Lyustyleの教育ちゃんねる

カテゴリ: 若い教師のみなさんへの手紙

私のメルマガでは,毎週月曜日,Lyustyleの教育論を書いてきました。
次週2018年5月21日月曜日に30回となるのをひとつの区切りとしていったん終わることにしましたので,こちらで以前書いたものから転載していこうと思います。

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#71 まさかの「Lyustyleの教育論1」

 さて,まさかの「Lyustyleの教育論」です。

 急になんだ,と思われそうですが,私はのんきにしてそうでいて,これからの日本の教育ということについても実はいろいろと考えております。

 一応教師ですから,教育についての記事も書くのです。「アシタノレシピ」では,「目からウロコの子育てレシピ」という題で,「今」の子どもの成長についてのさまざまな課題についてどう考えたらいいのかを述べていました。

 さて,ここで考えたいのは,これからの教育はどうなる,というよりも,子どもたちをどのように育てたらよいのか,ということです。

 未来に生きる子どもたちのさまざまな仕事がAIにとってかわられるといわれているのです。そういう時代を生き抜いていくために,子どもたちはどのように成長していったらいいのでしょうか。


 2045年にはシンギュラリティを迎えるといわれています。

 今,12歳の6年生がちょうど40歳になるころです。
 働き盛りの40代である今の6年生の子どもたちは,予測困難な時代をどう乗り切っていったらいいのでしょうか。
 
 そもそも仕事があるのでしょうか。 
 税金を払える国民として生活できているのでしょうか。
 子育てはできているのでしょうか。
 それともますます少子化に拍車がかかっているのでしょうか。
 
 そういう時代において,子どもたちがどのような力を見につけていたらいいのか,ということを考えて,教育政策は作られなければなりません。

 決して,他国に比べて学力のポイントが低かったから,もっと授業の時数を増やそうなどということで行われるべきではないのです。

 また,学校教育もそのことを見据えて行わればなりませんし,家庭教育も同じです。

 「うちの子どもが40代になったとき,どんな世の中になっているんだろう。すくなくとも今と同じ時代ではない。思いもよらないことが必ず起きているはず。その時,うちの子どもはどんな力を身に着けていたらいいんだろう」

 どの大人もそういうことを考えて,子どもを育てていかないといけない時代です。
 そもそも,世界が今の価値基準のままであるという保証はないのです。
  
 というわけで,Lyustyleが考える,今の子どもたちが将来のために身に着けておかなければならない力とはどのようなものかということについて述べていきたいと思っています。
これにともなって、メルマガの内容の整備をして行こうと考えています。
基本的にいかのような感じで。
月曜 教育論
水曜 自由テーマ
金曜 今週目を通した本
週末 今週のジタバタの記録
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 いよいよ新年度が始まります。
 保護者には、学級通信で私のプロフィールを紹介するといです。

 保護者は、「ねえ、どんな先生なの?」と帰って来た子どもに聞くので、先にこちらからアピールしておきます。

 できればユーモアたっぷりに書いた方が、後から話題になったりして受けが良かった印象があります。

 内容としては、

名前と読み方

 名前にまつわる由来などがあればもっといいです。覚えてもらえます。
 この市に二人しかいないとか
 歴史上の人物の末裔であるとか(嘘とはっきり分かるように書くのもよし)

年齢

 いくつくらいの先生なのかは結構きになるものですので、先に教えます。
 開いてくれる先生なんだなーという印象を持ってもらうことができます。

これまでの担任歴

 何年ほどの経験なのか、この学年を何度くらい持ったことがあるのか。
 初めて担任する学年でも堂々と書きます。
 私たちは、教員免許を持っている以上、どの学年でも担任できるのです。

 新任でも自信を持って「担任経験はありません!しかし、この子どもたちは、私にとって最初の教え子さんたちです」と書いたらいいです。
 新任かどうかを気にする人はいますが、どうせわかるのです。むしろ、若々しさと前向きなイメージを出しておくと安心してもらえるでしょう。
 教師人生で一度しか書けないことです。

