Lyustyleの教育ちゃんねる

カテゴリ: 本から

昨年4月にリリースした私の本「私のシドニー派遣教員日記」は,なんと付録だけで全体の量の20%もあります。


 いったい何が付録になっているのかというと,詳細な図画工作の授業の実践記録をそのまま収めているのです。

 はじめは本文に入れる予定で書き進めていましたが、あまりに膨大になってしまい、こんなのだれも読まないだろうと思って一度はばっさりと削除しました。

 しかし、中にはニーズもあるかもしれません。
 そう思って、「付録」として本編以外で入れることにしました。

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 ※この記事は,次に移動しました。
付録だけで全部の20%もある本」 

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佐藤学氏の「教師花伝書」を読んでいたら膝を叩く箇所がありした。

教師花伝書
「教師は、教える専門家であると同時に、「学びの専門家」でなければならない

「西洋東洋を問わず、古来、教えると言う不遜な仕事を教師が行うことができたのは、教師自身が他の誰よりも読書をし、学んでいたからである。よく学ぶ者のみが教壇に立つことを許されたのである。その大元が隠れているとしたら、これこそ教育の最大の危機と言うべきだろう。」

「教師が本を読まなくなったとよく指摘されるが、それ以上に、教師が美術館やコンサートや市民研究会から姿を消している。多忙な仕事に追われて学校と家庭に閉じこもり、教育の専門家としての教養も市民としての教養も衰退させているのではないだろうか。」72
以上、「教師花伝書」から。

学ぶ者のみが教壇に上がることを許される、というのはまさにその通りであり、古来、教師の薫陶力はそのことによって働いて来たのだと思います。

「先生ってすごいなぁ」という憧れの根本は、教師の学び続ける姿。

しかし、それが今後ますますできなくなっていくことを、教育行政に関わる役人たちはどのように考えているのでしょうか。

学ぶ時間どころか、翌日の準備をする時間さえもないと私は言い続けているのですが、その自明のことをいかにすればわかってくれるのか。
 
いや、わかっているのですきっと。しかし、同調圧力や外部からの圧力に抗しきれずに、そこに蓋をしている。
教育の破綻はすぐそこに来ているのに、目を開くことはしない。

教師の学ぶ時間はますますなくなり、子どもたちへの薫陶力もなくなり、教育は破綻していく。

なんとかそれに抗するために、ほんの少しの時間を使いながら、私は本を読み続けていきます。

こういうことの上に、日本の教育は成り立っているのだということと、それがますます困難になってくるということを、なんとか政策決定の場にいる方にわかってほしいと思います。


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「アクティブ・ラーニング」とありますが,『学び合い』の進め方の本です。

一斉指導がだんだん難しくなっていく今日,「誰一人としてわからない子どもをつくらない」授業を行うには,子どもたちの関係づくりをすすめ,子どもたち同士の学びをコーディネートすることが必要になってきます。

 しかし,これまでの授業のパラダイムからなかなか一歩を踏み出すことができないのもわかります。
 そんな教師の背中を押す本です。
 週イチあたりからゆるく始めてみたらいい。
 それでも子どもたちの人間関係はかわります。
 でも週イチでは学力は上がりません。そのうち,子どもも教師も「いける!」と思ったら一気に舵を切ったらいい。
 そのための始め方の方法が述べられています。

 私も『学び合い』を始めた時,この本にずいぶんお世話になりました。
 課題の作り方から細かに説明してあるからです。

 子どもがかわることは間違いありません。
 学力に結びつけるには,ここから一歩踏み出すことが必要です。









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3回目。「教室ツーウェイNEXT創刊2号」からです。
 

P24に、ベリー就学前教育についての紹介があります。学力の経済学で有名になった話ですね。
 

ベリー就学前教育というのは、低所得のアフリカ系米国人の3~4歳の子どもたちに,質の高い就学前教育を提供し、その後の子どもの成長について追跡調査したものです。
 

これを受けた群は,40歳の時点で,学歴,収入,持ち家率が高く,生活保護受給率も低いということがわかっています。
 

しかしIQは最初こそ受けた群の方がたかかったが,8歳くらいではほとんど差がなくなっており、このプログラムは8歳くらいまでの学力を高めるには効果的ではあったにしても、それは長続きするものではなかったこともはっきりしています。
 

では、40歳での生活の差を生んだのは何かというと、それが非認知能力の育成でした。
 

ペリー幼稚園プログラムでは,自主的,能動的な集団での学びが行われ,そこで「興味・関心」「協調性」「自制心」「社交性」などの非認知能力が育成されていたのです。
 

単に、知識を学ぶと言うことだけでなく、人とのかかわりの中で、育成される能力。これがあったかなかったかということが、40歳の時点での差になったわけで、非認知能力をたかめることはとても大切、ということがこれもよくわかります。
 

記事中,「学び合い」についての誤認識が見られるようです。
一方的な教え合いと書かれていますが、いわゆる「学び合い」は決してそうではなく、むしろ一方的に教えることをよくないこととしているものです。
その点が気になりました。

