Lyustyleの教育ちゃんねる

カテゴリ: 若い教師のみなさんへの手紙

 2学期が始まったところも多いことでしょう。

 ほんの数年前までこの時期はまだ夏休みだったのに、学力向上の名の下に、学力向上のための準備の時間として貴重な8月の最終週が授業時間に変わりました。
 時間数さえ増やせば子どもが賢くなるという、いつもの考えです。

 ぼやいても始まらないので、私たちは前に進まなければなりません。
 準備時間を減らされても、タイムカードを投入するから早く帰る意識を持てと言われても、目の前に子どもがいるのですから。

 そこで、まずは、宿題をできるだけ早く目の前から無くしましょう。
 全員の分の宿題を見るのは大変ですが、できれば今週中に返してしまいましょう。
 工作など、いつまでも飾っておくと、せっかくの作品に埃が積もったり、色あせたり、まずい場合は友達が触って壊れてしまったりします。

 延ばしてもせいぜい参観日の展示まで。

 私はなかなか線が引けない人間だったので、まごまごしているうちにとうとう返す時期を逸してしまい、何と2学期いっぱい持っていたことがあります。
 子どもも、そんなもの今更返してもらっても、と困惑していました。
 できるだけみんなに見せてやろう、この作品を活躍させてやろうと思う気持ちが、完全に裏目に出てしまいました。
 ですから、それからは、作品が綺麗なうちに返すようにして来ました。

 恥ずかしい失敗です。

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以前,「事務仕事以外はみんな勉強」というタイトルの記事を書きました。

改めてこのタイトル見た時,最初はびっくりしました。
「いったい何言ってるんだか・・・」
私は,てっきり,事務仕事以外は全部勉強しなさい,という記事を書いたのかと驚いたんです。

読んでみると違っていました。

私たちの仕事は,夜中までかかることが多いのですが,それらは,大きく分けて事務仕事と教材研究とに別れます。
この教材研究の部分を,「勉強」と考えてインプットとして行うといいよ,という記事でした。

明日の授業の準備のために,私たちは教材研究をするのですが,忙しくなってくると,ともするとそれが事務化してしまい,「終わった,できた」とこなしたことで満足してしまいがちです。

そして,私たちが大事にしておきたい,知的な土台作りとしての読書などをする時間,知的生活としての時間をさも終わったかのように錯覚してしまいがちなのです。

本当は,終わった後に,ゆったりと読書などをしたいのに,もうそのためのリソースがのこっていません。
疲れもあるでしょう。

だから,せめて「こなす仕事」「事務」として明日の教材研究をするのではなく,「学ぶ」という視点で行うことで,それが知的な時間に転換されるのではないでしょうか。
その時間は,きっと教師としての大きな土台になっていくのだと思います。

「やらなきゃならない事務仕事」ではなく
「自分を成長させる勉強」ととらえて,インプットに転換する時間にしましょう。

そんな記事でした。
そして,私もそのようにしています。

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しかし,自分で書いた文に驚いていったいどうするんだ,という話ですが・・
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通信票の初見は,何年たっても大仕事。

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私は,とても一晩でぱっぱとかけるタイプではなく,システム手帳の一人一人のカルテに書き溜めたノートとにらめっこしながら何日もかけて書くタイプでした。

80年代終わりごろからパソコンが個人の手に入るようになってからは,「所見君」みたいな名前のソフトが発売されないかなーと思っていました。
必要事項をいくつか入力すると,最後に一つの所見として出力してくれるというような・・・

後に,PC-VANに代表されるパソコン通信に,そのものずばり「所見君」という名前のオンラインソフトがアップされてびっくりしました。
さっそく大喜びしてダウンロードして使ってみましたが,あまりの手数の多さにやめてしまいました。
こんなんなら,手で書いたほうが早いや,というわけですね。

