Lyustyleの教育ちゃんねる

2017年10月

運動場や体育館での体育の後、「はい。おしまい」とやると、子どもは「わーっ!」と走って帰りませんか?
そのままにしていると、校舎の間に入って狭くなってきた時に押し合いへし合いが始まり、こけてケガをします。

また、靴箱あたりでも我先に靴を履き替えて校舎内に入ろうとしますので、靴箱が荒れますし、そこでこけてケガをする子どもが出ます。

まだ我先に、の気持ちが続いていますので、スピードを緩めません。ワーワー言いながら階段を上がっていき、足音と叫び声とで、大変な喧騒になります。

どうしてこうなるのでしょうか。

昨日、緊張を解く話をしましたが、急に緊張が解かれると子どもたちはその反動でパッと動き出します。
だから、急に子供達を手放してはいけないのです。

一度教師の手に届く範囲の中で緊張を解かせる。
運動の終わりの静かなエクササイズをして、心と体を落ち着かせてから、「終わりますから静かにお帰り」とさっと静かな声で指示します。
そうしたら初動でパッと散開することはありません。

その後見守っておかないとだんだん早歩きになり、最後は走り出しますので、この都度声かけを。
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次のようなことを考えています。


「足をペッタン」なんて、1時間中できるわけじゃないです。
私が1時間中足を床につけておけなんて言われたら、どうにかなってしまいます。腰が痛くなって席についていられません。

一時間中足を床につけて姿勢を正しくさせておく、というのは何かの修行のようなものです。
学ぶ場で行われることではないと思います。

時折、必要なシーンできちんと姿勢を正す指示を出すことが大事であって、学びの場では、むしろリラックスさせたいものです。

当然だらっとさせるという意味ではありませんよ。いらない力を抜かせるということです。

足をぺたんとつけたままでは、そこに気持ちが行って、学ぶどころではありません。

緊張した脳では、考えをめぐらすことができないでしょう。

授業の要所で規律をただし緊張させたら、力を抜かせることも積極的にやりましょう。

往往にして、学校では緊張させっぱなしにする傾向があります。

だから、授業が終わった後、その反動で走って教室から飛び出て、ぶつかって怪我をするのです。


よく考えていることです。
子どもをいかに緊張から力を抜かせるか。
放っておくと,力が入りっぱなしになってしまうので,注意が必要だと思っています。
適切に緊張を抜くチャンスを作ってあげたいなと思っています。

時折笑いを入れることも重要。
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研究授業などの協議会で、司会者が任された仕事をできないことがよくあります。

司会者に任されるのは、会を司ることです。司会が参加者の意見を引き出し、つなげ、なんらかの成果を導き出すことです。
そのためには、田原総一朗さんのように、どんどん関連意見や対立意見の人につなげ引き回していかなければなりません。、

でも、よく見られるのは、「何か質問はありませんか」「関連して何かありませんか」「それではお答えください」「ほかにはありませんか」「すでに意見も出されていますので、質問意見合わせてどうぞ」「もうありませんか。」「それでは講師の方のお話を聞きましょう」

これでは、それぞれが集まってめいめいに好きなことをしゃべっているのと何も変わりません。

司会は、出された意見をまとめ、分類し、深め、まとめる仕事をしなければならないのです。

これを学ぶには、うまい司会をみるしかない。でも現場にはそのような司会ができる人がどんどん減っています。

そこで、一つだけ、参考になればと思ってお伝えしたいことがあります。

それは、質問がでたら、それをなんらかのカテゴリーにいれるということです。

「今、目標に基づくてだてであったかどうかということについて質問が出されました。」のように。出された意見や質問を「目標に基づくてだて」というカテゴリーに一旦入れるのです。

そうして、目の前に広げた紙にそのカテゴリをまるで囲って書いておきます。

その上で「関連する意見があればどうぞ」といえば、司会は、そのカテゴリに従って会を進めていることが明確になります。エッジが立ったのです。

司会の仕方を改善するには、まず、これからして見てください。

協議に移る頃にはいくつかのカテゴリが出ているはずですので、司会がその中から重要だと考えるカテゴリを柱にします。司会が決めていいのです。司っているのは司会ですし、それを任されているのだからです。

「それではこれから◯◯について意見を求めます。」とやれば、少なくともそのことについての成果が得られます。

私は、20代のある日、そのような司会を見て瞠目し、それから自分で会議を引き回すことができるようになりました。

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朝の健康観察は、できるだけ気持ちよく始めたいなあと思っています。

子どもが朝からふにゃふにゃしていると、つい喝を入れたくなります。
実際、若い頃は「もっと元気よく返事せんか」と大きな声で喝を入れていました。

しかし、その感覚は様々なことをそぎ落としてしまっています。
せめて「なんで元気がないのかな」と思うくらいの感覚は残してないとダメだなということに気づいたのは、教師になってからもう10年も経ってからのことでした。

しかし気づいてからも、子どもがふにゃふにゃしていると、「どうしたのかな?」よりも叱りたくなる気持ちの方が優ってしまうことがよくありました。

私自身のメンタルの問題です。
心の容れ物を大きくしなければなりませんでした。

デジタル日記で1日の振り返りをするようになってからです。子どものことを俯瞰して見られるようになったのは。

週記を、書くようになってからは、みるみる自分の容れ物が大きくなって行くのを感じました。

あの時あの子がこんなことをしたのは、こうだったからじゃないのか?と冷静に振り返ってみることを続けていると、それが自然にその場で行えるようになって行くのです。

子どものことをついしかりがちな人は、振り返り日記など、日次レビュー週次レビューをして見られることをお勧めします。

そのような記録を続けていると、ひとかたまりの成長記録ができます。

下の2冊は、上のようにしてした結果できた私の成長記録です。

また、今執筆している一年生学級通信の記事もそのような、私の自己訓練から生まれたものです。

よろしければご一読ください。

日本人学校の経験が,今の私をどのようにつくっているのか。当時のたくさんの記録と,膨大なジタバタ経験から述べました。
日本人学校への派遣前夜から,海外引越を経て,3年間にわたる生活について。 当時のパソコン通信などのIT事情 メモや手帳などで記録をすることの良さ などについて書いています。
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