学んできたこと 専門

 これは教師の専門職としてのアピールです。算数の教科を研究してきたとか、学級集団づくりについて学んでいるとか。新任なら、大学なり養成所なりでのテーマを書くといいでしょう。
 私は、専門家なのだという意識を新たにすることもできます。
 専門家として学び続けているからこそ、人に教えると言うことができるのですから。

この子たちとのかかわり

 これまで、委員会活動やクラブ等を通して何らかのかかわりがあれば、その印象を書きます。

 自分の子どものことを前から知ってくれている人が担任になったということは保護者にとって安心のポイントになります。

好きな言葉とか、取り組んでいるとととか、夢とか

 親しみを持ってもらう意味で、調味料的

に。 


 だいたいこんなところでしょうか。
 相手にまず「知ってもらう」。そのためのアピールです。
 「きっと、どんな担任が心配されてるだろうな。安心してもらいたいな。」
 そんな気持ちで書くといいと思います。

 さあ、新学期。
 忙しいですが、子どもの前では元気いっぱいに、みずみずしくいきましょう!

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昨年4月にリリースした私の本「私のシドニー派遣教員日記」は,なんと付録だけで全体の量の20%もあります。


 いったい何が付録になっているのかというと,詳細な図画工作の授業の実践記録をそのまま収めているのです。

 はじめは本文に入れる予定で書き進めていましたが、あまりに膨大になってしまい、こんなのだれも読まないだろうと思って一度はばっさりと削除しました。

 しかし、中にはニーズもあるかもしれません。
 そう思って、「付録」として本編以外で入れることにしました。

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 ※この記事は,次に移動しました。
付録だけで全部の20%もある本」 

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「自力で解きなさい」と言って5分の時間を取ったとき、全くわからない子どもは何をしていればいいのでしょうか。
 
私たちは、よく今から5分間は一人でじっくり考えて解きなさい、というような指示をだすことがあります。

これは子どもに考える時間を与えるという大事な指示ではありますが、文字通り額面通りだと、それで困ってしまう子どもがでてきます。

まったくわからない子どもです。

学級の中には、そんな子どももいるのです。
その子どもたちは、5分間どうしたらいのでしょうか。
 
 
佐藤学氏は容赦なく「それは拷問だ」と言っています。
 
教師の思いからすればそんなに言われたら身も蓋もないところですが、ある面、その通りでもあります。
 
 
考えろと言われても考える土台ができていない以上、5分間じっとしているしかありません。

5分経ったらそれがわかるかと言われてもその保証はありません。
 
 
そんなとき、「どうしてもわからければお友達にきいていいよ」という言葉を一言添えてあげるだけで、多くのことが解決します。

わかるようになろうという主体的な態度
5分間を無駄にせず、わかるために学ぶ時間に変えること
わからなかったら聞けばいいのだという、わかるための手段を学ぶこと
わからない子どもが友達にはたらきかけることで、つながりができること
わかる子どもがわからない子どもに教えることをとおして学びなおしができること。
「ありがとう」という言葉を生み出せること。
 
 
単に、学力が上がるということだけでなく、その向こうの友達との結びつきまでつながっていきます。
 
時には、「5分間は自力で頑張る」ということへの忍耐を経験させることにも何らかの価値はあるかもしれませんが、それはテストのときくらいでいいのではないでしょうか。

わかるための勉強時間ですから、そのための主体的な行動をとり、その結果上にあるような価値まで引き出せるのなら、それは大きな価値のあることです。
私はそう思うのですが・・・。

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運動場や体育館での体育の後、「はい。おしまい」とやると、子どもは「わーっ!」と走って帰りませんか?
そのままにしていると、校舎の間に入って狭くなってきた時に押し合いへし合いが始まり、こけてケガをします。

また、靴箱あたりでも我先に靴を履き替えて校舎内に入ろうとしますので、靴箱が荒れますし、そこでこけてケガをする子どもが出ます。

まだ我先に、の気持ちが続いていますので、スピードを緩めません。ワーワー言いながら階段を上がっていき、足音と叫び声とで、大変な喧騒になります。

どうしてこうなるのでしょうか。

昨日、緊張を解く話をしましたが、急に緊張が解かれると子どもたちはその反動でパッと動き出します。
だから、急に子供達を手放してはいけないのです。

一度教師の手に届く範囲の中で緊張を解かせる。
運動の終わりの静かなエクササイズをして、心と体を落ち着かせてから、「終わりますから静かにお帰り」とさっと静かな声で指示します。
そうしたら初動でパッと散開することはありません。