結局手早く書くための,どの子にも使えるテンプレートというものはないのです。

でも,以下の記事で紹介しているテンプレートなら使えると思いますよ。

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dokusyo

教師の読書には以下の3通りがあると考えています。


  • おいかける読書
  • 深める読書
  • 豊かにする読書

おいかける読書とは

時事,教育界のトレンドをおいかけることです。


今の教育の動向を知っていなければなりません。それは単にニュースとして知っているだけでなくある程度詳しく知っていたいものです。


そのためには、教育雑誌を1冊とっておくことが望ましいと考えます。


自分の属する学年や教科について総合的に書かれた雑誌の他に、できれば総合的な教育雑誌に目を通しておくと、各県や市の教育委員会からおりてくる様々な教育施策についての理解が深まりますし、自分の授業や学級経営にすばやく反映させていくこともできます。


このように、教育に関する動向についての知識を得る読書のことを「おいかける読書」ととらえています。

深める読書

これは、自分の専門とする教育に関する分野の識見について、より詳しく学ぶ読書です。


教科や総合、道徳などの領域に関する専門性


学び合いやアクティブラーニングなど、教育の質をより高める現代の教育のキーワードになっている分野についての専門性


心理学や特別支援など、現代教育の課題となっていることへの専門性



そのような、「私の拠って立つある分野」を自分の専門分野と見極め、ひたすらそのことについて書かれた書物を読み深めて行くことです。


それを「深める読書」ととらえています。

豊かにする読書~「明日の授業には関係の無い」本

教師は、子どもの前に立つ以上、人にものを教える者としての人間性が必要です。


いつの時代であっても、教師は労働者であると同時に「聖職である」という気構えは持っている必要があります。

そこから醸し出される豊かな人間性に子どもはこの人から学ぶのだといううれしさと信頼を持ってくれるのだと思うのです。


そのために、古今の様々な本に触れて、自分のものの見方、感じ方を広げ深める読書をしたい者だと思います。


この読書には、昔の教師達の書いた教育上の古典があげられます。自分の教育観を深めてくれます。


また、現代・近代文学、古典、歴史(文化史、科学史、数学史なども含めて)など、「明日の授業には関係の無い」本が、自分の土台を形作ってくれます。


ぜひ、そのような自分の教師としての土台を作ってくれる豊かな読書をしていきたいなと思います。

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昨日の記事の続編です。


子どもを間違って叱ってしまうことはありませんか?


私にも何度もありました。いや,あります。


授業中にこそこそ話をしていたので叱ったら,実は,隣の子どもが困っているのを一生懸命に助けようとしていたこと。


授業中にふざけていると思ってしかったら,実際はふざけていたのは隣の子どもで,叱った子どもは一生懸命に授業をうけていたこと。


分かった瞬間,なんども子どもたちに頭を下げました。

心から謝りました。


そしてそれは何度も繰り返されました。


私はいったん子どもの姿を受け入れて,そこから指導を始めるということがへたくそだったのです。



その中で忘れられないことがあります。

3年生の運動会のダンスの指導の時です。


「腕を伸ばしなさい」と言っても,だらんとしている女の子がいました。

なんど言ってもだらん・・・


私はその子どもがやる気がないのだと思い,つかつかとその子供のところに歩み寄り,腕をとって,肘をまっすぐにし,「これ!まっすぐってこうやるの!いっしょうけんめいにやりなさい!」と叱ってしまいました。


その子は,それ以後腕をちゃんと伸ばしていました。


私は,叱ってよかったと思いました。


確かに,腕をとって,肘に手を当て,まっすぐに伸ばしてやることで「手を伸ばす」という感覚を持たせる上では悪い指導ではありません。


しかし,意図が違います。


私はやる気がない子どもに芯を入れるようなつもりでひじをまっすぐにしたのです。



しかしそれは大間違いでした。こどもはやる気がないんじゃなかったんです。



6年生になったとき,その子どもをまた担任しました。


ある日,給食をいっしょに食べながら談笑しているとき,その子は何気なく3年前の体育で私が叱ったことを話し始めました。


「まっすぐ,というのがどんなことかわからなかったの。私はまっすぐしているつもりだったけど,先生が私の腕をとってのばしたから,それで初めて私の腕は曲がっていたんだと思った。」


