を使うことも認められました。

増やす時間についてあまりにも無責任に、学校や教育委員会にその工夫を押し付けるものであったためか、各学校が急な時数増加で戸惑わないために行うということです。


このことをどう考えたらいいのでしょうか。


総合的な学習の時間な大事なものですが、英語も大事。
かと言ってたんに機械的に時数を増やせば現場は混乱する。
1つの解として、総合の時間を持ってくるということです。


現場の感覚からいえば、大事なことはわかっているので,無理なくやってほしいというところでしょか。


もちろん総合的な学習の時間の実践家からは、反発されるでしょう。
私も同じように思います。
総合をちゃんとやれば、子どもの将来に生きて働く力をしっかりつけることができると思うからです。時間を減らされたくはありません。


でも、そう言っていても仕方ありません。
増やすことで無理が生ずるならば何かを削らなければならない。


外国語活動は総合的な学習と親和性があります。
総合的な学習の時間を単に削るということではなく、うまく融合するといいのにと思います。
英語は総合の中で、総合は英語を取り込んで、というようなところで折り合いをつけるように考えられたらいいなと思います。
クロスカリキュラム的な考え方です。


日本の教育は、欲張りに欲張りを重ねて妙に肥大化しているのですから仕方ないところです。


ただし、この総合的な学習の枠の使用を認めることは,移行措置期間だけ。

2020年から英語ば純増ということになっています。今のところ。


しかし、移行期間中のこの体制、総合から15時間持ってきてもいいから,学校では20時間だけ増やしてね、というあたりに落ち着くのではないでしょうか。

なかなか複雑な気持ちです。
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「あの人「前の人」

「先生前の人がこれを落としました。」「先生、あの人がつねる。」…


うちのクラスには「あの人」や「前の人」がいっぱいいる。


今日でちょうど入学して1週間。そろそろお友達の名前を覚えて欲しい。

だから「前の人」といったときは「あー◯◯君ね。◯◯君がどうしましたか」としつこく繰り返すようにしていた。

生活科「あくしゅをしよう」

ちょうど生活科で「あくしゅをしよう」というのをやった。まず学級の子の名前を覚えて仲良くなろうと言うわけである。


それで下のような名刺フォームを作って子どもたちに配った。

temp_Photo (編集済み)

旗のところに自分の名を大きく書き、その下の空いているところに友達の名前を集めるわけである。


ちょうどその日の朝、職員打ち合わせで担任不在の間に,応援に駆けつけてくれる6年生が、「名前を書ける人」と言って黒板に書かせているところを見た。


思いのほか書けるので驚いた。
それでも数人は書いていなかったので、名前が書けない子は名刺に自分だけの模様を決めて書かせようと思っていた。


旗に名前を書かせながら、まだ書けない子を探して歩いて驚いた。

なんと、自分の名前は1人残らず書けるのだった。


名刺の交換の仕方を演じて見せた。「交換しましょ」「交換しましょ」握手してにっこり。「〇〇です」「〇〇です」と言って名刺を交換する。

そしてお互いに名前を書きっこする。


これを,その後数人の子ども相手に繰り返し演じて見せた。その後で自由に交換させた。

それでもわからない子がいる。1年生の特権である。ここから全てが始まる。


編集後記

「文字は学校で責任をもって教えるのだ!まったく書けないというところからスタートだ」とはりきって入門期の文字指導などを一生懸命に学んでいましたが,子どもたちはすでにこれまでの生活の中で自分の字くらいは書けるようになっているのです。

そのことに改めて驚き,「なんと,自分の名前は一人残らず書けるのだった。」と書いているのです。

本の紹介

教師は,目の前の子どもをまずそのまま受け止めて,その上で必要な手だてをつくっていきます。
海外の日本人学校で,あまりにも日本の子どもとは違う海外の子どもにとまどい,受け止め,なんとか手だてを改善しながら奮闘した記録です。
私のシドニー派遣教員日記: 人生に8つの色をつける

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入学式翌日の朝

教室の入り口に座って,子どもたち待っている。教室まで来れるだろうかと心配していたが,ちゃんと上級生が手をひぱってきてくれたり,自分でたどり着いたりした。


一人,隣の学級に入り,ロッカーにランドセルや手提げ袋を閉まっていた子がいて,となりのT先生が連れてきてくださった。無理もないと思う。遠くのバス折り場からここにたどり着いただけでも立派だ。