その後見守っておかないとだんだん早歩きになり、最後は走り出しますので、この都度声かけを。
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この記事は移動しました。

緊張させたら緩める
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研究授業などの協議会で、司会者が任された仕事をできないことがよくあります。

司会者に任されるのは、会を司ることです。司会が参加者の意見を引き出し、つなげ、なんらかの成果を導き出すことです。
そのためには、田原総一朗さんのように、どんどん関連意見や対立意見の人につなげ引き回していかなければなりません。、

でも、よく見られるのは、「何か質問はありませんか」「関連して何かありませんか」「それではお答えください」「ほかにはありませんか」「すでに意見も出されていますので、質問意見合わせてどうぞ」「もうありませんか。」「それでは講師の方のお話を聞きましょう」

これでは、それぞれが集まってめいめいに好きなことをしゃべっているのと何も変わりません。

司会は、出された意見をまとめ、分類し、深め、まとめる仕事をしなければならないのです。

これを学ぶには、うまい司会をみるしかない。でも現場にはそのような司会ができる人がどんどん減っています。

そこで、一つだけ、参考になればと思ってお伝えしたいことがあります。

それは、質問がでたら、それをなんらかのカテゴリーにいれるということです。

「今、目標に基づくてだてであったかどうかということについて質問が出されました。」のように。出された意見や質問を「目標に基づくてだて」というカテゴリーに一旦入れるのです。

そうして、目の前に広げた紙にそのカテゴリをまるで囲って書いておきます。

その上で「関連する意見があればどうぞ」といえば、司会は、そのカテゴリに従って会を進めていることが明確になります。エッジが立ったのです。

司会の仕方を改善するには、まず、これからして見てください。

協議に移る頃にはいくつかのカテゴリが出ているはずですので、司会がその中から重要だと考えるカテゴリを柱にします。司会が決めていいのです。司っているのは司会ですし、それを任されているのだからです。

「それではこれから◯◯について意見を求めます。」とやれば、少なくともそのことについての成果が得られます。

私は、20代のある日、そのような司会を見て瞠目し、それから自分で会議を引き回すことができるようになりました。

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朝の健康観察は、できるだけ気持ちよく始めたいなあと思っています。

子どもが朝からふにゃふにゃしていると、つい喝を入れたくなります。
実際、若い頃は「もっと元気よく返事せんか」と大きな声で喝を入れていました。

しかし、その感覚は様々なことをそぎ落としてしまっています。
せめて「なんで元気がないのかな」と思うくらいの感覚は残してないとダメだなということに気づいたのは、教師になってからもう10年も経ってからのことでした。

しかし気づいてからも、子どもがふにゃふにゃしていると、「どうしたのかな?」よりも叱りたくなる気持ちの方が優ってしまうことがよくありました。

私自身のメンタルの問題です。
心の容れ物を大きくしなければなりませんでした。

デジタル日記で1日の振り返りをするようになってからです。子どものことを俯瞰して見られるようになったのは。

週記を、書くようになってからは、みるみる自分の容れ物が大きくなって行くのを感じました。

あの時あの子がこんなことをしたのは、こうだったからじゃないのか?と冷静に振り返ってみることを続けていると、それが自然にその場で行えるようになって行くのです。

子どものことをついしかりがちな人は、振り返り日記など、日次レビュー週次レビューをして見られることをお勧めします。

そのような記録を続けていると、ひとかたまりの成長記録ができます。

下の2冊は、上のようにしてした結果できた私の成長記録です。

また、今執筆している一年生学級通信の記事もそのような、私の自己訓練から生まれたものです。

よろしければご一読ください。

日本人学校の経験が,今の私をどのようにつくっているのか。当時のたくさんの記録と,膨大なジタバタ経験から述べました。
日本人学校への派遣前夜から,海外引越を経て,3年間にわたる生活について。 当時のパソコン通信などのIT事情 メモや手帳などで記録をすることの良さ などについて書いています。
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一年生くらいの子どもによく見られますが、わざと叱られるようなことをする子はいませんか?