というのです。

やる気がないんじゃなかったのです。


「まっすぐ」に伸ばした腕の状態が自分の感覚としてわからなかったのです。


本人は頭では伸ばしているつもりだったのですが,実際には曲がっていたのだというわけです。


私はそれをやる気がないのだと勘違いし叱ってしまった。

完全な思い込みです。

私は心から頭を下げました。


その子はなんで私が謝っているのかよくわからないようでした。


腕を伸ばすとはこういうことだということを教えてくれたのだと純粋に思っていたようです。


私は,過去どれだけこのような子どもたちから助けられてきたことでしょうか。



その後も,私は凝りもせず,思い込みで子供を叱ってしまい,しまった!と思うことが何度もありました。

私は,経験から何も学べなかったのです。


結局,子どもの姿をそのまままず受け入れるということを意識して行うようになったのは,その後5年を待たなければなりませんでした。


すなわち,「傾聴」「カウンセリング」「コーチング」を勉強し始めてからの事でした。

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  • 何度言っても忘れ物をする
  • 必ずウソをつく
  • そこまで言わなくてもいいのにということを言ってトラブルになる
  • 叱られても叱られても懲りずに廊下を走る。そして怪我をする。
  • 挙手しない。さしても蚊の鳴くような声しか出さない。
  • ダンスの時、腕をまっすぐに上げない。
  • あいさつをしても,だまってとおりすぎる・・・・

こういうことが毎日のように起こります。

教師は叱っても話しても諭しても注意をしても何にも変わらず、疲弊して行く。

または、力で押さえつけ、そのうち学級が爆発する。


そういうようなことを乗り越え乗り越え、私たちは日々を壮絶に暮らしています。


そこで「どうして言っても言ってもよくならないの」と考えるフレームを、一人一人の子供に事情がある、というフレームに転換すると、ずいぶん見える世界が変わって来ます。

その子どもの行動、言葉を生んでいるものに目がいくようになるのです。

その余裕ができるのです。

んとね


実際、私もそう考えるようになって気持ちが楽になったばかりか、根源的なその子どもの行動を生んでいた障壁に気づいて取り除くことで改善した経験もあります。


まずは、子どもを自分の持つラベルに当てはめるのではなく、その子どものそのままを受け止め、「ああ、こんなことを言っているんだな」と思うことにしましょう。

何とかしなくては、とあまり思いつめないことです。

目の前のことをつつきすぎると、帰って解決が遠のくことがよくあります。


まずは受け入れる


そこから開く世界もあります。


「まず受け入れよう」 

「子どもが何か頼んできた離,ルールを破るようなことをしていた時に,いう知度その姿を受けれてみ見る。そうしてよく話を聞いてみる。「みんな事情があるのだ」そういうこうどうのしかたにいつのまにか変わっていました」


「まず受け入れてみるという感覚は,傾聴,カウンセリングという領域に私の目を開かせることになり,日々の教育の中で生かすように変わっていき,今の仕事につながっています。」


私のシドニー派遣教員日記より

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jugyou


 現在,「1年生学級通信」のシリーズを投稿しています。
 すでに12記事投稿しました
 この年の通信は140号くらいあるので,どれを投稿したらいいのか検討しながら投稿しています。

 今から20数年前,私がまだ33歳の時の学級通信です。

 その年,私は初めて1年生を受け持たせてもらいました。 
 私たちの頃は,若い男性はなかなか1年生を持たせてもらえませんでした。しっかり修行を積んで,教師としての実量をつけてからでないと,もたせてもらえなかったのです。
 1年生を担任するということは,それほど重要なことだったのです。