ロッカーを教え,ランドセルを入れさせた。どの子も借りてきた猫のようにちょこんと腰かけている。

「席を立ってお友達同士でお話をしてもいいんだよ。」
えっという顔つき。
「私の耳を引っ張りに来てもいいんだよ」
「はな,つまみにきてもいいんだよ。」

ようやくほっとした空気が流れるが,まだ緊張。私に触りに来る子はまだいない。

初めての授業

初めての授業は,教科書の記名調べによって私の指示になれさせること。
「自分の棚からランドセルをもってきて机の上に置き,手を膝の上に置いていましょう」が,この子たちへの記念すべき最初の指示である。
混雑が予想されたので列ごとに行かせた。

全員が終わるのに5分。
「ランドセルを持ってくる」ことはできたが「手を膝に置く」ことができた子は女の子2名だけ。
この2名も皆が終わるまでまっていることはできなかった。

当然無理もない。

教科書だけ机の上に出させてから,
「ランドセルを自分の棚に返してきてから,手を膝の上に置いていましょう」という二つ目の指示。
今度は男の子4名,女の子3名ができた。


靴箱の使い方,並び方

靴箱の使い方,並び方をした。

並び方は手を変え品を変え,4時間目までかなりしつこくやった。

・先生のところにきて並びましょう。
・前の人と後ろの人の顔を覚えましょう。
・早く並ぶ競争をしましょう
・静かに並ぶ競争をしましょう。
・今度は赤いボールのところへ行って並びましょう。
・輪投げのある所へ行って並びましょう。

~外へ出て~ 

・滑り台にタッチして戻ってきて並びましょう。
・タイヤにタッチしてから並びましょう。
・滑り台を滑ってきてから並びましょう。

・・・・とこれだけやってもまだ並ぶ位置を覚えない子がいて,私はとても感動した。


先生,早くお勉強しようよう」とつつかれどうしの一日 
「先生,あと何分したらお勉強?」
「先生,お絵かきしたいよう」
「あ!うんちっちだ!」
「うんちっちだ!うんちっちだ!」


大きな声は全く出していないのにのどが破れそうに痛い。なぜか?それほどしゃべりまくったのでしょう。

教科書の記名,ありがとうございました。一つ一つ丁寧に書いてあり,おうちの方々の期待も伝わってきました。


編集後記

私がまだ33歳の時の学級通信です。その年,私は初めて1年生を受け持たせてもらいました。
その感動から,ほぼ毎日子どもたちの様子を通信し続けました。
この通信には,1年生という発達段階にある人たちがどのような存在であるのか学び,,そしてどのように育てていったらいいのか,ということについて考えて真摯に取り組んだあとがつづられています。
これから,しばらくの間,この「Lyustyleの教育ちゃんねる」のメインコンテンツとして,抜き書きをして掲載したいと考えています。
初めて1年生担任をされた方の参考になればと思います。
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4回目の記事となります。今回まで「教室ツーウェイNEXT創刊2号」からです。

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p96にとても大事な記事がありました。

さまざまな非認知能力があるなかで、この子に欠けているのはいったいどの能力であろうかということを見とって整理しなければならない、という記事です。

これはとても大切なことだと思います。
ここをおろそかにすると、何でもかんでも足りなく見えてしまい、あれもしなければ、これもしなければ、とあれこれ試してしまったり、その場での思いつきで恣意的に行った方法を「非認知能力を身につけるため」といってしまったりすることが起こりそうだからです。

新聞で痛ましい幼児虐待の記事を読むとき、「こどものしつけのため」という理由がよく述べられていますが、それと似たように、何をやっても非認知能力ですましてしまう事が起こりえます。

例えば、子どもが教師の一方的な説明を聞くだけの授業があったとして、「いや、これは子どもの我慢強さを鍛えているのです」といったような。

このような「お門違い」なことが行われないためには、整理が必要なわけです。

本では、

「この子は、自分を振り返ることが出来ない。自己認識が欠如していると言える。だから自信がなくてじっくりと自分に向き合うことが出来ない。だから、リーダー経験をさせて成功体験をさせ、自信をつけさせて自分とむきあえるようにする」

「この子は、自分に甘い。負けを受け入れる心の余裕がないから、五色百人一首という勝ち負けがはっきりしていて言い訳が出来ないゲームを通して負けを受け入れる経験を多くさせることで自制心を伸ばす」

というような例が述べられています。

このように、一人一人の子どもについて非認知能力を高める方法を、その子の実態を元に考えていくことが出来ればよいと思います。

なかなかそういう見とりや、方法の準備などをする余裕がないところですが、心の片隅に「この子のこんな姿は、何らかの非認知能力を鍛えれば改善するのではないか?」という視点を持っておくと、私たちの教育はより先が見えるものになりそうだと思いました。

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