Lyustyleの教育ちゃんねる

2018年03月

 昨年4月にリリースした私の本「私のシドニー派遣教員日記」は,なんと付録だけで全体の量の20%もあります。


 いったい何が付録になっているのかというと,詳細な図画工作の授業の実践記録をそのまま収めているのです。

 はじめは本文に入れる予定で書き進めていましたが、あまりに膨大になってしまい、こんなのだれも読まないだろうと思って一度はばっさりと削除しました。

 しかし、中にはニーズもあるかもしれません。
 そう思って、「付録」として本編以外で入れることにしました。

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 内容は、3年生の図画工作の何単元分かの指導記録です。
 オーストラリアの子どものクラスと日本の子どものクラスとが、いっしょに学ぶ図画工作科の授業。

 当時、日本人学校に現地の子どもの学級があるというのは、世界の日本人学校の中でも珍しい形態でした。
 そこで、図工の授業を受け持った私は、海外の子どもの造形教育に関心があったこともあり、わくわくして最初の授業を行います。
 そこでとんでもない事態になり、それから半年以上、少しでもこの子たちによい表現をさせようとじたばたするのでした。

 その記録が全部掲載されています。

 当時、日本に向けてのレポートとして書いたもので、臨場感豊かにその時の状況が伝わってくると思
います。

  どうぞ読んでいただけると幸いです。  
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少し間が空いていますが、現在、「学級通信に残す一年生との付き合い方」の連載をしています。

一年生担任の時に残した手書きによる学級通信をデジタルにお越し直して掲載しているものです。

前年度の途中から、私は手書きに切り替えました。

1993年当時、私は既にパソコンのワープロソフトでがんがん文章を書いていました。

特にデジタルによるデータベースの構築を目指していましたので、日記から、レポートから、通信から、何でも一つのデータベースファイルに細湾して、検索可能な状態にしていました。

この、1990年代初頭のデータベースつくりの詳細は、拙著「25年前からのパソコン通信に詳述していますのでごらんください。

それほど、デジタルによる生産にこだわっていたのに、なぜこの年の学級通信は手書きだったのでしょうか。

それは、大量に学級通信を書きたくなったからです。
手書きの方が、どこでもいつでもガシガシ大量に書けるのです。

まだ、モバイルなんてその後10年待たなければ実現されない時代。

なんとか98ノートというノート型パソコンの走りのようなもので書いて来たのでしたが、次々と目の前で起こる様々な事柄をリアルタイムでどんどんキャプチャして行くには無理がありました。

出来事を即座に捉えて書いていかなければ、そのまま脳内で消えてしまいます。

たくさんのことを記録するには、文化人類学者のフィールドワークにおける野帳のように、私は、原稿用の紙を持ち歩き、その場で書くしか方法がありませんでした。

おかげで、今でも当時の出来事が目の前で起こっているかのような臨場感が、この学級通信には保存されて余す。

今回、それをデジタルに起こして本にするのはとんでもない労力を要することになりましたが。

それにしてもなぜそこまでして私は、大量の記録によって目の前の出来事を捉えようとしたのでしょうか。


それは、私が学級通信というものを単なる連絡やお知らせではなく、実践記録、実践レポートだと思ってきたからです。

いやそれまでにも、私はそのように思ってワープロで書いていました。

授業の記録なども「この授業はこんな狙いでこのようにしたら、A君がこのように発言し、Bさんはノートにこう書いていた、この点は良かったが、ここは改善しなくてはならん」などと言うことを書いてきていたのです。


しかし、私は前年度の途中、「向山洋一実物資料集」を読んでしまいました。

TOSSの代表、向山氏の若き頃の実践記録です。

そこで目にしたのは、これはとても学級通信であるとは思えないものでした。


実践レポートとしかいいようがない、それも半端ない量のレポートが、学級通信として続々出されていたのです。

70年代の教師たちはこのようであったのです。


これに打ちのめされました。

格が違います。桁も違います。
なんとか追いつきたいと思いました。


挑戦魂に火がつきます。

そこで、前年度途中から、私は学級通信を手書きで書くようになったのです。

手書きでなければ、向山氏ほどの分量と質のレポートかかけないからでした。



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