 現に,私は,初めて1年担任をしたその年,子どものおじいさまという方からお手紙をいただいたことがあります。むかし校長先生をされていたという,その方からの手紙には,はっきりと「1年生担任を任せれたということは,それだけの技量を持った教師とみなされたということですね。本当におめでとうござまいます。」と書かれていました。

 そういう時代でしたから,私もようやく認めてもらえたのだと素直に喜びました。そして,その感動と責任感から,ほぼ毎日子どもたちの様子を通信し続けたのでした。

 この通信には,1年生という発達段階にある人たちがどのような存在であるのかを日々学び,そしてどのように育てていったらいいのか,ということについて考え続け,真摯に取り組んだあとがつづられています。
 初めて1年生担任をされる方の参考になればと思って,手がきの通信を,少しずつ入力して投稿しています。

 ところで,この通信はほとんど「常体」で書かれています。

 保護者を読み手として書かれてはいますが,自分の教育実践の記録としての通信でもあったので,保護者への連絡としての箇所以外は,すべて「常体」です。

 教育実践記録としての学級通信。

 若い教師の方は,あまり見たことがないかもしれません。
 おたよりが「当然のサービス」になってしまった現代において,それは保護者への連絡や周知のために行うものです。

 ところが,過去,学級通信がまだ「当然のサービス」ではなかった時代には,今のブログのように書きたいから書く,という学級通信の文化があったのです。

 日付を見られて不思議に思うかもしれません。
 同じ日付の通信が何枚もあるのです。そのことに示されるように、一回一枚と決めて書いて入るわけでもありません。私は8枚書いたことがあります。
 この年は、入学前に子どものことをあれこれ想像しながらすでに4枚書き、入学式で配りました。

 そんなに書いてどうするのだ、いったいなんでそんなに書くのだ、と思われそうですが、そこでは,教育実践が語られていたのです。

 「ごんぎつね授業全記録」のような学級通信もありました。
 子どもが描いた毎日の絵手紙の余白にさまざまなことを書き込んだ通信もありました。
 新聞のように,レイアウトに凝りまくった通信もありました。
 連絡だけではなかったのです。さまざまな学級通信の形がありました。

 まさに「学級通信文化」とでも呼べるような文化があったのです。

 私も1983年に教師になったときから,そのような通信を書いてきました。

 ところどころ,現物のコピーを挿入しています。
 ワープロでの通信が多い中,手書きの通信もなかなかよいものだと思っていただけるのではないでしょうか。

 記事の投稿は,ようやく5月中旬に差し掛かったところです。
 これから,この年の1年間の通信を,投稿していきます。

 
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アドバルーンをあげる子どもたち

新年度になり,新しいクラスでの学級経営が始まりました。
子どもたちは「今度の先生はどんな先生かな」と様子を見ています。
時には,わざと離席してみたり,教科書を机上に出さなかったり,友達に話しかけたりするなど,「アドバルーン」を挙げる子どもたちもいます。そうしながら,こちらの出方を測っているのですね。

教師の方は,最初にきちんとさせておかなければ大変ということで,学習規律をいかに徹底させるかということに全力を傾けます。
姿勢,ものの準備,勝手に話をしないなど・・

しかし,なかなかアドバルーンを上げるのをやめてくれない子どももいます。

いつの間にかその子どもにかかりきりになり,だんだんほかの子どももしらけて一緒に騒ぎ出す・・ということからクラスが崩れていきます。

どうしても気になる子どもはいるものです。
でもその子にだけかかわっていると,他の大勢の一生懸命にやる子どもがはなれていきます。
やはり,「だまっていて手のかからない子」にこそ,一生懸命に声掛けをしなければなりません。