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・・・帰るときには絶対に厳しく叱らなかった。P85 有田和正先生の 「 人を育てる」より。

有田和正先生の「人を育てる」からです。


叱った後、さっと切り替えて笑い話ができるというのはなかなかできることではありません。

子どもを叱っているうちに、どんどんこっちもヒートアップしてきて「なんだー!」と行き着くとこまでいってしまい、子どもたちの方も先生の怒りをしずめるには一体どうしたらいいのかわからなくなる、というような叱り方をした経験を持つ人も多いのではないでしょうか。


必要な指導、叱りをした後、「さっと」切り替えられるようになったのはずいぶんたってからだったように思います。切り替えた時の子どもたちの安堵の表情、ほっとした顔を見ると、「切り替えられてよかったー!」と内心胸をなでおろしていたものです。


若い頃から心がけて、自分のいらいらが高じていく前に「でも、まあ、・・ね。次からはできたらいいな」みたいにさっと切り替える心の技術を磨いていきたいもんだなあと思います。


子どもが安心して帰途につくことができるような学級では、子どもたちの心が育つと思います。


有田和正先生が、「帰るときには絶対に厳しく叱らなかった」というのはすごく大事なことです。しかられてとぼとぼと家路につく子どもの気持ちを考えたら子どもが愛おしくてたまらなくなります。


でも、私は「絶対に」とはいきませんでした。つい放課後に残して厳しく指導することもありました。

でもひとつ心がけていたことがあります。
ひとしきり指導した後は、「受け止めてくれたかい?」と聴いてあげる。これで子どもはほっとした顔になります。
そしてもうひとつは、その子を校門まで送って行ってあげることです。
これだけはしていました。
有田先生ほどの心の器量を持てなかった私にできる精一杯の後始末でした。

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先日、本屋にいって教育書のコーナーをぶらぶらしていたら、ツーウェイが目にはいりました。

20数年前、まだ若い教師だった私やその仲間たちは、よくこの雑誌を買ってきては、なかに書かれていることを教室でやってみたり、人の論文を読んで発奮したり、そして集まってはわいわいと論を戦わせてきました。

年をとってからは、教育ということをもっと土台から考えようと、あらためて教育原理に関する本などを読むことが多くなり、徐々にこの雑誌からは遠ざかってきました。
それでも、年に一度位は買ってきて、今の若い先生たちの学びにまけないようにしようとしてきました。

そうして、先日、昨年の秋以来久しぶりに手にとって見たのです。
そうしたら「終刊」の文字が・・・

ああ、一時代が終わるのだな、と思いました。
でも、これは幕が引かれるのではなく、次のステップへ向けての準備なのですね。

私もまだまだ最前線で学ぶ人たちといっしょに学んで行きたいと思います。
 
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今日もevernoteから。
ちょうど1年ほどまえにTwitter経由でevernoteに放り込んでおいたメモに次のようなのがありました。

10/02/16 18:51

これまで培ってきた経験だけで教えてはいけない。 大事なことは教える側も現在進行形でまなびつづけなければならないし、それも教わる側の何倍もの速度で学び続けていくべきである
「若い教師を育てる」 成田幸夫

この題名の本を読んだ覚えは無いので、講演なで紹介された本の内容でしょう。

evernoteを使う時は、コンテキスト(場所、時間などの属性)や出典などを明らかにしておかなければならないな、と反省。

さて、「これまで培ってきた経験だけで教えてはならない」というのは重いことばだなあと思います。 この世界には、昔からこうやっている、という安心感の上に立っていたいという誘惑が渦巻いています。

よく言われるのが毎年毎年同じノートで講義をし続ける大学の教授。
教え方だとか、教える内容などを高めて行くエネルギーが消え失せてしまって、学生相手にごまかしながら講義をこなしている姿。(あくまでも物語などの設定の話ですよ)

これと同じことに、教師は陥りやすいと思います。

昔、このやり方で子供がすごくやる気が出て学習の効果もあったので、私はずっとこのやり方で行こう、と決めてしまいがちになります。

ところが時代とともに子どもも、子どもを取り巻く環境も変わり実態は大きく変わってしまったのに、その事に気づかず、もしくは目を瞑り、昔と同じ考えで同じやり方でし続ける。

ある日子どもたちが弾けて崩壊して行く、というその様な状況を、私たちはどれだけ見てきたことでしょうか。

常に学び続けていかないとダメだということは教師ならみんな知っています。
しかしそれを実行するのは難しい。
だから、日々勉強し続ける為の意識と技が必要になってきます。

そのような意識や技の持ちようもひっくるめて、教師の能力は省みられることが必要だと思います。

このブログにもその様な技をずっと書き続けている訳ですが、どんな技がどこに書いてあるのか近頃分かりづらくなってきましたので、そろそろカテゴリの整理や、インデックスとなる静的なページなどを作って行こうと思っています。

 

追記 2014/11/4

この記事は「教師の知的生活ネットワーク」より移転してきたものです。

 
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