カテゴリ: 私の失敗

朝の健康観察は、できるだけ気持ちよく始めたいなあと思っています。

子どもが朝からふにゃふにゃしていると、つい喝を入れたくなります。
実際、若い頃は「もっと元気よく返事せんか」と大きな声で喝を入れていました。

しかし、その感覚は様々なことをそぎ落としてしまっています。
せめて「なんで元気がないのかな」と思うくらいの感覚は残してないとダメだなということに気づいたのは、教師になってからもう10年も経ってからのことでした。

しかし気づいてからも、子どもがふにゃふにゃしていると、「どうしたのかな?」よりも叱りたくなる気持ちの方が優ってしまうことがよくありました。

私自身のメンタルの問題です。
心の容れ物を大きくしなければなりませんでした。

デジタル日記で1日の振り返りをするようになってからです。子どものことを俯瞰して見られるようになったのは。

週記を、書くようになってからは、みるみる自分の容れ物が大きくなって行くのを感じました。

あの時あの子がこんなことをしたのは、こうだったからじゃないのか?と冷静に振り返ってみることを続けていると、それが自然にその場で行えるようになって行くのです。

子どものことをついしかりがちな人は、振り返り日記など、日次レビュー週次レビューをして見られることをお勧めします。

そのような記録を続けていると、ひとかたまりの成長記録ができます。

下の2冊は、上のようにしてした結果できた私の成長記録です。

また、今執筆している一年生学級通信の記事もそのような、私の自己訓練から生まれたものです。

よろしければご一読ください。

日本人学校の経験が,今の私をどのようにつくっているのか。当時のたくさんの記録と,膨大なジタバタ経験から述べました。
日本人学校への派遣前夜から,海外引越を経て,3年間にわたる生活について。 当時のパソコン通信などのIT事情 メモや手帳などで記録をすることの良さ などについて書いています。

 2学期が始まったところも多いことでしょう。

 ほんの数年前までこの時期はまだ夏休みだったのに、学力向上の名の下に、学力向上のための準備の時間として貴重な8月の最終週が授業時間に変わりました。
 時間数さえ増やせば子どもが賢くなるという、いつもの考えです。

 ぼやいても始まらないので、私たちは前に進まなければなりません。
 準備時間を減らされても、タイムカードを投入するから早く帰る意識を持てと言われても、目の前に子どもがいるのですから。

 そこで、まずは、宿題をできるだけ早く目の前から無くしましょう。
 全員の分の宿題を見るのは大変ですが、できれば今週中に返してしまいましょう。
 工作など、いつまでも飾っておくと、せっかくの作品に埃が積もったり、色あせたり、まずい場合は友達が触って壊れてしまったりします。

 延ばしてもせいぜい参観日の展示まで。

 私はなかなか線が引けない人間だったので、まごまごしているうちにとうとう返す時期を逸してしまい、何と2学期いっぱい持っていたことがあります。
 子どもも、そんなもの今更返してもらっても、と困惑していました。
 できるだけみんなに見せてやろう、この作品を活躍させてやろうと思う気持ちが、完全に裏目に出てしまいました。
 ですから、それからは、作品が綺麗なうちに返すようにして来ました。

 恥ずかしい失敗です。

通信票の初見は,何年たっても大仕事。

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私は,とても一晩でぱっぱとかけるタイプではなく,システム手帳の一人一人のカルテに書き溜めたノートとにらめっこしながら何日もかけて書くタイプでした。

80年代終わりごろからパソコンが個人の手に入るようになってからは,「所見君」みたいな名前のソフトが発売されないかなーと思っていました。
必要事項をいくつか入力すると,最後に一つの所見として出力してくれるというような・・・

後に,PC-VANに代表されるパソコン通信に,そのものずばり「所見君」という名前のオンラインソフトがアップされてびっくりしました。
さっそく大喜びしてダウンロードして使ってみましたが,あまりの手数の多さにやめてしまいました。
こんなんなら,手で書いたほうが早いや,というわけですね。

結局手早く書くための,どの子にも使えるテンプレートというものはないのです。

でも,以下の記事で紹介しているテンプレートなら使えると思いますよ。

昨日の記事の続編です。


子どもを間違って叱ってしまうことはありませんか?


私にも何度もありました。いや,あります。


授業中にこそこそ話をしていたので叱ったら,実は,隣の子どもが困っているのを一生懸命に助けようとしていたこと。


授業中にふざけていると思ってしかったら,実際はふざけていたのは隣の子どもで,叱った子どもは一生懸命に授業をうけていたこと。


分かった瞬間,なんども子どもたちに頭を下げました。

心から謝りました。


そしてそれは何度も繰り返されました。


私はいったん子どもの姿を受け入れて,そこから指導を始めるということがへたくそだったのです。



その中で忘れられないことがあります。

3年生の運動会のダンスの指導の時です。


「腕を伸ばしなさい」と言っても,だらんとしている女の子がいました。

なんど言ってもだらん・・・


私はその子どもがやる気がないのだと思い,つかつかとその子供のところに歩み寄り,腕をとって,肘をまっすぐにし,「これ!まっすぐってこうやるの!いっしょうけんめいにやりなさい!」と叱ってしまいました。