よく観察していると,アドバルーンを上げる子供も,こちらのちょっと知的な発問には,「ん・・・」と耳を傾けます。そして何やらぶつぶついったり,ノートに書いてみたりします。
そういう時を見つけて「承認(ほめるのではなく」してあげることを積み重ねると,だんだん,他の一生懸命にやる子どもたちのなかに埋もれていき,いつのまにかアドバルーンを上げない子に代わっていくことがよくあります。

結局,「ん?」と飛びついて,夢中になって勉強したいのです。

授業中にたったひとつの「珠玉の発問」を考えておくだけで,1日のうちに「ん?」という知的な興奮を6回味わえます。

子どもたちがざわついていて困る,いくら学習規律をしっかりしつけようと思ってもうまくいかない,という方は,知的で「あれ?なんでだろう」と子どもが思うような発問を,ぜひ積み重ねてください。
同時に,一生懸命にがんばる目立たない子どもたちを励まし,笑顔で承認してください。
この,大多数が一生懸命にやり続ける限り,大丈夫です。


結局おもしろい授業をすることにつきます。


本を出版しました。

現地児童相手の授業で,ジタバタしながらなんとかおもしろい授業をつくろうとしていました。
私のシドニー派遣教員日記
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2学期の終業式が近づいてきました。職員室では、ヨーコが通信票とにらめっこしています。
 

「ヨーコ先生,どうしたの?」ユーイチがのぞきこみます。

「あ、先輩。もう通信票の所見はおわりました?」

「いや。まだだよ。」

「あ~よかった。私もまだできてないんです」
 

「ぼくなんか、まだ始めてもいないよ。」

「え~?間に合うんですか?」

「背水の陣って言ってね。もうどうにも間に合わないというところでぐいっとエンジンをかけるんだ。そうすると一気にできるよ。」

「何かあったらどうするんですか?私こわくてとてもそんなことできません」

「まあ、人それぞれだよ。ヨーコ先生は自分に合ったやりかたをすればいいさ」
 

ユーイチは子ども達の所に遊びに行ってしまいました。
 

「大丈夫かな。先輩。」

ヨーコは、ユーイチが「間に合わない間に合わない」と泣きべそをかきながら通信票に向かっている姿を想像してしまいました。
 

「まだ取りかかってないって言っても、ゼロじゃないからね。」

「あ、マキ先生。」

学年主任のマキがいつの間にか座ってにこにこしていいます。
 

「ゼロじゃないってどういうことですか?」
 

「ユーイチ先生は、もうたっぷり書くための材料を用意しているってこと」

「私だって材料はたくさんあるんですけど・・・書こうとするとなかなか書けないんです。」

「どれどれ・・・?」

マキはヨーコの所見をのぞいてみました。
 

「何々。『〇〇さんは、国語をとてもがんばっています。発表もたくさんします。ノートの字がきれいですね。給食をたくさんおかわりしました。黒板消し係をがんばりました・・・・』・・・・。うーん・・・」

マキは頭を抱え込みました。
 

「・・・・だめですか・・?たくさん書いたつもりですけど・・・」

「ヨーコ先生、確かにたくさん書いてるけど・・・。これお母さんになったつもりで読んでみて。うちの子、国語がんばったっていってるけど、何がんばったんだろう?発表たくさんしたのはいいけど、ちゃんとわかってるのかしら。ノートの字がきれいなのは私も知ってる。よく書いてるわ。給食をたくさんおかわり・・・だから何?黒板消し係って何するの?何がんばったのかしら・・・ そうならない?」

ヨーコは「・・・なります・・・」と小さくなります。
 

「字をたくさん書けばいいという訳じゃなくて、具体的にどんな姿だったから、こういうよさがあります、とかここが課題ですのでこうやります、というように書いたらいいのよ」

