カテゴリ: 教師の仕事術

以前,「事務仕事以外はみんな勉強」というタイトルの記事を書きました。

改めてこのタイトル見た時,最初はびっくりしました。
「いったい何言ってるんだか・・・」
私は,てっきり,事務仕事以外は全部勉強しなさい,という記事を書いたのかと驚いたんです。

読んでみると違っていました。

私たちの仕事は,夜中までかかることが多いのですが,それらは,大きく分けて事務仕事と教材研究とに別れます。
この教材研究の部分を,「勉強」と考えてインプットとして行うといいよ,という記事でした。

明日の授業の準備のために,私たちは教材研究をするのですが,忙しくなってくると,ともするとそれが事務化してしまい,「終わった,できた」とこなしたことで満足してしまいがちです。

そして,私たちが大事にしておきたい,知的な土台作りとしての読書などをする時間,知的生活としての時間をさも終わったかのように錯覚してしまいがちなのです。

本当は,終わった後に,ゆったりと読書などをしたいのに,もうそのためのリソースがのこっていません。
疲れもあるでしょう。

だから,せめて「こなす仕事」「事務」として明日の教材研究をするのではなく,「学ぶ」という視点で行うことで,それが知的な時間に転換されるのではないでしょうか。
その時間は,きっと教師としての大きな土台になっていくのだと思います。

「やらなきゃならない事務仕事」ではなく
「自分を成長させる勉強」ととらえて,インプットに転換する時間にしましょう。

そんな記事でした。
そして,私もそのようにしています。

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しかし,自分で書いた文に驚いていったいどうするんだ,という話ですが・・


  • 何度言っても忘れ物をする
  • 必ずウソをつく
  • そこまで言わなくてもいいのにということを言ってトラブルになる
  • 叱られても叱られても懲りずに廊下を走る。そして怪我をする。
  • 挙手しない。さしても蚊の鳴くような声しか出さない。
  • ダンスの時、腕をまっすぐに上げない。
  • あいさつをしても,だまってとおりすぎる・・・・

こういうことが毎日のように起こります。

教師は叱っても話しても諭しても注意をしても何にも変わらず、疲弊して行く。

または、力で押さえつけ、そのうち学級が爆発する。


そういうようなことを乗り越え乗り越え、私たちは日々を壮絶に暮らしています。


そこで「どうして言っても言ってもよくならないの」と考えるフレームを、一人一人の子供に事情がある、というフレームに転換すると、ずいぶん見える世界が変わって来ます。

その子どもの行動、言葉を生んでいるものに目がいくようになるのです。

その余裕ができるのです。

んとね


実際、私もそう考えるようになって気持ちが楽になったばかりか、根源的なその子どもの行動を生んでいた障壁に気づいて取り除くことで改善した経験もあります。


まずは、子どもを自分の持つラベルに当てはめるのではなく、その子どものそのままを受け止め、「ああ、こんなことを言っているんだな」と思うことにしましょう。

何とかしなくては、とあまり思いつめないことです。

目の前のことをつつきすぎると、帰って解決が遠のくことがよくあります。


まずは受け入れる


そこから開く世界もあります。


「まず受け入れよう」 

「子どもが何か頼んできた離,ルールを破るようなことをしていた時に,いう知度その姿を受けれてみ見る。そうしてよく話を聞いてみる。「みんな事情があるのだ」そういうこうどうのしかたにいつのまにか変わっていました」


「まず受け入れてみるという感覚は,傾聴,カウンセリングという領域に私の目を開かせることになり,日々の教育の中で生かすように変わっていき,今の仕事につながっています。」


私のシドニー派遣教員日記より

若い頃から、子どもに直球でビシッとわかりやすく指示を出すことを大切にしてきました。


でも、同時に、より子どもをワクワクさせる指示も大事にしてきました。

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1年生にこちらを向かせるときは、どのようにいうといいのでしょうか。


「こちらを向きなさい」という指示は,実にスッキリしています。


しかし,こんなにはっきりした指示でも,1年生の中には反応できない子どももいます。


まだ教科書の絵を見るのに夢中になっていたり,書き終わっていなくてまだ書いていたかったり,そのような行動に折り合いをつけて,さっとやめて教師の方を向く。これがなかなかできません。