わたしも過去受け持ったことがあります。
何度叱っても聞かなくて、同じことを繰り返すんですよね。
若い頃は結構悩みました。

その頃、本を読んでおけばよかったのに、と思います。

「こうすれば怒ってもらえる」

何度言っても同じことを繰り返し、その度に叱られる子供は、こういうことをしたら叱すってもらえる=関わってもらえるという負の学習をしている可能性があります。

小さい子供におおいですが、中学年頃まで続くこともあります。

「親と子のアドラー心理学‘では

「いたずらをする、暴言を吐く、などそれらの子供の目標は、そうすることにょって大人を動かすことにあります〜ここで大人がやってはいけないのは、注目を与えることです。〜叱られチャリ叩かれチャリすることは、子供にとって不快なことであるはずなのに、親から無視されるよりは叱られても、叩かれても、そすいて注目を得ることの方が重要なのです」

とあります。

しかることによって望む結果を得ることができた子供はそれを繰り返してしまいます。
だから、不適切な行動以外の、当たり前のことができたときに注目してほしい、とあります。

しかし、注目を与えないということは、学級生活の中では難しいことですよね。
放置していたらどこかへ言ってしまうかもしれないし、他の子どもも「自分もやっていいんだ」といってやり始めてしまうこともあるし。

しかし、教師の方に子どもが怒ってもらいたがって繰り返しているのだという理解があると、余裕ができるものです。

たとえば、一言注意して周りの子にもいけないことをしているのだということを知らせた上で、「お勉強を続けましょう、そのうちもどってくるから」と言って勉強を続けるということが、あまり感情に波風を立てずにできるようになります。

つかず離れつの距離感といいますか。
そういうの、大事ですよね。

日本人学校の経験が,今の私をどのようにつくっているのか。当時のたくさんの記録と,膨大なジタバタ経験から述べました。
日本人学校への派遣前夜から,海外引越を経て,3年間にわたる生活について。 当時のパソコン通信などのIT事情 メモや手帳などで記録をすることの良さ などについて書いています。
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授業を見て学ぶ機会は沢山あります。
研究授業、自主授業研究など。

その中で、「お!すごいな。子どもが一人残らず集中している」と思える授業に出会います。

そんな授業を行う先生は、決まって子どもの発表やつぶやきを、一生懸命に聞いています。
決して、自分の立てた授業の流れに沿わせるように子どもの言葉を改変しようと思って聞いているのではなく、子どものいうことそのものを受け止めているのです。

そこから、授業の組み立てをし直すので、リアルタイムに授業案が変わって行きます。当然指導案の通りには行きません。

でも、そういう授業は生きています。子どもたちはその授業の中で活かされていますので、安心して授業に没入できるのでしょう。

学んだことを言葉にした途端、子どもが自分のこと思い通りのことを言ってくれなかった教師から苦い顔をされることを繰り返されると、子どもは教師の思うようにしようとするようになるか、勉強しているふりをするようになるか、もっと直接的には、ざわざわし始めるかです。
とても、主体的で対話的な深い学びどころではありません。

立てた計画はあくまでも仮説ですから、その検証を使命とする授業でなければ、その場でどんどん変えていけばいいのです。

でも、これはこれで、修行が必要です。
今、この時にある、ピンポイントでの子どもの姿を丸ごと受け止める微視的な見方は、授業全体を俯瞰し、目標の達成まで引っ張っていく巨視的な見方と常につながっていなければなりません。

そして、それは次々に更新されていくのです。

まさに神業。

しかし、若い頃から修行すればその二つの起点はリアルタイムにリンクできるようになります。

そのための第一歩は、子どもの言葉を丸ごと受け止めることではないでしょうか。

まず、微視的に受け止める力を身につける。最初はそこに振り回されたり、瞑想したりすることもありますが、恐れないでどんどんリアルタイムに流れを変えて欲しいと思います。

10年もすると、リンクできるようになりますので。

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