「はい・・・」
 

「例えばね・・・」
 

マキは手直しをしてくれました。
 

「まず、国語をがんがった、ということから。がんばるにしてもいろんながんばりがあるわよ。例えば・・・」

「『国語では、文から読み取ったことをもとに,進んで考えをノートに書いていました。』とか

『毎日漢字練習を続けて、漢字テストで毎回100点をとることができるなど、努力を継続することができました』とか
 

『友だちの考えをよく聞いて、それらをまとめる意見を発表するなど、友だちがよりよく理解できるような発表をよくしてくれました』とか・・・」
 

ヨーコは目を丸くしています。よくこんなに次々と出てくるなあ・・
 

「こう言うように書いてあげると、『がんばる』という言葉を使わなくても、おうちの方にはすごくよく伝わるのよ。」

「ははあ、たしかに・・・」
 

「その時、より書きやすくなるように、自分の中にテンプレートを持っていたらいいの。」

「テンプレー・・・?」

「意欲的な態度につなげるか、こつこつと積み上げるにつなげるか、やりぬく力につなげるか、友だちの意見をよく聞く、友だちといっしょに学ぼうとする態度とか・・・どういう価値を認めてあげるかをいくつか持っているといいわ。」

「同じ発表でも、このような発表のしかただから意欲的な態度がうかがえる、とつなげるか、友だちの意見をよく聞いて発表したから、みんなの学びをまとめてくれるとつなげるとか・・・」
 

「ふんふん・・」
 

「そして、『こんな具体的なことをした』から『こんな価値がありますよ』というように書いてあげる。そういう文を学習でふたつ、生活でひとつくらい拾い上げて3文くらいで書くようにすると、自分も書きやすいし、その子どものことがはっきりと浮かび上がる所見になるわよ」
 

じゃ、ユーイチが余裕なのは・・・・
 

「ユーイチ先輩に材料がたくさんあるっていうのは・・」

「そうね。昨年、たくさんテンプレートを教えておいてあげたからね。ああやって子ども達と遊びながら、きっとその子の姿をどのテンプレートで価値づけてあげようか考えてるのにちがいないわ」

ヨーコはユーイチも少しは偉いんだな、と思いました。
 

「マキ先生、ちょっとはいい所見が書けそうな気がしてきました。たとえばこの子・・・ポートボールでたくさんパスをしていましたっていうのを・・・・『すぐにシュートが出来そうな位置にいる子どもを見つけてパスをするなど、みんなで勝つために協力しようとする姿がうかがえます』・・っていうのはどうでしょう」
 

「すごい!ヨーコ先生。パスをしただけじゃなくて、意味のあるパスをしようとしているところを先生はちゃんと見ていたんだってことがよくわかるし、それが協力する姿だという価値付けまでちゃんとできてるよ。これはおうちの人も読んでてきっとうれしいわね。」
 

「やったー!」
 

ヨーコはマキにほめられて有頂天になり顔を真っ赤にしています。
 

「協力でもいいし、思考する力にもつなげられるわね。」

そうか・・同じ姿でもよりその子にあった価値につなげたらいいのね。

 

「でもね。ヨーコ先生。私がやっちゃだめって思っていることがひとつあるの。」

「え?禁止事項ですか?」
 

「そこまで大変なことじゃないけど、教師としての意地や自信にかかわるというのかな・・・。私はしないようにしていることがあるの。あのね、それは『コピペ』。同じ言葉を何パターンか作っておいて、当てはまりそうな子にぽんぽん貼り付けていくの。これはやらない。」
 

「でも、あてはまったらいいんじゃないんですか?それに同じ文でも子ども同士で見合わない限り同じ事が書いてあるってわからないし・・・」
 

「そこよ。わからないからこそ。

私たちが見る子どもは一人一人違うので、一人一人に合った言葉がきっと有るに違いない。後から見て、似た言葉でも、これは誰さんに書いた言葉、ってすぐにわかるような文を書きたいと思わない?
コピペはらくだけど、それじゃその子を見ていないことだって思うから、私は絶対にしないのよ」
 