「こちらを向け」というのは,教師の勝手であって,子どもにとってみれば,「なんで,今楽しいことをしているのにそれを中断させるんだ。邪魔しないでくれ」と言いたいでしょう。それはそれなりに分がありそうです。


しかし,授業の流れの中で,次の指示を与えて先に進まなければなりませんから,教師はこちらを向いてない子どもを注意したり叱ったりするのです。


「こちらを向きなさいって言ったでしょう」とか「こっちを向くまでじっと待ってるよ」とか,そんなことを言って。



では,「きれいな目を私に見せてください」と言ったらどうでしょう。


「こちらを向きなさい」とは明確に違いますよね。


「先生がわたしのきれいな目を見たがってる。みせてあげたい!」という内発的動機による行動になります。


同じ「こちらをむく」という行動ですが,外発的であるか内発的であるかという違いが出てきます。

子どもをこちらに向かせたい時、「こちらを向きなさい」というか、「きれいな目を私に見せてください」というか。



私は,どちらかというと,子どもの内発的な動機による行動を促したいと思っているのです。


絵の具の筆遣いの指導をするとき,「筆を紙に押し付けて書いてはいけません」というか,「筆が痛がっているね。」というか。


廊下をぺちゃくちゃしゃべりながら歩いている子どもに,「静かに歩きなさい」というか「しゃべっていることに気づいているかな?」というか。


日々,そのような指示を考え,見直すことができるのが,教師としてのやりがいであり,楽しさだなあと思います。


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教師は、翌日の授業の準備をするために教材研究を行います。
それをを仕事と捉えるのではなく、「読書」とか「知的のインプット」とか「研究」とかそのような捉え方をすると前向きでより実のあるものになると思いますよという提案です。

事務仕事以外の仕事は全て勉強と捉え、インプットするという意識を持ってやると学びになります。(いや、正確に言ったら事務仕事にも学びの内容は大いにあります。ここでは、話を簡単にするために事務仕事以外としぼって考えています)

多くの教師は無意識でそのようにしており、仕事をしているはずがいつの間にかインプットになっているということが多いと思います。
それを意図的にやることで、こぼれ落ちてしまうことや気づかないで通り過ぎてしまうものを得ることができ、より有効な学習ができるんじゃないでしょうか。

まずは教材研究を仕事と捉えず勉強と捉えるところから始めてみたら、なんだかわくわくします。

ああ、明日の授業の準備をしなくちゃいけないと捉えて教材研究を行うのと、自分の教科指導の技や知識を磨くための重要なインプットの時間と考えて勉強する態度で臨むとではおのずと違いが出てくるはずですよね。

今日は、そんなことを考えていました。
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「教師はEvernoteを書きなさい」という電子書籍をつくっています。
コンテンツは昨年2月までにほとんどできているのですが、セルフパブリッシングは初めてなので編集でつまずいたまま1年たってしまいました。

その間、停滞している間にだんだん出版するのがこわくなってきてしまいまして、このままではそのまま日の目を見ずにおわってしまう、という危機感を感じました。
そこで、できている分をブログで公開しながら、少しでも前に進もうと思いました。
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昨日第1話を掲載しました。

  【お話】Evernote先生 江波野徹の一日〜第1話 出勤まで | 知的生活ネットワーク





結構読んでいただきました。
書いているうちに、昨年書いたものがどんどん膨らんできておもしろいなと思います。

先ほど第2話を掲載しました。昨年Scrivenerで書いたときには思ってもみなかったことですが、主人公が活躍の場を与えられて生き生き動き出した、という感じがします。

【お話】Evernote先生 江波野徹の一日〜第2話 学校へ到着するまで | 知的生活ネットワーク

教師向けのお話なので、こちらで連載しょうかと思っていましたが、教師だけに向けて書いている話ではなく、また、教師の仕事を一般に人にもしってもらいたい、という気持ちで書いている部分も心の中にありましたので、「知的生活ネットワーク」の方で書いていきたいと思っています。