その子は,それ以後腕をちゃんと伸ばしていました。


私は,叱ってよかったと思いました。


確かに,腕をとって,肘に手を当て,まっすぐに伸ばしてやることで「手を伸ばす」という感覚を持たせる上では悪い指導ではありません。


しかし,意図が違います。


私はやる気がない子どもに芯を入れるようなつもりでひじをまっすぐにしたのです。



しかしそれは大間違いでした。こどもはやる気がないんじゃなかったんです。



6年生になったとき,その子どもをまた担任しました。


ある日,給食をいっしょに食べながら談笑しているとき,その子は何気なく3年前の体育で私が叱ったことを話し始めました。


「まっすぐ,というのがどんなことかわからなかったの。私はまっすぐしているつもりだったけど,先生が私の腕をとってのばしたから,それで初めて私の腕は曲がっていたんだと思った。」


というのです。

やる気がないんじゃなかったのです。


「まっすぐ」に伸ばした腕の状態が自分の感覚としてわからなかったのです。


本人は頭では伸ばしているつもりだったのですが,実際には曲がっていたのだというわけです。


私はそれをやる気がないのだと勘違いし叱ってしまった。

完全な思い込みです。

私は心から頭を下げました。


その子はなんで私が謝っているのかよくわからないようでした。


腕を伸ばすとはこういうことだということを教えてくれたのだと純粋に思っていたようです。


私は,過去どれだけこのような子どもたちから助けられてきたことでしょうか。



その後も,私は凝りもせず,思い込みで子供を叱ってしまい,しまった!と思うことが何度もありました。

私は,経験から何も学べなかったのです。


結局,子どもの姿をそのまままず受け入れるということを意識して行うようになったのは,その後5年を待たなければなりませんでした。


すなわち,「傾聴」「カウンセリング」「コーチング」を勉強し始めてからの事でした。

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人の話を最後まで聞く
これをするだけで、相手がこちらを信頼して安心して話をしてくれるのに、

途中で話をさしはさんだり、

「なんだ、そんな馬鹿なことしたのか」と評価したり

「そりゃ、お前が悪いだろ」と助言したり

「あ!なるほど!こうなるわけだ!」と予測して、おいしいところをもっていったり

 

そんなことをついしてしまうもんだから、相手は

「もういいや」「どうせきいてくれんし」

「途中で切らないで最後まではなさせて」

となって、心を閉ざしてしまう。

昔は、叱っている子どもが途中でだまりこくってしまうことがよくあった。

その気持ちがわからず、

「ちゃんと返事をしないか」

「どうしてこうしたのかきちんと言葉ではなさないか」など、

ずいぶん腹をたてて怒ったものだ。

 

当たり前だ。

話をしている途中で

「それで!!」と威圧的に先をうながしたり

「な~に~!!?」と怒りをあらわにしたり

 

それじゃ、何も言えなくなってしまって当たり前だ。

 

まず、聞く。

話し終わるまで、じっくりと聞く。

「はやく話終われ!」と願ったらだめだ。

顔や動作に出る。

はらをくくって、心を沈めて、とにかくまるごとその子をうけとめるつもりできく。

子どもが悩みや困りごとを話してくれるようになるにはそれしかない。

ちかごろすごくそう思う。
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追記2014/ 11/13

この記事はこちらから移転してきました。

人の話を最後まで聞く | 教師の知的生活ネットワーク
こちらから移転してきました。

よく、子どもに「何か困ったことがあったら言うんだよ」と言ってきました。

言うんだよと言っているから、何か困ったことがあったら言ってくるに違いないと私は思います。

でも、子どもはなかなか言ってきません。

言ってこないということは、何も困ったことがないんだ、よかったよかった、と若い私は安心していました。


しかし、言ってこれなかったんです。
困ったことがあったのに、言ってこれなかったんです。
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理由は大きく分けて3つあります。

一つ目は、

「自分が困っているということがわからない。」

困り感に慣れてしまっている子は、困っているということ自体に気づかないことがある。
おなかがすいてたまらないけど、それがいつもだったら、おなかがすいていることが困ったことなんだということがわからないんです。

家できつく叱られる。 でも、それが普通だったら、それが困ったことだということがわからない。

そういうことです。

 自分が困っていることが自分でわからない。
無邪気な顔を見ていると、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。


二つ目は、

こんなのは困っているうちに入らないと自己規制する

自分の困り感はよくわかる。
友達からなにかいわれた。
いやなことされた。

困る。

でも、これくらいのことで先生に言っていったら、ちょっと恥ずかしいし、プライドにかかわる。
また、先生にめいわくかけるかもしれない。

僕の困っていることより、もっと困っている人はいっぱいいるはずだ。
こんなの、困っているうちに入らないや・・・。

そう思って自己規制するんです。

先生や親に心配をかけたくない、という気持ちもここに入りますね。

「そうか・・・ずっとそうやってがまんしてきたのか・・・」
これもずいぶん申し訳ない思いをしました。


三つ目は

「いいたくてもいえないや・・・」

これです。
おそらく一番多いんじゃないかなと思います。

何かいいたかったけど、先生に言っていける雰囲気じゃなかった・・・


なんだか忙しそうで、しばらく聞いてもらえそうにない。

なんだか難しい顔でしかめっつらしながら、なにか作業してる。とても聞いてもらえそうな雰囲気じゃない。

「ちょっとまって・・・あとからね」と、言われたが、その「あとから」が来そうにない・・・。


そんな雰囲気を先生がふりまいているから、何か言いたくてもいえない・・。

これも、本当にごめんなさいという気持ちでいっぱいです。


私は、長いこと「子どもがなにもいってこないから困ってないんだ」と思ってました。
成長して大きくなった教え子さんたちから思い出話としてこういうことを話してもらい、初めてわかりました。

「困ったことがあったら言ってね」の後に、

「今、困っているみたいだね」という促しのことばとフォローが必要だったということを。


私の数ある失敗のひとつでした。

 

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