ヨーコは、所見というのは、教師がいかに子どもをしっかり見てその子のよさを伸ばそうとしているのかということに挑戦する舞台のようなものだな、と思いました。

ヨーコの日記

「がんばりました」ではなく、「〇〇など、よく考えていること(さまざま)がうかがえます」のように具体的ピンポイントで書いたらいい。

そのために、いくつか価値のテンプレートを持っておこう。「意欲、継続、努力、協力、学びに向かう態度、考える力・・・」など、具体的な姿をつなげて価値づけてあげられるような・・・

私もコピペはやめよう。後で読んだとき、誰のことを書いているのかが自分でわからない所見は人に伝わりません。

それから他にもこんなことを聞いた。

ほめることよりも認め、勇気づけること

「がんばりましょう」とまるなげするのではなく、「こういうことが課題なので、次学期はこうしましょう」というように具体的な課題と方法を書く。

学校内での受賞や、選出されたことなどは記録してあげること

終業式の朝、ユーイチが目の下にくまを作ってあらわれました。
 

「あらら!ユーイチ先生、その顔いったいどうしたの」

マキが尋ねました。
 

「はい・・ついさっきまで所見書いてました。」
 

「背水の陣って言ってたけど、余裕あったじゃないですか」とヨーコ。
 

「あ~昨日の番、さあ背水の陣だ、今から夜中までがんばって所見書くぞ~!と思って書き始めたとたん『メリークリスマース』っていって、昔のともだちがワインとケーキ持って遊びに来たんだ・・・早く帰ってくれーって思いながら、それでもせっかく来てくれたんだし、と泣きそうな気分で友達に合わせてたけど、結局帰ったのが夜中の2時。それで今まで・・」
 

「それで・・・・間に合ったの・・・?」

「なんとか・・・・。もう、次から背水の陣はやらない・・・」
 

ほーら思った通りとも思うヨーコでした。
 

ヨーコは、それでも5時間ほどで書き上げるなんてすごいなーと思いました。
 

やるじゃん。ユーイチ先輩。私はやんないけど・・・。

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学年主任のマキ先生は、放課後、子どものノートを見終わって職員室に向かっているとき、ヨーコの教室の前を通りました。
すると、教室に電気がついてなにやらかちゃかちゃと音が聞こえています。