ブログネタ
小学校のアイデア に参加中!
私のクラスでは年間を通して一度も残滓がないので、わざわざ給食室の調理業務員さんが表彰状を持ってきてくださったことがありました。
いつも完食なので、うちのクラスだけすこ〜し大盛りにしてくださってあったにもかかわらずです。 

完食はよいことです。でも昼休みまで残して無理やり全部食べさせるなどということをしていたわけではありません。

秘密は、というと、女子が恥ずかしがらずにおかわりをするということと、全員に必要な量をつぎ分けた上で、さらに食べたい子どもには残りを均等に(ほんの小指の先ほどになっても!)分けるということだと思います。

女子が恥ずかしがらずにおかわりをする

高学年の女子は、本当は食べたくても何か言われそうという気持ちが働いておかわりをしない傾向があります。
私のクラスでも同じでした。
そんなとき、私は残りをまず二つにわけます。
男子の分と女子の分です。
「おかわりをしたい人」というと、まず男子がわーとやってきて並びます。
その子どもたちにわけてやっていると、決まって「先生!女子がいらんなら、ぼくたちに分けてよ!」といってきます。
ここがねらいめ。
すかさず
「だめ。これは女子の分。男子の分ではありません。女子がいらないというのなら、残念ながら先生が全部いただきます」
ここまでいうと、女子が「しかたないなあ・・・・そんなら食べるか・・」というような顔でやってきます。
これでOK。
これを繰り返していると、いつの間にか女子も恥ずかしがらずにおかわりを求めてやってくるようになります。
私のクラスでは、給食の飯缶にのこったスープを飲み干そうとして私から叱られる女子もいたほどでした。

しかし、基本的には男女の仲がよいことが土台にあります。
日々の学級経営が大事なんですが、このような給食指導も男女がなかよくなっていくためのひとつの手立てになりえると思います。   

並んだ子ども全員に均等に分ける

よく見るのは、あまった給食をじゃんけんでわけるという方法です。
それでもいいのですが、そうすると「じゃんけんまでしていらないや」とか「じゃんけん、あまり強くないからいいや」「2回3回と勝ち抜いて最後でまけるとくやしすぎる」などさまざまな理由で出てこなくなる子どももるんです。

そこで、私は、ひとつのハンバーグが残ったら、まず上に書いたようにように男子と女子半分に分けます。
あとは、それぞれほしいという子どもを並ばせます。
半分のハンバーグについて、5人並ぼうが20人ならぼうが、私はそのハンバーグを並んだ数だけ均等に分けてやりました。
ほとんどかけら状態になったハンバーグを、並んだ子どもたちはみんな大事そうに満足してもらって帰ります。
子どもたちは、たとえかけらであろうと、もらえばそれだけで嬉しいのです。

カレーなどの場合も同様です。
男女にわけることはできませんが、並んだ数だけ分けるのは同じです。
おたまにほんのひとすくいのカレーを、子供たちのお皿に分けていきます。
もし並んだ子ども全員にくばった上でさらにあまったら
「第2次募集です」というと、
さらに欲しい子どもがまた並びます。
同じように、トロリとほんのわずかなルーをかけていきます。
最後のひとすくいまでなくなってしまいます。

こうして、私のクラスでは、年間を通じて残滓が一度もなく、子どもたちも満足して給食時間を楽しむことができましたよ。

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資料とか、子ども用の文具とか、絵本とか、紙とか・・・。

教室においておいたら、子供たちにすぐに使わせたり見せたりすることができて便利だと思う気持ちから、教師は学級にさまざまなものを持ち込む傾向がある。

長く教師をやっていると、教室の中にものが豊かにある方がいいと思いがちだ。

教室の中がさまざまな子供たちの作品や学習のあと、資料などがところせましと整然と並べられ、豊富な教材、文具類がいたるところに用意されているのがよい教室であるかのように思ってしまうのだ。