「だめだ~」

「あ~やっぱりだめ・・・どうしてなの・・・」


ヨーコはなにやらぶつぶつ言っています。


マキは、またヨーコが何かに困っているんだなと思いました。


ガラガラガラ・・

マキは教室の扉を開けて中に入りました。


「あ、マキ先生」

「どうしたの?真剣そうにぶつぶつつぶやいて・・・だいじょうぶ?」

「あの~、黒板の字がどうしてもゆがんでしまうんです。みてくださいよ」


マキが見ると、黒板には縦に横に、いろいろな字が書かれています。

明日の授業の内容のことや、数字、あいうえおなど、さまざまな内容の文が書き並べてあります。


「まあ、たくさん書いたわねえ」


見ると、縦の字は下に行くほど左によれ、文字の列は「ノ」の字のようになっています。

また、2行目、3行目になるにつれて書き始めの字がだんだん上がって行っています。

よくあることです。


また、横書きの字は、上がったり下がったりして波打っています。

よくあることです。


「ひどいでしょ?」

ヨーコはなさけなさそうにつぶやいています。


「よくあることよ。」


「え?」


「黒板に字を書くなんて、これまでの人生の中で何度もなかったことだから、うまくいかなくてあたりまえ。だれでも最初はこんなになるのよ」

「本当ですか?」

ヨーコはほっとした顔をして、目をくりくりさせています。


「縦の字はゆがんでななめになるし、横の字は波打つし。人によっては右上がりになったり右下がりになったり・・・。ちなみに私は、ヨーコ先生と同じだったわよ」


マキの優しい顔を見て、「わあ・・マキ先生も私と同じ悩みを持ってたんだ・・・」とヨーコは安心しました。


「でも、どうして今ではあんなにきちんとまっすぐに書けるようになったんですか?」

マキの黒板の字はいつ見ても整然としてとても見やすく、ヨーコは自分も早く黒板の字をマキ先生のように書けるようになりたいと思っていたのです。


「こればかりは意識的に練習を積み重ねないと、ただ毎日書いて消してを繰り返すだけじゃ、いつまでたったもまっすぐ書けるようにはならないわ」

ヨーコはすこしがっかりしました。


確かにそうですよね。一朝一夕にできるようなことではないかもしれません。それにしても何か特効薬があるかと思ってたんですが・・・・


「あるわよぉ~~」

マキがもったいぶったようにいいます。


「え?やっぱりあるんですか?あしたからすぐにでもまっすぐに書けるようになる特効薬・・・」

「とても簡単なこと。」


ヨーコはわくわくしています。


「黒板の字を消すとき、黒板消しでうまく字をけすのよ」


「は?」


私は字をまっすぐに書けるようになりたいのに、なんで消す話を?


鳩が豆鉄砲を食らったような顔。ヨーコはこの顔をこれまで何度したことだろうと思いながらぽかーんとしています。


「いい?今からこの黒板を消すわよ。次の授業は何ということにする?」

「次・・・。あの、じゃ、国語で」

「みてらっしゃい」


マキは、黒板の一番右から、黒板消しをたてにすーっと上から下まで一本線で消しました。


それから次の行に移り、また上から下まですーっと消しました。消した線が2本並んでいます。


マキは同じ仕草で、スピードを上げて黒板全部にたての一本線で消していきました。1分もかからなかったでしょうか。


「どう・・・?」

「どうって・・・あ!」


ヨーコは目をまん丸にしました。


黒板には、見事な縦線が何本も引かれています。黒板消しの消し跡が、線に見えるのです。


「これで書いてみて」


ヨーコはチョークに飛びつき、字を書いてみました。


消し跡が縦のガイドになり、一番下まできちんと縦に一本筋の通ったように字を書くことが出来ました。


「わああ・・・・すごいですね」

「ね。便利でしょ。前の時間の終わりに、次の時間の字の方向に合わせて黒板消しを走らせるだけでまっすぐ書けるのよ」


ヨーコは、今度は、自分で黒板を消してみました。


「次は理科・・・」


ヨーコは、黒板の一番左上から黒板消しを横にすーっと走らせ、順番に下に消し後を作っていきます。


「うわああ・・きれいに横線ができる・・これならまっすぐにかけますね!すごい特効薬」

「でしょ?私も若い頃先輩に習ったときにとても助かったのよ。」


「マキ先生だって、そんな時があったんだ・・・・」


「そうよ。だれでもそう。先輩から習いながら、いろんな技が伝えられていくのよ。
でもね、これはあくまでも特効薬。これに頼ってばかりではダメよ。こんな線がなくても横にまっすぐかけるように、意識して書いてね」


二人の様子を、外からユーイチがそっとうかがっていました。

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そして「しめしめ」とつぶやきながら自分の教室で黒板の消し方の練習をし始めたことなど、二人はしりません。・・・とユーイチは思っていました。

ヨーコの日記

何にでもうまくいく技があるんだなあ。マキ先生も先輩から習ったし、先輩もそのまた先輩からうけついできたんだ。

この方法は、黒板を丁寧に消す、ということにもつながる。これまではただ消えればいいと思って消し後のことなんか考えずにぐじゃぐじゃに消してた。でも、こうやって一本一本消すと、時間がかかるみたいだけど、そんなにかからずにその上きれいに消せる。

うれしいなあ。あしたから早速つかってみよう。でもこれに頼らず、まっすぐ書けるような練習も意識してやらなきゃ・・・・

そういえば、ユーイチ先輩も外から見てたけど、きっと明日から同じことをまねするのに違いないわ。故黒板の字を見て、「すごいですねー」って言ってあげようっと。

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