「豊か」な感じがするのだ。 がらんとした教室より、にぎやかな教室の方が楽しいし・・。

私自身も、旅行に行った先でかならず現地のかざり、おもちゃなどを買い込み、教室に持ち込んで子どもたちに自由にさわらせてきた。

 教室の中いたるところに観葉植物をおき、ジャングルのようにしてしまったこともある。

しかし、実は教室にはモノが少ないほどいいと言われている。 特別支援教育の視点からだ。

 特別支援教育についての研究がすすみ、クラスの1割は発達障害があってもおかしくないとわれているなかで、教室にモノが多ければ多いほど子どもは学習に集中することができない。

何かが気になったり、こだわったりする傾向が強い子どもは、それだけで学習に集中することができなくなるのだ。

だから、なるべく教室からなくてもよいものはなくしていく必要がある。

ところが・・・・!! それができない教師がいる。

 へらそうとしてもへらそうとしても、どんどん物が増えていき、倉庫化してしまうのだ。

教室で次々に生み出されるプロダクト。 すなわち、工作、絵、プリント、自由研究でつくってきたもの・・・。 それらはなかなかうまく処理するのが難しい。

子どもがせっかく持ち込んできたのに、すぐに返してしまうのもなんだか悪いのでできるだけ長く掲示したり展示したりしてあげたい。

  また、採点などの評価が追いつかず、プリント類を返したくても返せない状態が続いてしまうこともある。

 そんなこんなで徐々に教室にものがあふれていく。

そこで、表題の「断捨離」を実行しなさい、ということになる。

実際にどのようにしたらいいいのか、ということについて改めて書いてみるつもりだが、「教室の断捨離」という意識を持って、教室のものをへらし、床や壁の可視面積を増やしていく意識が必要になってきている。

新・片づけ術「断捨離」

見てわかる、「断捨離」 (マガジンハウスムック)

不思議なくらい心がスーッとする断捨離 (王様文庫)  

Evernoteを使い始めて1年以上たつわけですが、ノートも1000数百になるとそろそろ蓄積されたものからあたらしい価値がうまれてきそうです。

ところで、このEvernoteは、研究に適しています。

資料や記録を集め、それにタグをつけ、縦横に検索しながら新たな価値をつくりだしていくことができる力を持っています。

教師は教材研究をせねばなりませんが、これにEvernoteを使うととても効率のよい、深い研究ができそうです。

私がEvernoteを使い始めた昨年は、すでに担任をはなれて教務主任をしていたため、授業研究に効果的にEvernoteを使うという使い方はしていませんでしたが、もし担任だったらEvernoteを教材研究にこのように使いたかったな、ということをまとめてみました。 ・

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1教材研究ノートブックをつくる

「教材研究」というノートブックを作り、そこに参考書などから抜き書きノートや先行授業や関連サイトのクリップ、指導書や指導要領のクリップ、資料の写真などありとあらゆる研究用の資料を放り込む。  

2 タグによる管理

どの単元や題材に関する資料なのかはタグで管理する。

研究する度に一つのノートを作っていてはノート数が膨大に膨れ上がってしまうからだ。

また、一つの資料が複数の研究で共有される場合、研究ごとにノート分けしていたのでは同じ資料を複数のノートに入れなければならなくなる。

タグで管理しておけば、研究が増えてもその資料につけられるタグが増えていくだけだ。

例えば、算数の指導要領に「かけ算」「わり算」などのタグが増えていく。タグはいくつでもつけられるから、タグでの管理の方が便利だ。

3 授業記録

写真や協議会記録、学習の記録なども保存しておく。

しかし、何でもというわけにはいかない。児童の顔が写っているものや、個人が特定できるノートの写真などは残念ながら入れてはいけない。

同期をしない設定にして、ローカルのみ保存というようにすればいいようであるが、そういうわけではないので気をつける必要がある。
本来学校から持ち出してはいけないデータである場合がある。

このように写真や情報の一部に注意して、蓄積していけば、いつでもその授業に使った資料や記録にアクセスできる。次に同じ学年を担任したときに大きな力を発揮するだろう。   私は、自分の過去の実践記録をこのようにしてEvernoteに取り込んでいく作業をはじめるところです。  

追記 2014年2月28日

4年ほど前に書いた記事です。 当時はまだ1000ほどのノートだったようですが、今では13000件にもなりました。  

さらに追記 2014年10月29日 

教師の知的生活ネットワークより移動してきました。

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